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英雄ハーレム、崩壊記〜その娘が父の裏の顔を暴き、超えるまで〜  作者: 水戸直樹


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第44話 助けて

 夜の貧民街。

 子供たちが押し込められた一角。


 女の子は、両手の中の紙包みを、もう一度たしかめる。

 かたくて、四角い。ほんのりあたたかいのは、自分の手の熱だ。


(お菓子の妖精さん……)


 隣の部屋から、お母さんのいびきが聞こえてくる。


 藁の下から、そっと取り出す。

 刃の欠けた、古いナイフ。

 毎日の料理を任された自分に与えられた、数少ない道具。


 紙包みをひらく。

 茶色くて、つやつやした粒がひとつ。


 刃を当てる。思ったより、やわらかい。

 ゆっくり押すと、刃がめりこんで、切り口が糸を引く。

 ひとつを、ふたつに。ふたつを、四つに。もうひとつ、もうひとつ。


 小さなかけらが、手のひらに並んだ。


「みんな、起きて。……しーっ、声出しちゃだめ」


 ひとりずつ、肩を揺する。

 目をこすりながら起きた子たちが、手のひらをのぞきこむ。


「なに、これ」

「いいから、お口あけて」


 順に、口に入れていく。

 最後に、膝の上の一番小さい子。一番小さいかけらを、唇に押し当てる。


 しん、と静かになる。

 誰も、なにも言わない。

 目だけが、まんまるにひらいていく。

 ひとりが、自分の指をしゃぶりはじめる。もうひとりは、ほっぺたを両手で押さえている。

 一番小さい子が、口をもごもごさせて、それから、にっと笑う。


「……ねえちゃん、もっと」


 女の子は、あわててその口を押さえた。


 手のひらには、もうなにも残っていない。

 ナイフの刃についた茶色いものを、指でそっとぬぐって、口に入れる。


 甘い。


 舌の上で、溶ける。

 お腹の底まで、あたたかいものが落ちていく。


(こんなに美味しいの、幸せになれるの 初めて……! ほんとうに妖精さんが私を助けにきてくれたんだ……)


 包み紙も、舐めた。

 皺をのばして、ていねいに四つに畳む。

 服の内側、胸もとにしまいこむ。


「ねえ、みんな。これをくれた妖精さんが言ってたの。明日、門を通るとき、『助けて』って大きな声で言ったら、救われるんだって」


「ほ……ほんと?」


「私は聞いたの。このお菓子出せるくらいなんだもの、きっと本当だよ」


 ◇


 夜明け前から、ナナは屋根の上にいた。


 貧民街の最奥が、ざわついている。

 荷車が三台。鍋、布団、木箱。昨日まで部屋にあったものが、片端から積まれていく。


 真下の部屋で、男たちが話している。


「縄は使えねえ。奴隷は禁止されてるからな」

「けっ! 理想ばかりのお貴族様にはいい迷惑だぜ! 子供食わすのに、どんだけ金かかると思ってんだ」

「ああ、無事に連れ出せば大儲けだ。……俺らはグレンス商会みてえなヘマはしねえ」

「分かれて出るぞ。門番さえ通過すれば、公爵家の支配から抜けられる」


 端の一軒から、甲高い声が響く。


「いつまでぐずぐずしてんだい!」


 戸口に、女が立っていた。乱れた髪。

 部屋の中では、子供たちがのろのろと動いている。ひとりは片方の靴を探し、ひとりは藁の上に座りこんだまま、指をしゃぶっている。


「さっさと立ちな! 置いてかれたいのかい!」


 手を強引に引くと、子供が転んだ。

 途端に、泣きだす。


「泣くな! 黙れっ!」


 耳を力いっぱい引っ張ると、一層、泣き声が大きくなる。


「ああ! もう! あたしが親分にどやされるんだよ! ほら、静かにさせな!」


 女の子が、小さい子を抱き上げる。

 ほかの子たちが、その背中に寄っていく。


「……お母さん。今日、どこ、行くの」


「言ったろ。新しい奉公先だよ」


 女は、髪を手ぐしでなでつけた。


「向こうに行きゃあ、腹いっぱい食えるってさ。あんたたちみたいなのでも、使ってもらえるんだ。ありがたく思いな」


 女の子は、なにも答えなかった。


 ◇


 沿岸区から街道へ出る門は、朝の荷車で混みあっていた。


 入ってくる列は長い。検問では、兵がひとりずつ顔をあらため、荷をほどかせている。

 出ていく列の流れは速い。


 ナナは門の脇、屋根の陰に身を伏せる。


 一台目の荷車は、男がふたりに、女が四人。

 兵が覆いをめくり、鍋と布団をのぞいて、すぐに戻す。


「行き先は」

「親戚のいる村でさ」

「通れ」


 二台目も、同じように抜けていく。


(……あの人たちは、もう)


