第41話 チーズケーキ
「メイド長さまが、ここのお店がおすすめだって。お店の中なら、護衛もいらないくらい安全だとか」
ロッタが、通りの角の看板を指さした。
白い漆喰の壁に、金の文字。窓硝子の向こうで、菓子を並べた棚がきらきらしている。
「ドゥルセ菓子店」
声に出して読むと、リリアの喉が小さく鳴った。
「大陸一の大商会、ドゥルセ直営の菓子店よ。自由都市には初出店なんだって」
ロッタが、自慢げに胸を張る。
後ろで、咳払いがひとつ。
ここまで付いてきた三人の護衛のうち、年配の兵士が口をひらいた。
「ではな、ナナ殿。帰る頃に迎えに来る」
「はい。付き添いありがとうございました」
「くれぐれも、男に声かけられてもついていかないよう。まだ治安は完全とは……」
若い兵士が口を挟む。
「小隊長、小言は無しで。若い子には煙たがられますよ」
「う、うむ。そうだな。では」
兵士たちは敬礼し、リリアとロッタはぺこりと頭を下げて見送った。
扉を押すと、甘い匂いがあふれてきた。
焼けたバター。煮つめた砂糖。それから、ひやりとした、知らない匂い。
客の多くは女で、男はわずか。
窓際で笑い合う若い娘たち。赤子をあやす母親。ひとりで本をひらいている老婦人。
「前はね、女だけで来られるお洒落な店なんて、なかったんだよ」
席につきながら、ロッタが声をひそめる。
「そうなの?」
「沿岸区っていえば、貧乏人の住むガラの悪いところ、って言われてたからね。でも今は、こっちのほうが贅沢かも」
ロッタが、にかっと笑った。
「しかもここ、前はグレンス商会のお店だったんだから。庶民を食い物にして、バチが当たったのよ」
グレンス商会。
父の、四人目の妻の実家。
二月前、その娘は嫁入り行列から幸せそうな顔を見せていた。
一月前は関門前で泣き崩れていた。
(今は……無事なのかな)
リリアは小さく息をついて、店の中に目を戻した。
いつの間にか、目が勝手に数えはじめている。
入口がひとつ。厨房の奥にも、扉がひとつ。
盆を運ぶ給仕の足運びに、ぶれがない。
(……店員さんたち、ただの店員じゃないよね。足音がしない。それに……)
店の隅の窓際で、男がひとり、書き物をしている。
黒装束。頭には、ねじれた二本の角。額には、ぎょろりと目玉がひとつ。
(なに、あの人。……魔族みたい)
「……リリア、また周り警戒してるでしょ」
ロッタが、唇をとがらせた。
「え」
「あの黒い人?」
「うん。……魔族、かな?」
「違うって。あの人いつもいるけど、角と目玉、あれ兜だよ。前に外してたもん」
「え……?」
「ただの変な人だよ。あんまり見たら失礼」
「……うん。周りを見るの、癖になっちゃって」
ロッタが、あきれ顔で頬杖をつく。
「せっかくの休みに気を張ってたら、もったいないよ」
それから、さっと手を挙げた。
「すみませーん! チーズケーキと紅茶、ふたつください」
やがて盆を運んできたのは、金の髪を低い位置でまとめた女性だった。
仕立てのいい装い。皿を置く指先まで、所作に無駄がない。
「うわ、すっごい美人……メイ様といい勝負」
「ロッタ……! 聞こえるよ」
二人のひそひそ声に、女性がくすりと笑った。
「うふふ。褒めてくれて、ありがとう」
「あっ……す、すみません」
白い皿に、白い菓子。つやのある表面から、うっすらと冷気が立ちのぼっている。
皿に指を添えると、陶器まで冷えていた。
「え、これ、冷たいんですか?」
「ええ。私が少しだけ、魔法で冷やしたの。私がいないときは、氷室で冷やしたものをお出ししているけれど」
「……お姉さん、魔術師なんですか?」
自由都市にも数えるほどしかいない、魔術師。それほどの存在が、ケーキを冷やしている。
「うふふ、魔術師じゃないわ。この店の主で、菓子職人よ」
「すごい……お若いのに、お店の主人なんて」
「あらあら、若いだなんて。メイド長さんからお二人のことを聞いていたから、厨房から出てきたのよ」
「そうだったんですね! あたし、ロッタです。こっちが――」
メイド長さまの紹介なら、隠すことはない。
「リリアです。冒険者としては、ナナという名前で活動しています」
「よろしくね、リリアちゃん、ロッタちゃん。私はセシリア。セシリア・ドゥルセよ」
「ドゥルセって……あ、お店の名前!」
「ええ。うちの名前」
セシリアは、二人に同じ笑みを向けた。
「さ、冷たいうちに召し上がれ」
促されるまま、フォークを入れる。
思ったより、柔らかい。
口に運んだ瞬間、冷たさが舌の上に広がった。
遅れて、甘さと、かすかな酸味。冷たさがほどけるのと一緒に、喉の奥へ溶けていく。
何も、聞こえなかった。
はっとして、顔を上げる。
給仕たちは、変わらぬ足運びで卓の間を行き来している。窓際の男は、まだペンを走らせている。
目の前で、セシリアが小さくうなずいた。
リリアは、もう一口、ケーキを運んだ。
「おいしい……」
「でしょ!」
なぜかロッタが得意げに胸を張り、セシリアがまた、くすりと笑う。
「あの、メイド長さま、あたしたちのこと、なんて言ってたんですか?」
「そうねえ」
セシリアが、頬に指を添える。
「『休むのが下手な子がいるので、甘いものを食べさせて長居させてあげてください』って」
リリアの頬が、熱くなった。
「ほらぁ、やっぱり」
ロッタが、フォークの先でリリアを指す。
「へ、下手じゃないから。ちゃんとお休みできるよ」
「え、外出禁止の間は、何してたんだっけ?」
「五感遮断の訓練と、お昼寝いっぱいしたよ」
「……それじゃ、だめだね。ちゃんと教えてあげるよ」
三人は、しばし話に花を咲かせた。
笑い声。茶器の触れ合う音。窓際で、ペン先が紙をひっかく音。
ひとつずつ、耳に届いてくる。
窓の外で、日が傾きはじめていた。
通りの向こうに、三人の兵士が立っている。いつから待っていたのか、わからなかった。
「あ、お迎え! うそ、もうこんな時間?」
ロッタが、慌てて残りの紅茶を飲みほす。
席を立ったリリアの目が、帳場の脇の棚にとまった。小さな紙包みが、行儀よく並んでいる。
「あの、これ……」
「限定のキャラメルよ。お店で召し上がってくださった方にだけ、お分けしているの」
棚に残っているのは、三つ。
「三つとも、ください」
「え、リリア、そんなに食べるの?」
「ううん。三人、いるから」
ロッタが窓の外に目をやって、ああ、とうなずいた。
セシリアが、戸口まで見送りに出てくる。
「またいらっしゃい」
「はい。また、来ます」
扉の外は、潮の匂いがした。
「お待たせしました。これ、みなさんに」
紙包みを差し出すと、若い兵士の顔がぱっと明るくなった。
「うわ、ドゥルセの限定じゃないですか! 朝から並んでも買えないやつ……母ちゃんが一度食べてみたいって言ってたんですよ」
「妹が泣いて喜びます」
もう一人の兵士も、大事そうに包みを受け取る。
小隊長が、ひとつ咳払いをした。
「……家内に、持って帰らせていただこう」
紙包みが、大きな手の中へ、そっとしまわれた。
リリアは一度だけ振り返って、金の文字の看板を見上げた。




