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英雄ハーレム、崩壊記〜その娘が父の裏の顔を暴き、超えるまで〜  作者: 水戸直樹


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第17話 痛くて早いほう

 夜明け前の浜は、まだ藍色だった。


「まず、リリアに決めてもらうことがあるの」


「え?」


「痛くて早い、痛くなくて遅い。どちらの訓練がいい?」


 波が、一度寄せて引いた。


「……どれくらい、痛いですか?」


「手加減はするけど、実際に当たるから、かなり痛いわ」


 メイは、あっさりと言った。


「アザや傷は残らないけど」


(アザが残らないくらいなら……そんなに痛くないのかな)


「あ、でも」


 リリアは顔を上げた。


「早さは、どれくらい違いますか?」


「早いほうなら、一日目から強くなった気になれるわね」


 メイの口元が、少しだけ上がる。


「遅いほうは、三週間は見てほしい」


(三週間……)


 昨日の商館が浮かんだ。塞がれた出口。伸びてきた手。


 あのとき、リリアにできたのは笛を吹くことだけだった。


 三週間のあいだに、また同じことが起きたら。


「じゃ、じゃあ、痛くても早いほうで」


 メイが、小さく手を合わせた。


「ふふ、いい覚悟ね」


 そして、なんでもないことのように言った。


「あなたに教えるのは、『ケラガ・ルヴ』よ」


「あ、それって……」


 リリアの声が、途中で止まった。


「知ってるのね?」


「は、はい。……父の、三番目の夫人が、それを学んだ冒険者だったので」


 激しい気性の、金等級冒険者。


 朝の食堂で肉を三皿平らげ、給仕の手からジョッキを取り上げて笑っていた人。リリアの頭を、乱暴に撫でるのが癖だった。


『あたし、一対一で戦えばアロフィスより強いよ。ケラガ・ルヴ習得してるからね!』


 そう言って、二の腕を叩いてみせた。


 嫌いではなかった。屋敷の中で、あんなに大きな声で笑う人は、他にいなかったから。


「……そうなの」


 メイは、それだけ言った。


 波の音が、ひとつ入る。


「おそらく、冒険者向けに出回っている略式のケラガ・ルヴね」


 メイが、砂を踏んだ。


「わたくしがあなたに教えるのは、『本物』のほう」


「え……? 本物とか、あるんですか」


「王国白騎士戦闘術、ケラガ・ルヴよ」


 白騎士。


 リリアは、目を見開いた。


 大陸最強の騎士団。魔王乱立のこの時代に、それをいくつも討ち取ってきた者たち。


「……本当、ですか? 白騎士って、聞いたことはありますが……」


「さ、時間がないの」


 メイは、あっさりと背を向けた。


「まずは、限界まで追い込みましょう。浅いところを走るわよ!」


「ま、待ってください!」


 メイが駆け出す。


 リリアは慌てて追った。


 ◇


 膝までの海水が、脚に絡みつく。


「はっ、はっ……重い、です!」


「いいペース、がんばれ」


 前を行くメイの背は、まるで速度を落とさない。


 水を蹴るたび、しぶきが白く跳ねる。ほどけた髪が、まだ薄暗い空の下でゆらゆら揺れていた。


「メイさん、速いです!」


「ほら、追いついて」


 浜の端まで走り、折り返す。二往復目で、リリアの息が上がりきった。


「はぁっ、はぁっ……」


「しんどくても、まだ止まらないで。効果が半減してしまうわ」


「はい……っ」


 三往復目の途中で、足がもつれた。


 ばしゃん。


 顔から水に突っ込む。塩辛い水が、鼻の奥まで入った。


「ぶはっ! しょっぱ……」


 顔を上げると、メイが屈み込んで覗いていた。


 濡れた前髪の下で、目が笑っている。空が白んできて、その頬に朝の色が乗りはじめていた。


「大丈夫?」


「だ、だいじょう……ぶ、じゃないです」


 膝に手をついたまま、リリアは首を振った。


 脚が、笑っている。水の中で、勝手に震えていた。


「もう、うごけません」


「あら、そう」


 メイの掌が、背中に置かれた。


