第26話 矛先
「初日で銅等級って、そりゃあ、大したもんだなあ。冒険者って『三年で鉄、十年で銅』の世界だろ?」
店主は笑った。
「ええ。ただ、話はこれからよ。待っていて、とだけ言っておくわね」
「そうかい。返事はいつでもいいさ」
火を落としながら、店主は言った。
「こっちも、まだギルドに票一枚出せてねえんだからな」
鉄板の上で、残り火が縮んでいく。
水をかけると、白い湯気が屋台の屋根まで立ち上った。
店主が天幕の紐を解きはじめる。
二人は、その灯りを背にして歩き出した。
包みの角から、油が滲みはじめていた。
◇
夜の街を、馬車が進んでいく。
窓の外を眺めながら、リリアはぽつりとつぶやいた。
「メイさん……。父の傭兵がグレンス商会と……また、みんなに迷惑を……」
ほとんど揺れのない車内。
目の前で、メイは持ち帰りのパイを食べていた。
一口ごとに、目が閉じられる。頬が、ゆっくり動く。
「あの、メイさん?」
「え?」
「あの! わたし、屋台の護衛依頼、受けて大丈夫でしょうか? 父のツテなら、わたしにも関係が……」
リリアは懐から、銅等級の徽章を取り出した。
登録した日に、受付の奥から渡されたもの。
親指の腹で、縁をなぞる。
もらったときより、少しだけ重く感じた。
「リリア。屋台のご主人の話は本当だと思う。でも」
包み紙の端をたたんだ。
「見極めが必要かもしれない。わたくしたちのように力を持つ者は、矛先を間違えてはいけないから」
「……はい」
「素直に守るのか、一気に攻めるのか。あなた自身の目で見て、その上で決めてほしい」
それ以上は、返ってこなかった。
メイは、もう一つの包みを開けている。
油紙が割れて、匂いが上がった。頬が緩んでいく。目が、また閉じられた。
(メイさん、幸せそうに食べるなぁ……)
リリアは、窓の外に視線を戻した。
人通りは、ほとんどない。
通りの先に、幌馬車が一台。
(立派な幌馬車。……珍しいな、こんな時間に)
御者台の脇で、ランタンが揺れている。
光が、幌の側面を撫でていった。
刻まれていたのは、見覚えのある紋章。
(グレンス商会……!)
車輪の向きが、変わる。
向かう先は、港。
「メイさん! あれ! 先に行きます!」
リリアは握っていた銅徽章を胸元に留めると、走行中の馬車の扉を押し開けた。
パイ包みを口から離したメイが、頬を膨らませたまま応える。
「まぁえう ぁおぁあぃふぁ」
――任せる。あとから行くわ。
「任されました!」
リリアは夜の風の中へと飛び出した。
◇
着地の音は、しなかった。
石畳を二歩で掴み、そのまま路地へ折れる。
幌馬車は、表通りを大回りしていくはずだった。
港へ下りる道なら、坂のほうが近い。
納めの日に、荷車を押して上った道だ。
継ぎ目の欠けた敷石も、途中で曲がる角も、足が覚えている。
塀に手をかけて、屋根へ。
瓦を鳴らさずに渡り、洗濯物のロープを跨いだ。
眼下で、車輪の音が遠ざかっていく。
追い越していた。
風が、下から吹き上げてくる。
潮の匂い。
浮き家の灯りが、ひとつ、ふたつ。
水の上で、揺れていた。
リリアは、桟橋を見下ろす倉庫の陰に降りた。
膝を落とし、息を整える。
やがて、車輪の音が近づいてきた。
幌馬車は、桟橋の手前で止まった。
御者が飛び降り、後ろへ回る。
幌が、はね上げられた。
若い男と、女ばかり五人が出てきた。
一人は、男の手を握っている。
男は背後を振り返りながら、握られた手を引く。
「追手はいない。……浮き家の宿へ」




