第45話 救出劇
『沿岸区への侵入は不可能』
市街区の秘密サロン。
暗殺党から届いた報告書には、それだけが記されていた。
英雄アロフィスは紙片を指でつまんだ。
「……虎の子とやらも、この程度か……いや、違うな。認めるべきだ。敵は強い」
向かいの席で、第二夫人レナリルが扇をひらく。
「そうよ。さすがね、アロフィス」
扇の向こうで、レナリルの声が低くなる。
「そのせいで、すべてが滞ったの」
自由都市の経済を潤してきた、大量の竜素材と、奴隷の供給が止まっている。
英雄アロフィスの名声に、小さな陰りが見え始めている。
レナリルは言葉を継いでいく。
「成功を見せ続けなければ、作り上げられた偶像は転落してしまうものよ」
「僕は偶像なんかじゃないよ」
アロフィスの手の中で、報告書がくしゃりと潰れた。
「本物たる所以を、見せればいいだけだ。……みんなが待ち望む救出劇を、僕みずからやってのければいい」
「そうしましょう」
レナリルが、扇を閉じる。
「今夜から早速。流行りの店でディナーを手配しておくわ」
◇
その夜。大通りに面した料理屋は、半分ほど席が埋まっていた。
「今年の竜退治は、いつになるんだよ?」
「ドラゴンステーキ食べにきたのに」
「英雄様、いい加減、動いてくれよ。商売あがったりだ」
「けどよ、アロフィス様は女遊びが過ぎて、沿岸区に立ち入り禁止になったとか」
「いや、あれは奴隷売買のせいだろう? さすがに誘拐には関わってないと思いたいが……」
連日の話題は、英雄アロフィスの悪い噂。
給仕の娘が、苦笑いで皿を運んでいく。
扉が、乱暴にひらいた。
男が三人。酒の匂いをまとい、床板を踏み鳴らして入ってくる。
「おう、席はどこだ」
「ただいま、満席で……」
「空いてるじゃねえか」
ひとりが、手前の卓を蹴り上げた。皿が床に落ちて、割れる。
客たちが、腰を浮かせる。
「なんだ、その目は。文句あんのか」
別の男が、給仕の娘の手首をつかんだ。
「いい娘がいるじゃねえか。こっち来て、注げや」
「や、やめてください……!」
奥から、店主が飛び出してくる。その胸を、三人目の男が突き飛ばした。
棚の酒瓶が、まとめて崩れ落ちる。
「——その手を、放してもらえるかな」
戸口に、茶色の髪の男が立っていた。
「……アロフィス様」
客のひとりが、息をのむ。
「ああん? 英雄だろうがなんだろうが——」
言い終わるより早く、男の身体が宙に浮いた。
卓をふたつ越えて、壁に叩きつけられる。
二人目が、懐から短刀を抜く。
アロフィスは、半歩、身をずらしただけだった。手首を取って、ひねる。短刀が床に転がり、男が膝をつく。
三人目は、もう戸口へ逃げだしていた。
残りの二人も、這うようにしてそのあとを追う。
アロフィスは、床にへたりこんだ給仕の娘へ、手を差しのべた。
「怪我はないかい」
「は、はい……」
娘の頬が、赤く染まる。
隅の席で、誰かが手を叩いた。
地味な外套の男。
つられて、もうひとつ。またひとつ。
やがて店じゅうが、喝采に包まれた。
「さすがは英雄様だ!」
「やっぱり、本物は違うねえ」
アロフィスは、笑って片手を上げる。
「たいしたことはしていないよ。……店主、壊れた分は、僕に持たせてくれ」
喝采が、もう一段、大きくなった。
◇
路地の奥で、三人の男が息を整えている。
「……投げられたときは、骨が折れたかと思ったぜ」
「いいじゃねえか。これで、ひと月は遊んで暮らせる」
「おう、来た来た。あんた、約束の金を——」
地味な外套の男が、袖から手を抜く。
月明かりの下で、刃が一度だけ光った。
悲鳴は、上がらなかった。
外套の男は刃をぬぐい、死体の懐から、膨らんだ財布をひとつ抜き取る。
それから、路地の闇に溶けていった。
ひと晩で、話は市街区じゅうに広まった。
英雄様が、料理屋で娘を救った。悪党どもは、その夜のうちに仲間割れして死んだ。
天罰だ、と。
◇
街道を、アロフィスの騎馬傭兵団が進んでいく。
先頭には白金等級冒険者アロフィス・ソルゾラス。隣には彼の第三夫人、金等級冒険者ゼフィーラ。
彼女の引き締まった小麦色の腕が、しなやかに手綱を握る。
後方から、一騎の傭兵が馬を寄せてきた。アロフィスの側に、耳を寄せる。
「最後の奴隷たちが、無事に沿岸区を脱出したそうです。午後には、目的地に」
「そうか。ご苦労さま」
傭兵が下がると、アロフィスはゼフィーラへ向き直った。
「それにしても、君がこの依頼を受けてくれるとはね」
「……あんたが人助けしたって噂を聞いたからだよ。あの、料理屋で」
「ああ、あれか。いや、恥ずかしい限りだ」
「それで? あたしは何をすればいい?」
「なに、今回は、奴隷にされた人たちを安全に街に送り届けたいだけさ。君の、抜群の索敵力と戦闘力に期待してる」
照れくさそうに目を逸らすゼフィーラ。
「……やれるだけ、やるよ」
「さあ、もうすぐ、奴隷たちが捕まっている場所だ。みんなを解放してあげよう」