 ――淡い光が、袖の隙間からこぼれる。


 じん、と痺れた。


 次の瞬間、脚の震えが、すっと引いていく。


 肺の焼けるような感じも。腿の重さも。


「……あれ」


 リリアは、自分の膝を叩いた。


「まだ走れる……」


「ちょっとしたおまじないよ」


 メイが、立ち上がった。


「じゃあ、あと一往復」


「えっ、えっ!?」


 ◇


 走り終えると、メイは型をひとつだけ教えた。

 相手の拳に腕を沿わせ、力の向きだけを外へ逸らす。受け流しの型。

 十回、二十回と繰り返すうちに、腕がひとりでに動くようになる。


「まず、目を閉じてね」


「……はい」


「あなたが目を開けたら、攻撃開始」


 そっと目を開く。


 瞬間、目前にメイがいた。


 最初の一発は、脇腹。


「かはっ」


 息が、体から抜けた。


 膝が砂に落ちる。腕を出す暇もなかった。


「受け流しの型、忘れているわ」


「ま、待って……! いまっ、こんな、急に……」


「敵の攻撃は急に来るから。さ、もう一回」


 肩。


 どさっ。


「ぐっ」


 腿の外側。


 ばんっ。


 今度は腕が出た。


「そう。それでいいの」


 褒められたのに、防いだ腕が痛い。


「う、待って、ください」


 指が触れたところが、熱を持っている。


 袖をめくった。


 二の腕に、赤黒い痣が浮き上がっていた。


「……あ」


(アザは、残らないって言ってたのに……)


 胸の奥が、きゅっとなる。


「見せて」


 メイの手が、伸びた。


 リリアの腕に、掌が置かれる。


 ――淡い光が、指の隙間からこぼれた。


 熱が、引いていく。


 じん、と痺れて、それから、何もなくなった。


 メイの手が離れる。


 そこには、白い腕があった。


「……え」


 リリアは、自分の腕を撫でた。


 痛くない。跡もない。


「治癒魔法……?」


 ――聖職者でも、ヒーラーでもないはずなのに。


「さ、まだやれるわね」


「メイさん、これは……?」


「便利でしょう? それより、さっき覚えた受け流しの型、忘れちゃった?」


 メイは、砂を軽く払った。


「思い出して反復すれば、痛みなく済むから」


 リリアの喉が鳴った。


「それって、思い出せないうちは、ずっと……」


「ええ」


 にこりと、微笑まれた。


「考えなくても出るくらいじゃないと……殺し合いでは使えない」


 ――やがて、四十七回目。


 目を開けた瞬間、


 メイの拳が、あった。


(ここだ!)


 音が、しなかった。


 メイの掌が、空を撫でる。


「やっ……た!」


(初めてかわした!)


 同時に、腹部に衝撃。


(え……?)


 いつの間にか、膝が入っていた。


 二段攻撃だった。


「ゔッ……!」


 飛ばされ、砂に頭から突っ込む。


 ベシャッと音が聞こえた。


(なんで!? 上手に避けたのに!)


 気づけば、口の中に砂が入っている。


 鼻にも。


「うあーーーーん!」


 リリアは泣き出した。


 それは大きな声で。


 メイが駆け寄ってきて、抱きしめた。


「ごめん! 痛かったよね」


「ひどいです……なんで……」


「わたくし……相手に当たるまで攻撃止まらないの。基本、五連打で……」


「そんなの……知りません。慰めて、ください」


「うん、ごめんね……いい子ね……」


 メイがリリアの頭を撫で、背中をさする。


「うう……ぐすっ……」


 しばらく、涙が止まらなかった。


 静かな浜に、波の音だけが、寄せていた。


 ◇


 鐘が鳴った。


 市街区のほうから、朝の一つ目の鐘。


 二人は砂の上に座り込んで、朝日を眺めていた。


「わたくし、自由都市にいる日は、この時間、ここに来るから」


 波が、寄せた。


 リリアは、顔を上げる。


「いる日って……明日は、来てくれますか?」


 メイが、リリアのほうを向いた。


「明日も待ってるわ」


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