 三台目。

 荷車のうしろに、あの女と、子供たちが続いている。


 兵が、荷台の覆いをめくる。

 それから、うしろに並ぶ女と子供たちへ、目を移した。


「ずいぶんと子供が多いな」

「へえ、奉公先が決まりましてね。このご時世に、ありがてえ話で」

「無理に連れ出すわけではないだろうな?」

「まさか! 見てのとおりでさ」


 兵は、女たちの手首に目を落とす。縄の跡は、どこにもない。

 女たちも、うつむいたまま、なにも言わない。


「……通れ」


 女の子の足が、止まった。

 胸もとを、ぎゅっと押さえている。

 一番小さい子を抱いた腕が、震えていた。


 母親が、振り返る。


「なにしてんだい。早く——」

「助けて!」


 門の下に、細い声が跳ねかえる。


「助けて! 連れてかれちゃう!」


 兵の動きは、速かった。

 まるで、その一声を待っていたかのように。


 槍の柄が、荷車の前に下りる。別の兵が、男と子供たちのあいだへ、すっと身体を入れる。


「助けを求める者は、こちらへ」


 女の子が、走った。

 小さい子を抱いたまま、ほかの子たちの手を引いて。


 その腕を、母親がつかむ。


「なに言ってんだい、この子は! 寝ぼけてんだよ!」

「いやだっ!」


 女の子が、振りほどこうともがく。

 袖がめくれ、細い腕にあざがのぞいた。


 ナナの指先に、オーラが集まる。

 弾いた。


「ぎゃあっ!」


 母親が腕を押さえて、のけぞる。指が、ほどけた。


 兵たちが、すかさず割って入る。


「子供たちは、こちらで預かる」


「な! 子供を親から取り上げようってのかい!」


「腕にあざが見えた。子供たちの体を調べる。暴力が判明した場合、沿岸区では親権を停止することになっている」


 母親は、口をひらきかけて、閉じた。

 荷車の男を見る。


 男が、母親にだけ聞こえる声で吐き捨てる。


「……来い。粘るな」


 母親は、それから、自分の娘を見た。


「……あたしは、行くよ」


 女の子が、目を見ひらく。

 母親は、顔をそむけた。


 うしろの女たちの中から、ひとり、前に出る。腫れの引ききらない頬。

 少し遅れて、もうひとり。

 残りの女たちは、うつむいたまま動かない。


 荷車の男は、もう笑っていなかった。

 それでも、兵に向かって頭を下げる。


「……へえ。お騒がせしやした」


 荷車が、門をくぐる。

 外に出たところで、男が地面に唾を吐いた。


「ガキが。余計な知恵つけやがって」


 母親は、一度も振り返らない。


 門の外、街道脇の木陰に、男がひとり待っていた。

 肩に毛皮。指に、いくつもの指輪。


(あの人……。スラムの王……だっけ)


 母親が、その前で身を縮める。


「ごめんよ、親分。なんで急にさからったのか……」


「ちっ、女が減ったのは痛えが、収容所にはまだ女もガキもわんさかいる。早く行くぞ」


 ナナの耳が、その言葉を拾った。


(まだ、同じような子たちが……?)


 門から外は、公爵家の管轄外。

 兵たちの力は、借りられない。


(収容所の場所だけは……掴まないと……)


 出ていく人の列にまぎれて、ナナは門をくぐった。


 ◇


 街道を、蹄の音が進んでいく。


 二十騎あまりの傭兵。その先頭に、馬が二頭並んでいた。


「悪いね、急に呼び立てて」


 片方の馬上で、茶色の髪の男が笑う。


「指名依頼っていうから、どんな大物かと思えば。あんたとはね」


 もう片方の馬上で、女が鼻を鳴らした。

 革鎧の肩口から、小麦色の腕がすらりとのびている。鞍の上の背筋は、一本の鞭のようにしなやかだった。


「言っておくけど、あんたの浮気、許したわけじゃないからね」


「僕が愚かだったよ。反省してる」


 男は、首を横に振った。


「第四夫人とは、距離を置くことにしたよ。公式行事にも、もう出していないんだ」


「……すぐには、信じられないけど」


「信じてもらえるまで、待つさ」


「相変わらず、口だけは上手いこと」


 女は手綱を片手に預け、空いた拳を握って、ひらいた。


「まあいいわ。報酬の分は働く。……相手が誰でも、ね」


 金等級冒険者、ゼフィーラ。

 英雄アロフィスの、第三夫人だった。


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