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英雄ハーレム、崩壊記〜その娘が父の裏の顔を暴き、超えるまで〜  作者: 水戸直樹


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第27話 英雄様景気

 馬車を降りた男が、御者に何か言った。


 金貨が、手のひらから手のひらへ渡る。


(……金貨?)


 夜に、女の人たちを連れて、あんな大金を。


 空の幌馬車は向きを変え、坂を上っていった。


 車輪の音が、遠ざかる。


 リリアは、倉庫の陰で息を殺した。


(男の人が一人……女の人が、五人)


 実家の朝が、脳裏に浮かんだ。


 父が食堂へ入ってくる。女たちが、一斉に立ち上がる。

 父は、それを満足げに見渡す。


(グレンス商会の人……。お父様と、同じ)


 喉の奥が、冷たくなった。


 ――でも。


『見極めが必要かもしれない』


 馬車で聞いたばかりの声が、まだ耳に残っている。


 リリアは、目を凝らした。


 女の指が、男の手の甲に触れている。


 ――握っているのは、女のほう。


(まだ、決めつけちゃ、だめ)


 それでも、分からない。


(おばあちゃんを、守らなきゃ)


 リリアは、倉庫の陰を出た。


 積んだ籠の間を抜け、舫い杭の陰へ。


 足音を立てず、息を細くする。


 距離を詰めた。


 自分の間合い。


 ――ここなら、届く。


 男が、振り向いた。


「追っ手か!」


 男は、女たちの前へ体を入れた。


「お前たちは、先に浮き家へ!」


(あ……この人……お父様とは違う)


 思ってから、慌てて打ち消す。


(それより、見つかった?)


 違った。


 男の目は、通りの先。


 坂の上から、ゆっくりと灯りが下りてくる。


 四頭立て。御者台の脇で、ランタンが揺れていた。


(あ……メイさんの馬車)


 女の一人が、宿の扉を叩いた。


 閂の音がして、扉が開く。


「なんだい、慌てて」


 老婆が、顔を出した。


 男が、桟橋から声を張り上げる。


「おばあさん、お願いします! その娘たちを預かってください! 俺は、追っ手に話をつけてきます!」


 老婆が、坂のほうへ目を上げた。

 目を細める。


 それから、息を吐いた。


「ありゃあ、あたしの知り合いの馬車だよ」


「え」


「ほれ、あんたも入りな」


 老婆の視線が、そのまま横へ流れた。


「……んん。なんだい、そこにいたのかい」


 杭の陰。


 隠れていたつもりだった。


 けれど、足が先に出ていた。

 扉の、すぐ手前まで。


 男と女たちが、驚いた顔でリリアを見つめている。


「この子も知り合いだよ。……あんたも来な。スープあるよ」


 ◇


 扉をくぐると、床がゆっくりと傾いだ。


 吊り下げたランプが、天井の梁ごと回るように揺れる。


 壁に立てかけた櫂。窓の外は、波だけ。


 娘たちが足を止めて、互いの袖を掴んだ。


 竈に、大鍋がかかっていた。


 貝と、白身の切り身と、香草。


「最近、よく来るねえ。急に来るもんだから、フィッシュフライは無理だよ」


 老婆が、玉杓子で椀に注いでいく。


「申し訳ない。……使いを出すと、見張りにバレる恐れが」


 男は、ばつが悪そうに頭を下げた。


「御者にも、口止め代を渡してきました。多めに」


 リリアは、桟橋を思い出した。


(……あれ、そういうことなんだ)


「いいんだよ。あんたは金払いもいいし、スープで我慢してくれるなら構わないさ」


 老婆はにやりと口角を上げた。


 湯気が、梁まで上がる。


 娘たちは、卓に着いても肩を寄せ合ったままだ。


 一人が椀を受け取り、両手で包む。


 指先が、赤くなっていた。


 リリアは、その手を見ていた。


(……この女の人たち。家出したときの、わたしと、同じだ)


