第34話 お断りします
「……あ、ほんとだ」
第四夫人が、英雄アロフィスの腕の下から顔を出した。
濡れた睫毛のまま、ナナを覗き込んでくる。
「フィデリア姉様に、そっくりかも?」
さっきまでしゃくり上げていた目が、もう光っている。
(フィデリアお母様の娘だとは、思わないのね……)
「だろう?」
アロフィスが、嬉しそうに頷く。
「フィデリアとは幼馴染で、同じパーティーでね。初めて竜を落としたときも、あいつが一緒だった。あれが、僕の英雄譚の始まりさ」
「すごーい!」
「それで、あちこちの令嬢から手紙が届くようになってさ。フィデリアにはよく妬かれたんだよ」
(はあ、相変わらず、この話)
父は昔から、どの魔物を倒しただの、どれだけモテてきただの、そんな話ばかり。
新しく来た女に向かってそれを語り、同じ食堂で聞かされ続ける家族のことなど見てもいない。
「それで、どうだろう。屋敷の料理人は腕がいいんだ。沿岸区じゃ、まず口にできないものを出すよ」
「お断りします」
(だいたい、公爵家の屋敷の方が料理も美味しい)
アロフィスの笑みが、一瞬だけ止まった。
第四夫人が、きょとんとナナを見る。
「みんなの英雄アロフィス様が、誘ってくれてるのに?」
「まあまあ」
アロフィスは、すぐに笑い直した。
「いきなり屋敷は、気が引けるよね。じゃあ、仕事の話にしよう。銅等級には回ってこない依頼も、僕なら紹介できる。君なら、すぐに銀……いや、金にだって」
「等級は、急いでないです」
傭兵の誰かが、鼻を鳴らしかけて、やめた。
「……はは。参ったな」
アロフィスが、首の後ろをかく。
「実はね、僕の誘いを断った女性は、これまでひとりもいないんだ」
「……だから、そんなになっちゃったんですね」
「え……?」
「いえ、失礼しました。帰ります」
槍の列から、咳払いがひとつ。
兜の下で、兵のひとりが口元を引き結んでいる。
アロフィスの口の端が、ひくりと動いた。
「……じゃあ、メイさんのことを教えてくれるかい? 彼女と君にペアでの指名依頼があるんだ。簡単な仕事だが、金貨千枚を出そう」
第四夫人は目を上げた。
(そんなに!? 私の嫁入り支度金と同じ……)
いつもなら、この人が微笑むだけで、誰もが頷いたのに。
断られたことが受け入れられないのか、夫は食いさがっている。
(旦那様……。なんだか、しつこい)
ナナはすでに背中を向けている。
「……お断りします。さようなら」
門前が、しんとなった。
傭兵たちが、互いに顔を見合わせる。
誰も、笑っていいのかわからない顔だった。
やがて、アロフィスが息を吐いた。
「珍しい子もいるものだ」
アロフィスが、顎を撫でる。
「……燃えるよ。妻と同じ顔をした女」
第四夫人の目が、ナナの背と夫の顔とを、行ったり来たりする。
「あの……? 旦那様……」
「帰る。……後悔させてやる」
声から、柔らかさが抜けていた。
アロフィスは妻の肩を強く抱き直す。
「痛っ! 痛いです! 旦那様!」
「……ああ」
遅れて力を緩め、踏み段に足をかける。
傭兵たちが、黙って後に続いた。
御者が、鞭を鳴らす。
四頭の蹄が、石畳を叩いた。
動き出した馬車の窓に、第四夫人の顔が覗く。
振り返っていた。
何かを確かめるような目で。
車輪の音が、坂の向こうへ遠ざかっていく。
槍の穂先が、一斉に上がった。
「ナナ殿。ご協力、感謝する」
「はい、お帰りいただけて、よかったです」
兵たちが、持ち場へ戻っていく。
ナナは、振り返らない。
気づけば、掌が汗で濡れていた。




