第23話 直筆の依頼状
自由都市、市街区。
英雄アロフィス・ソルゾラスの居館。
昼を過ぎても、その一角だけは静まり返っていた。
第一夫人フィデリアは、一通の書状を手に、寝室の前で足を止めた。
息を、ひとつ吐く。
それから、扉を開けた。
「アロフィス」
寝台の上で、男が身じろぎした。
「……んん。ああ、フィデリア。おはよう」
「もう、昼過ぎよ」
寝台には、もうひとり。女奴隷の背中が見えた。
「昨夜も、遅かったのね。……この娘は?」
「ああ、昨日、ウチの傭兵が連れてきたんだよ」
「名前は? 何歳なの?」
「そんなの知らないよ。若くて変な病気もってなければ、それでいいんだから」
アロフィスは上体を起こし、伸びをした。
「君も一緒にどうだい。三人でも、僕は構わない」
「……お断りするわ」
「そうか。残念だな」
彼は本当に残念そうな顔をした。
フィデリアは再度、ため息をつく。
彼は寝台を降り、上着に袖を通した。
「で、どうしたんだい? 君が僕の寝室に来るということは、急ぎの知らせだろう?」
「……そうよ。できれば、この役割したくないんだけど」
チラリと、まだ眠っている女奴隷を見る。
「君が頼りなんだよ。寝室に男の使用人を近づけたくないんだ。なんなら、屋敷全部、女にしておきたいくらいなんだからさ」
アロフィスが、笑いながら言った。
「他の夫人に頼めばいいでしょう?」
「一番、付き合いが長いのは、幼馴染の君だ。君以上に信頼できる女はいない」
「……そう」
それを言われると、弱い。
(自分のダメなところね……)
彼女自身、小さく嫌悪する。
「それに、僕が買う奴隷たちはね、放っておいたら冬を越せないような子ばかりだ」
ベルトを締めながら、彼は続けた。
「路上にいれば、凍えるか、もっとひどい男に買われるかだよ。うちなら、寝床がある。食事もある。殴られることもない」
「そうね」
「僕は救っているんだ。誰も損をしていないだろう?」
フィデリアは、答えなかった。
答えなくても、彼は満足していた。
「それで、その知らせというのは?」
◇
食堂へ移り、アロフィスは封を切った。
従者が茶を置いていく。
『英雄アロフィス・ソルゾラス殿
本日、貴殿の傭兵団に属する方々、二十二名が当教会へ運び込まれ、預かっております。
冒険者ギルドよりの依頼でございましたが、献金の添えは一切ございませんでした。
女神の御手を、ただで借りられるとお考えの方が増えております。嘆かわしいことでございます。
なお、いずれも命に別状はございません。すでに何者かの手で処置が済んでおり、当方でいたすことはございませんでした。ただ、口をきける者は一人もおりません。
英雄殿のお力添えを、伏してお願い申し上げます。 司教 マルドゥク』
「……ふむ」
アロフィスは、紙を裏返した。裏には何もない。
「二十二人?」
「どうしたの」
「うちの団の者が、教会に運ばれたらしい」
彼は茶に口をつけた。
「事故かな。今日、討伐に出していた覚えはないが」
家令が、そっと歩み寄る。
「旦那様。実は、先ほどより、いくつか知らせが」
「そうか。言ってくれ」
「今朝、冒険者ギルド本部で、揉め事があったようでございます」
「ギルドで?」
「はい。……傭兵団の方々が、白金等級のメイと」
アロフィスの手が、茶器の縁で止まった。
「おっ! メイが来たのか?」
「はい」
「しまったなあ。ギルドに行っておけばよかった。彼女、素顔はすごい美人って噂だろう?」
ゴホン。
フィデリアの咳払いが聞こえる。
「ああ、話がそれたな。うん、彼女が、うちの者に手を出したのか」
アロフィスの声が、わずかに高くなった。
「その、私も又聞きでございますが。……三十名ほど、立てなくなったと」
「三十」
「教会へ運ばれたのが二十二名。残りは、仲間が連れ帰ったようでございます」
「三十人か」
