第18話 制服が入らない
英雄アロフィス・ソルゾラスの本邸。
「旦那様ぁ!」
廊下の向こうから、小走りの音が近づいてくる。
第四夫人が、封の切られた手紙を両手で掲げて駆けてきた。
「お手紙、お手紙が来ましたのっ」
「おや、どこから」
「実家のグレンス商会ですっ」
息を切らせて、アロフィスの腕にしがみつく。
「イーゴお兄ちゃんが、貴族との喧嘩に巻き込まれて大怪我したって書いてありますの!」
「それは大変だ」
ぷう、と頬が膨らんだ。
「ひどいと思いませんか? お兄ちゃん、まだ頭がふらふらするって」
「うん、ひどい話だ。なんて横暴な貴族だろう」
アロフィスは、手紙を受け取ろうともせずに頷いた。
「それで、護衛の人を紹介してほしいって、書いてありますの」
上目遣いで、袖を引く。
「旦那様、できますか?」
「もちろん」
アロフィスは微笑んだ。
「ちょうど、沿岸区出身の傭兵がいる。最近、銀等級に上がった腕利きだよ。鉄等級も何人か送ろう」
「わあ、旦那様ぁ、ありがとう!」
第四夫人は、その場でぴょんと跳ねた。
「イーゴお兄ちゃんも喜びます!」
「派遣は早いほうがいいな。危険な連中から、君のお兄さんを守ってやらないと」
控えていた家令が、そっと耳打ちする。
「旦那様。……先方の事情を、こちらでも確かめてまいりましょうか」
「必要ないよ」
アロフィスは、第四夫人の肩を抱き寄せた。
「商会が大きくなれば、僕にも都合がいいわけだからね」
「旦那様の言うとおりです! イーゴお兄ちゃんも旦那様みたいになりたいって、尊敬していました!」
第四夫人が、手紙を胸に抱いて笑う。
アロフィスも、笑っていた。
◇
あの最初の朝から、夜明け前の浜に通う日が続いた。
走って、倒れて、光をもらって、また走る。
目を閉じて、開けて、打たれて、治されて、また目を閉じる。
何百回、砂に転がったのか、もう数えていない。昨日と今日の境目も、だんだん溶けていく。
ある朝。
いつものように、まぶたを上げる。
波が、止まっていた。
崩れかけた白い波頭が、そのままの形で宙に浮いている。跳ねたしぶきの粒が、ひとつひとつ、空の色を映している。
その向こうから、メイの拳が来る。
ゆっくりと。水の中を泳ぐように。
(……見える)
腕を沿わせる。拳の向きが、外へ逸れていく。
次に来る膝まで、わかる。半歩、下がる。
ざあっ、と波の音が戻ってきた。
しぶきが、ぱらぱらと落ちる。
拳は、空を切っていた。続く二撃目も。
「――今の」
メイが、構えを解いた。
「見えたのね」
「な、波が……止まって……」
「ええ。そこが、入口」
(入口……?)
聞き返そうとして、足から力が抜けた。その場にへたりこんだリリアの頭に、ぽんと手が乗る。
あたりは、もうすっかり明るい。
◇
プチっ。
シーツを物干しのロープに掛けていたリリアのボタンが飛んだ。
「あっ!」
リリアは慌てて胸元を押さえた。
ロッタが地面に落ちたボタンを拾って差し出した。
「制服、キツイみたいだね……。胸まわりが、なんか」
「ええっ……? ここに来たときは、ゆるかったんだよ? 成長期だから大きめのをって、メイド長さまに」
空いたほうの手で、ボタンを受け取る。
「いやいや、リリアが屋敷に来て、まだ一ヶ月でしょ? なんなら、丈だって足りてないし……。成長期にもほどがあるって」
「……言われてみれば、なんだかキツイかも」
「うらやましい……。あたしが年上なのに」
ロッタは、自分の胸と、リリアの胸を見比べると、小さくため息をついた。
◇
月明かりの照らす浜辺。
「はあッ!」
リリアの木剣が空を切る。
「もっと本気で! 殺す気で来なさい!」
メイが軽々とかわしていく。
膝下が水に浸かっているとは思えない足捌き。
踏み込むリリア。
「もうっ! 当たって!」
風を切る。
背中にメイが回っていた。
「後ろとったわ。覚悟してね!」
「あ! や、やめ……! ぎゃあああ!」
背中に拳の嵐が叩きつけられ、リリアは水に倒れ込んだ。
「……もう、ひどいです……。なんで、こんなに叩くんですか……。すっごく痛いのに、寸止めでいいじゃないですか……」
涙目のリリアが膝をかかえる。
「ほんとに泣き虫ねえ」
微笑みながら、リリアの背中に治癒魔法をかけるメイ。
「わたし、我慢強いって言われてたんです。泣いたことなんて、ずっとなかったのに……」
「あら? 素直になってくれて、うれしいわ。身体は大きくなっても、まだまだ甘えていいのよ」
「……大きくなったって、ロッタにも言われました。制服も入らなくなってきちゃって」
「制服はメイド長に言って替えてもらいましょう。リリアは換骨奪胎が始まっているから、もっと大きくなるでしょうし」
メイの何気ない一言にリリアが首をかしげる。
「カンコツ……? なんですか、それ?」
「換骨奪胎よ。わたくしが叩いてオーラ注ぎ込んでいるから、身体が作り替えられているということ……って、言わなかったかしら?」
「え……? 聞いてません!」
「あら? じゃあ、知らずにわたくしに叩かれ続けてたの?」
「そういう訓練だと思ってました!」
――思い起こせば、おかしかった。
ここのところ、食欲が止まらず、変な匂いのする汗がやたらでる。死んだように深く眠れて、朝起きれば別人のように体が軽くなっていた。
唇を尖らせたリリアに、メイが笑って肩を叩く。
「動きも覚えたし、ケラガ・ルヴの訓練フェーズは次に進むわ。実戦を積めば、そのうちオーラも出せるようになる」
「……え?」
「明日は、わたくし、来られないから……。うん、明後日、冒険者ギルドへ行きましょう」
「で、でも……。父が、わたしの人相書きを出しています」
「出回っているのは、結い上げた髪の、絹の襟のお嬢様よ。髪を切る前のね」
メイが、リリアの肩の高さに手をやった。
「それに、この一ヶ月で背が伸びて、顔つきも大人びた。……かつてのリリアーヌ・ソルゾラスとは、もはや別人よ」
リリアは、そっと自分の頬に触れた。




