第40話 明るすぎる
公爵家による制圧以来、夜間外出禁止が徹底された沿岸区。
星空の下、人ひとり歩いていない。
真新しいオイルランプの街灯が並ぶ道を、ナナは走っていく。
護衛の兵たちの足音は、とうに遠い。
「次の兵士詰所は、あの角」
ナナに気づいた夜番の若い兵士が、軽口をたたく。
「お、ナナちゃん。謹慎は明けたの?」
「き、謹慎じゃありませんから!」
「え? ギルド酒場で大暴れして、冒険者たちのタマ潰しまくったって聞いてたけど?」
「それは……本当ですが……謹慎は嘘です」
兵士が、思わず内股になった。
「……タマ潰しは本当だったのかい」
「それより、わたし、おそらく敵の偵察に見つかりました」
兵士が、途端に真顔になる。
「了解した。侵入に備える。ナナちゃんは?」
「わたしは、各詰所に伝えながら、屋敷に戻ります」
「ああ、警備は任せて、気をつけて帰ってくれ」
背後で、詰所の扉が次々と開き、武具の金属音がする。
次の詰所へ。その次へ。伝えるたびに、兵たちの動く気配が、ナナの後ろに広がっていく。
最後の詰所に駆けこむと、夜番のベテラン兵士が奥の扉を開けた。
「屋敷までの隠し通路は天井が低い。頭をぶつけないように」
「はい、気をつけます。……こちらの様子も、メイド長さまに伝えておきますね」
ナナの姿が、暗闇に消えていった。
◇
暗殺党の二人は表通りを避け、路地を縫っていく。
だが、路地にまで、等間隔にオイルランプが灯っていた。
角の先には、兵士詰所の灯りがある。その先にも、また一つ。
「……明るすぎる」
臆病な男が、足を止める。
かつて貧民街だった一角に出た。 ひしめいていた掘っ立て小屋は、ほとんど跡形もない。均された地面に材木が積まれ、組みかけの足場が、灯りに黒く浮かんでいる。 ずっと奥の隅に、傾いた屋根がいくつか固まっているだけだ。
「なんだ、こりゃ……」
「浮浪者も、ならず者も見当たらない。紛れる場所がない」
そのとき、遠くで爆音が轟いた。
夜空の一角が、一瞬だけ赤く染まる。
「仲間の先行組だろう。……だめだったか」
捕らえられれば、自ら爆ぜる。それが暗殺党の掟だった。
あちこちで、兵の怒号が上がりはじめる。
臆病な男は、懐から暗器を抜き、爆弾の袋と一緒に足もとへ落とした。
「ナナの拉致は無理だ。……こんなの持ってたら、帰ることすらかなわなくなる」
「おい、丸腰はさすがに……。いらんなら、それはもらうぞ」
相棒が暗器を拾い上げ、懐に隠す。
「……俺らの任務は、少なくともナナの居場所を特定すること。それまで帰るわけには」
「特定できる状況じゃない。娼婦も酔っ払いもいないとは、治安が異常だ……これを持ち帰って、報告するしかない」
臆病な男は、もう踵を返していた。
「……俺は帰るぞ」
◇
相棒は、ひとりで路地を進んだ。
角を曲がった先、灯りの下に、三つの人影が立っている。
(ちっ……こっちはだめか)
街灯を避け、道を変える。
遠くに、巡回兵の手持ちランプが見えた。
(……くそ、抜けられない)
行き止まりは、民家。
(……住民を殺して、明け方まで潜伏する)
懐の暗器を確かめると、男は扉の前にかがみ込んだ。道具袋から小さな金具を取り出し、そっと鍵穴に差し込む。
ガチャリ。
鍵穴から、小さな刃が跳ね出した。
石畳に、指が二本、転がる。
「ぐわあああっ!!」
家の中で、鐘が鳴りだす。
四方から、兵たちの怒号が迫ってくる。
「く……くそっ……罠、だと……」
暗器を掴もうとした右手に、指が足りない。
「に、逃げねえと……ゔっ!」
背に矢が突き立ち、男は石畳に倒れ伏した。
腰の袋からこぼれた爆弾が、転がって止まる。
薄れゆく意識の中で、兵士たちの声が聞こえた。
「爆弾だ。触るな」
「今夜は、これで何人目だ」
「ナナ殿に釣られたようだな」
◇
人目を避けて、壁を這い上がる。荊をかき分けると、袖が裂け、血が滲む。
(……行きも帰りも、これが邪魔だ)
壁の上で、臆病な男は一度だけ振り返った。
眼下に、沿岸区の灯りが広がっている。表通りから路地の奥まで、途切れることなく。
富裕層が住むとされてきた市街区のほうが、よほど暗い。
(兵士詰所も三倍は増えていた。俺一人しか、戻れないだろうな)
男は壁の向こうへ身を落とし、闇に紛れた。




