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英雄ハーレム、崩壊記〜その娘が父の裏の顔を暴き、超えるまで〜  作者: 水戸直樹


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第38話 ニンニク鼻の少女

「あ、リリア、ただいまー」


 出先から屋敷に帰ってきたロッタが、廊下にリリアの後ろ姿を見つけて声をかけた。


「ロッタ、お帰り」


 リリアが、ゆっくりと振り向く。

 その顔を見たロッタは、吹き出した。


 目には目隠し。

 鼻の穴には、ニンニクが二片つっこんである。


「な、なにその顔」


「……笑わないで。見られたくなかったのに」


「いや、それ女の子がやることじゃないよ……。また、訓練?」


「うん。今日は視覚と嗅覚を封印だって、メイド長さまから」


「はぁ、大変ねえ」


「でも、敵に気づかず殺されちゃうよりは、よっぽどいい。それに、どうせ外出禁止だから……」


「リリア、もう長いこと屋敷に閉じ込められてるよね……。そろそろ一緒に買い物行きたいなあ」


「うう……わたしも行きたい」


「グレンス商会からドゥルセ商会に看板が変わって、品揃えがうんと増えたんだ。絶対、楽しいよ」


「うらやましい……。あれ? 誰か来る」


 リリアが、首を巡らせた。廊下の、一番奥。

 遅れて扉が開き、若いメイドたちを従えたメイド長の姿が見えた。


「え、すごい! リリア、目と鼻ふさいでるのに、わかったの?」


「ううん、メイド長さまだってことはわからなかった。他のメイドの子は足音がするし……。わかりやすいよ」


「……うそ。あんな遠くの、扉の向こうなのに……」


 メイド長が、若いメイドたちを先に行かせ、こちらへ歩いてくる。

 やはり、足音はしない。

 リリアの前で立ち止まり、その顔を見下ろす。


 ぷぷっ、と吹き出す音がした。

 メイド長は、すぐに咳払いをひとつ。


「……目隠しを取りなさい」


 言われるまま、リリアは布をほどいた。鼻のニンニクも抜く。


「メイド長さま、いま、笑いました?」

「笑っていません」


 ロッタが、肩を震わせて目を逸らした。


「一月、よく耐えましたね」


「……はい」


「任務を無事にこなせるようなら、護衛を連れての自由行動を認めます」


 リリアは、ぱっと顔を上げた。


「今夜から行ってください。詳しくは兵士長から」


「はいっ!」


 メイド長が踵を返すと、ロッタがリリアの袖を引っぱった。


「やったじゃん! 買い物!」

「まだだよ。任務が先」


 そう言いながらも、口の端が上がるのを止められない。


「あ、でもその前に、お風呂ね。ニンニクくさいよ」

「……うん」


 ◇


 路地裏の暗がりで、フードの男が小さな包みを差し出した。


「井戸にこれを投げ込め。前金で銀貨一枚、成功したら金貨一枚を渡す」


 包みを受け取った浮浪者が、黄ばんだ歯を見せる。


「ありがてえけど、そんなんでいいんですかい?」


「そうだ。何も聞かずに、やってくれればいい。誰にも話すなよ」


「いや、旦那、話すもなにも。最近、俺らみてえな浮浪者が、いつの間にか消えてるんで。話し相手もいねえんですわ」


 フードの奥で、男の口もとがわずかに歪んだ。


「……ああ。だから、頼むぞ」


 ◇


 夜更け。

 浮浪者は、のろのろと共同井戸に現れた。

 昼間は水汲みの列が絶えない場所も、いまは人影ひとつない。

 あたりを見回してから、井戸へ近づく。


「ちっ……蓋に鍵がかかってやがる」


 舌打ちして、手探りで縁をなぞる。

 指先が、板の継ぎ目に隙間を見つけた。

 ここからなら。

 包みを開き、粉をさらさらと落としこむ。


(へへ……これで金貨一枚たぁ、ちょろいもんだ)


 浮浪者は足早に井戸を離れ、待ち合わせの空き地へ向かう。


「旦那ぁ! やってきましたぜ!」


「大きな声を出すな。遠目に見ていた。よくやった」


「へへ。じゃあ」


「こっちへ来い。金貨を渡す」


 浮浪者が、手を差し出しながら近づく。

 どすっ、と鈍い音がした。


「あ……てめえ……だましやがった……」


「馬鹿め。だからお前は浮浪者なのだ」


 崩れ落ちる浮浪者に背を向け、フードの男が歩きだす。

 その足が、横から払われた。

 地面に叩きつけられ、息が詰まる。


「な、何だっ」


 見上げると、若い女が立っていた。

 胸元で、銅の徽章が月明かりを返している。

 二人の兵士が、遅れて駆けつけてきた。


「ナナ殿、さすがです」


「いえ。この人、ただの仲介役です。すごく、弱い」


「く、くそ! 張ってやがったのか!」


 兵士の一人が、男の鼻を蹴りつけた。

 血が飛ぶ。


「殺しの現行犯だ。井戸に投げ入れた物が毒なら、この場で処刑だがな」


「お、俺は知らねえ」


「だろうな」


 もう一人の兵士が、男の懐を探る。

 出てきたのは、同じ包みが三つ。


 そこへ、井戸の方角から別の兵が駆けてきた。


「隠し蓋の上に、粉が散っていました。ヒ素と思われます」


 井戸の蓋の下には、もう一枚、蓋がある。一月前の会議のあと、沿岸区の井戸すべてに仕込んだものだ。


「そうか。最近はこの手口ばかりだな」


「し、知らねえって……」


「まあ、とりあえず、この粉、飲んでみようか?」


「や、やめ……」


 二人がかりで押さえつけ、男の口に包みの中身を流しこむ。

 くぐもった悲鳴が、空き地に響いた。


 年配の兵士が、ナナの前に立った。

 背中で、その先を隠すように。


「処理は我々にお任せください。ナナ殿は周囲の警戒を」


「……はい」


 ナナは背を向け、闇に目を凝らした。

 耳を澄ます。訓練で覚えた感覚が、夜の音を拾っていく。

 背後の音も、否応なく混じる。


(兵士さんたち、気を遣ってくれてるんだろうな)


 処刑は、まだ苦手だ。


 夜風が、海のほうから吹き抜けていく。

 潮の匂いに、血の匂いが混じる。


 ふと、うなじの産毛が逆立った。

 音はしない。匂いもない。

 それでも、何かに見られている。


 ナナは、ゆっくりと振り返った。

 沿岸区の屋根の連なりの向こう。坂の上に、市街区の灯りが瞬いている。


「すみません! なんとなくですけど……市街区の方角から、見られてます」


 兵士たちが、顔を見合わせる。

 年配の兵士が、すぐにうなずいた。


「了解した。遺体はこのまま置いて、撤収する」


「あ、ありがとうございます!」


「礼には及ばん。ナナ殿の索敵を最優先するよう、兵士長から命じられている」


 ナナと三人の兵は、足早に空き地を離れた。

 あとには、二つの骸と、夜風だけが残る。


 ◇


 市街区、大尖塔。

 月を背にした石の回廊に、五つの人影が身を潜めていた。

 そのひとりが、望遠鏡から目を離す。


「……離脱された。下の連中が着く前に、消えちまうぞ」


「へぇ。勘がいいねえ」


「馬鹿いうな。たまたまだろう」


「なんでもいい。一月も尻尾をつかませなかった、銅等級ナナの手がかりだ。奴の拠点を確定するぞ」


 五つの影が、音もなく尖塔から消えた。


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