アロフィスは、椅子の背にもたれた。
「メイ一人で三十人。……とんでもなく強いな」
彼の口元が、緩んでいる。
「やはり大したものだ。ますます欲しくなる」
「旦那様」
家令が、言葉を継いだ。
「それが、メイ殿はお一人ではなかったと」
「ほう?」
「連れが、一名」
「メイは単独行動じゃなかったか? まさか、男と一緒か」
「いえ」
家令は、手元の紙片に目を落とした。
「――今日、登録したばかりの、鉛等級の女だそうでございます」
食堂が、静かになった。
フィデリアの指が、卓の下で、袖の縁を摘んだ。
「鉛? 冗談だろう」
アロフィスは、笑った。
「新人が、僕の傭兵団を?」
「……最初に倒れた一人、銅等級の中堅ですが、その新人にやられたと聞いております」
家令の声が、少しだけ落ちた。
「その後、三人も」
アロフィスの笑いが、少しだけ収まった。
「……等級詐称ではないのか? ベテランが隠して再登録したとか」
「いえ、若い女と聞いております。十代後半、二十歳前後の見た目と」
「ん? 正確な年齢は?」
「それが……ギルドからの音信がなく。噂話程度しか掴めません」
彼は茶器を置いた。
「副ギルド長、あとで叱らないとな。なんのために、あの席につなげてやったか理解していないようだ」
「……メイ殿への報復などは、いかがいたしましょうか?」
アロフィスは首を傾げた。
「美しく強い女と、金で雇っただけの傭兵では、どちらとの関係が大事か、明白だろう?」
「では、ひとまず静観、ということで……」
「彼らが何しようが、どうなろうが、知ったことではないよ。それで、その新人の名くらいはわかるだろう」
「ナナ、と」
「ナナ」
彼は、その音を口の中で転がした。
フィデリアの指が、止まっている。
袖の縁を、白くなるまで摘んだままだった。
アロフィスが、天井を見上げた。
「メイにも会ってみたいし、その、ナナ。できれば、僕が引き取ってやりたい」
彼は、当たり前のことのように言った。
持ち前の、女性蒐集欲に火がついたようだった。
「は、はあ」
「指名依頼を出そう。僕とのディナーだ」
その言葉が、高い天井へ吸い上げられていった。
「あの、旦那様。教会への献金は」
「ああ、出しておいてくれ。ギルドが払わなかった分もだ」
彼は上機嫌で、扉のほうへ歩いていく。
扉の前で、一度だけ振り返った。
「フィデリア。新しい女たちが、ここに馴染めるよう、これからも頼むよ」
「……その、ナナは」
言いかけて、止まった。
「メイと、ナナだな。僕が書こう。直筆の依頼状を出しにいくぞ」
アロフィスは、もう扉の外にいた。
「留守番を頼む! くれぐれも外に出るなよ!」
足音が、遠ざかっていく。
◇
午後の廊下は静かだった。
フィデリアは、自室の扉を押す。
息が、止まった。
部屋の真ん中で、侍女が倒れている。
膝が、勝手に一歩下がった。
「ひっ……!」
声を上げようとした口を、後ろから塞がれた。
「大声を出さないで。……あなたを見張る侍女には少し眠ってもらったの」
低い、女の声。
「アロフィス様も出かけられたし、せっかくの機会だもの。立ち寄らせてもらったわ」
聞き覚えのある声だった。
「……あ、あなた、メイ様? どうして……いつもは、夜に、約束して……」
「ええ」
口を塞いでいた手が、離れる。
「今日は、会わせたい子を連れてきたの」
背中に、気配。
「……ゆっくり、振り向いて」
振り向く。
そこに、立っていた。
「え……?」
似ている――でも、違う。
髪が、短い。
肩の上で切り揃えられている。
その肩の位置が、あの子より高い。
少女の顔ではなかった。頬の丸みが落ちて、輪郭が出ている。
けれど、眼差しが。
欲しいものを、我慢するときの目。泣くまいとして、それでも眉の端が下がる形。
「似てる、けど……嘘?」
娘によく似た若い女が、目に涙をためて、そこにいた。