 扉が、もう一度開く。


「こんばんは。お邪魔するわね」


 メイが、包みを抱えて入ってきた。


「あら、いい匂い」


「座りな。いま、器を出すよ」


 老婆は、椀を一つ増やした。


 男の視線が動き、声が漏れた。


「あっ……」


 メイが軽く会釈をすると、男は顔を赤くして頭を下げた。


 椀に口をつけるメイの、横顔。


 また、男の視線が動く。


「テオ、綺麗な人だからって見過ぎ!」


 隣の娘が、腕をつねった。


「トゥーリ、痛いって! そんなんじゃなくて、いや、すごく綺麗だけど……痛い!」


 もう一度、つねられていた。


 男が、椀を置いた。


 それから、深く頭を下げる。


「事情を、お話しします」


 卓が、静かになった。


「俺は、テオ・グレンス。グレンス商会の者です」


 ――グレンス。


 あの商館で、この顔を見た気がする。

 嫌なやつに逆らって、怒鳴られていた人。


「この人たちは、沿岸区の娘さんです。全員、不当な借金を負わされていました」


「借金?」


 声が出たのは、リリアだった。


「場所代を払え、と言われて」


 髪を後ろで束ねた娘が、椀を見たまま言った。


「うちは、払いました。でも次の週に、また来て。値上げしたんだ、って」


「それで、証文を」


「父が、書かされました。……字が、読めないので」


 テオが言った。


「兄が、英雄様のツテで連れてきた傭兵です。腕に、ソルゾラス家の腕章を巻いてる」


 リリアは、息を吸った。


 実家の、父の手下。


「俺は、やめさせようとしました。不当に人を売るのは、商いじゃない」


 テオは、卓の木目を見ている。


「兄は、こう言いました」


『英雄様景気だ。いまだかつてないほど、愛妾と女奴隷の値が上がってる』


『必需品も賃料も、一斉に上げる。払えない家には、貸してやればいい。そのかたに、娘を出させる』


『利益率が違うんだよ。武力とコネのある今が、好機なんだ』


 誰も、口を開かなかった。


 鍋の中で、湯が小さく鳴っている。


 つねった娘が、テオの袖を掴んだ。


「……グレンス商会は、うちの蝋燭工房のお得意さんなんです。テオがうちを担当してくれていて」


 声が、少し掠れていた。


「父が倒れてから、兄が人身売買にまで手を広げて」


 テオが、継いだ。


「売却する女たちの名簿がありました。そこに、彼女の名前が載っていたんです」


「送り先は」


 メイが、椀から口を離した。


「アロフィス・ソルゾラス邸です」


 髪を束ねた娘が、ぽつりと言った。


「傭兵の人に、言われました。英雄様のお屋敷なら、まだましなほうだって」


「……ましなほう」


「はい。よそに売られるよりは、って」


「違います」


 テオの声が、固くなった。


「その『まし』は、まやかしです」


 リリアが、息を呑む。


「いま、見目のいい娘が一人いれば、屋敷が一軒建ちます」


「……一軒?」


「ええ。それが、この一年の相場です」


 テオが、卓を見たまま続けた。


「上がり続けてるのは、英雄様がいくらでも買うからです。値を見ないで買う人が一人いれば、相場はそこまで上がる。上がった相場を見て、兄みたいなのが、娘を集める値打ちがあると考える」


 卓の端で、椀が一つ、鳴った。


「真面目に商売するより、人を売るほうが儲かるようになってしまったんです」


 語尾が震えていた。


「それに――あの屋敷に送られた娘は、帰ってきません」


 メイの目が、細くなる。


「……あなたも、把握していたのね」


「は、はい。消息が、ただの一人も。四人のご夫人以外は、誰も」


 リリアは、椀を握った。


(……そうだった。たしかに、実家の奴隷の人たち、いつの間にか、いなくなってた)


 指の感覚が、遠い。


「こうして女の子たちを逃がすのは、何度目?」


 メイが訊いた。


「三度目です。過去二回は、女奴隷として売られそうになっていたスラムの娘たちでした。今回は、愛妾候補だったらしく、警備が厳重で……」


「……無理したのね。危ないわ」


「はい……。あ、あの!」


 テオの背筋が、伸びる。


「メイさん! ですよね? 白金等級の!」


 上擦った声に、娘たちが顔を見合わせ、メイを見る。


「え、あ、白金等級章!」

「本物の『メイ様』だ!」

「可愛い!」


 メイは少し困った顔をすると、


「間違いないけど、テオさん、知っていたの?」


 テオは背中を真っ直ぐにして答える。


「は、はい! 以前より、ご高名を……」


 隣の娘が、ぼそっと呟く。


「あなた、メイ様のファンだもんね」


「お、俺だけじゃない! 親父もおふくろも。……兄貴と妹はアロフィス派だけど」


 声を落とす。


 アロフィス派。


 そんな言い方があるのを、リリアは初めて知った。


 老婆が、鍋の縁を杓子で叩いた。


「で、あんたたち、どうするね? たしかにメイは強いけど、女たちをつきっきりで守ってられるほどヒマじゃないよ」


「そ、それは、もちろんです! ただ、いま安心できるのが、ありがたくて……」


 見ると、娘たちの肩から力が抜けている。


 テオも、少年に近い表情になっていた。


 メイが、椀を置いた。


「わたくし、明日の朝に発つの。……ちょうどいいわね」


「え」


「ここで匿っている女の子たちは、一時、預かるわ。おばあちゃん、前に来た子たちは?」


「他の浮き家に寝泊まりしてるよ」


「それなら、遠征のついでに自由都市から連れ出しましょう。少し馬車は狭くなるけど、この街にいるのは危険すぎる」


 娘たちが、たがいを見た。


 誰かが小さく頷き、それが順に伝わっていく。


「助かります」


 テオが、頭を下げた。


「正直、兄の傭兵から、彼女たちを守れる自信がない」


 隣の娘が、つっこむ。


「……まあ、テオ、弱いものね」


「悪かったな、弱くて」


「ううん」


 声の調子が、変わった。


「それなのに、私たちを連れ出してくれた。感謝してる。ありがとう」


 テオが、何か言いかけて、やめた。


 スープを食べ終わると、椅子を引く。


 卓の端に、金貨を数枚置いた。


「では、すいません。俺は店のほうに行って、誤魔化してこないと」


 扉が閉まり、床がひとつ、傾いだ。


 しばらく、食器を動かす音と、波の音だけになる。


「……屋台のおじさんが言ってた、値上げ」


 リリアが、口を開いた。


「あれ、この人たちに、つながってたんですね」


「そうね」


 メイは、椀の底をゆっくりと傾けている。


(……それが、わたしのお父様のせいだってことも)


 言えなかった。


 老婆が、空いた椀を重ねていく。


 陶の触れ合う音が、二つ、三つ。


 リリアは、胸元の銅徽章に触れた。


「わたし」


 顔を上げた。


「お店の護衛依頼、受けてみます」


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