第15話 海鳥の羽
音が、止まらなかった。
「五月蝿い!」
「そいつの笛を取り上げろ!」
若衆のひとりが耳を押さえたまま、リリアに手を伸ばす。
何かが、視界をよぎる。
乾いた音がして、男が横ざまに倒れた。
「なっ……」
出入り口だ。
開け放たれた扉の向こうから、何かが飛んできている。
二本目が、隣の男の膝を打った。三本目は、出口をふさいでいた大男の首筋。声も上げずに崩れる。
床に転がったそれを、リリアは見た。
木の棒の先を、丸く削ったもの。矢羽として、白い海鳥の羽が挿してある。
(この羽……見たことがある)
四本目。五本目。
撃たれた者だけが倒れていく。
二人の少女と、荷には、掠りもしない。
出口までの道が、開いた。
「ロッタ!」
リリアは、ロッタの腰をさらった。
「え、ちょ、ちょっと待っ――」
片腕でロッタを抱え、もう片方で荷車の把手をつかむ。
そのまま、石畳の坂を駆け下りた。
「ま、待て!」
背中で、イーゴの声がした。
戸口の外まで追ってきて、それから止まった。
正面に、一筋。
「あゔっ!」
イーゴの眉間で、鈍い音。
膝が折れ、そのまま前のめりに倒れた。
広場を抜けるまで、リリアは振り返らなかった。
商館の向かいの屋根。
長身のメイドが、大弓を構えていた。
次の一本を、すでに番えている。弦は引き絞られたまま、狙いは戸口から動かない。
荷車が、坂へ折れた。
メイドは弦を戻し、立ち上がる。
風が、屋根の上を抜けていった。
そこには、もう誰もいなかった。
◇
坂を下りきったところで、ようやく足を止めた。
「……あのさ、降ろして」
「あっ、ごめんなさい!」
地面に立ったロッタが、荷車と、リリアの顔を交互に見た。
「……あんた、あたしと荷車と、両方持って走ったよね」
「うん」
「怪力にもほどがあるって。熊みたい」
「く、熊!?」
(力は強いほうだと思ってたけど、そこまでだなんて――)
しゅんとするリリアに、ロッタはにかっと笑った。
「冗談だって! ありがとね。笛も、これ以上ないタイミングだった」
「う、うん」
リリアは照れくさそうに目を逸らした。
「……あの、ロッタ。さっきの矢って」
「屋敷で作ってるブラント矢だね」
「屋敷の……」
「あんたは力あるから、いずれ、そっちの話も聞かされるかもよ」
あの矢が飛んでこなかったら。
あのまま、逃げられなかったら。
二人は、それきり黙り込んだ。
潮と、魚と、石鹸の匂い。
桟橋にはためく洗濯物。
「おーい、来たよー!」
ロッタが声を張った。
さっきまでの沈黙が、嘘のような声。
船の間から、次々に顔が出る。
みんな、女だった。
「待ってたよ!」
「今月は綿ある? うちの子、もう袖が短くて」
荷を下ろす手が、いくつも伸びてくる。
リリアは木箱を桟橋に置き、油紙の包みを解いた。
「綿は三巻きあります。あと、蝋燭と、薬草を」
「あたいたちからは貝類と干物、海藻、それから海鳥の羽をまとめておいたよ」
年かさの女の降ろした荷物からのぞく羽の束。
リリアの目が止まる。
(やっぱり……! さっきの矢についていた羽と同じだ)
「あら、この子は?」
「新しく入った子。リリアっていうの」
「へえ、美人さんだね」
「よしなよ、照れてるじゃない」
笑い声が起きた。
リリアは、包みの結び目を見つめていた。
言わなければならないことがある。
「あの……胡椒と、岩塩は」
ロッタが、先に口を開いた。
「今月、買えなかった。ごめん」
手が、止まった。
いくつも伸びていた手が、みんな止まった。
「……グレンス商会かい」
誰かが言った。
「うん」
「そうかい」
それだけだった。
「まあ、塩なら備蓄があるさ」
「こっそり、海水を煮詰めてもいいし」
「あんた、それやると教会がうるさいよ」
「だから、こっそりやるんだよ」
また、笑い声が起きた。
リリアは、そのやりとりを見ていた。
(……怒らないんだ)
いや、と思い直す。
怒っていないのではない。
怒っても仕方のないことに、慣れているのだ。
背中を、指でつつかれた。
「お姉ちゃん、新入りさん、でしょ?」
六つか七つの女の子が、リリアを見上げていた。
「うん。上のお屋敷で働いてるの」
女の子は、桟橋の柱に吊るされた鉄の掛け鐘を指さした。
「教えたげる。悪い男の人たち来たら、紐を引っ張ってカンカン鳴らしてね!」
女の子が、鐘の紐に手を伸ばした。
「こら!」
近くの舷側から、女が身を乗り出した。
「鳴らすんじゃないよ。みんな出てきちゃうだろ」
「……はぁい」
ぷう、と膨らんだ頬。
――笑ってしまった。
目を逸らした拍子に、桟橋の先が視界に入る。
船が、並んでいた。
外側に、大きな漁船。
その内側に、小さな浮き家が寄せ合っている。
舫い綱が、船と船を繋いでいた。一本ではない。何本も、編むように。
(……並びが、壁になってる)
「……ああ、リリアかい」
聞き覚えのある声がした。
舷側から、老婆が降りてくる。
「元気だったかい? 屋敷の飯は口に合ったろう」
「おばあちゃん!」
思わず駆け寄って、それから足を止めた。
「荷、ありがとうよ。……苦労しているようだねえ」
「え……?」
「コイフがずれて、髪がボサボサだよ。顔も青い」
老婆は眉をひそめた。
リリアが口を開く。
「……さっき、グレンス商会で……なんとか逃げてきました」
老婆は、桟橋の足元を見た。
「ああ、あいつらか」
それだけ言って、顔を上げる。
「グレンスの主人が倒れてから、ロクでもない話ばかり聞くよ。こっちに逃げてくる女も後を絶たない」
「……そう、なんですか」
「でも、ここなら」
老婆が、上を指した。
高台の屋敷が、日の光を返している。
「あそこから、見えるからね」
リリアは、屋敷を見上げた。
窓が並んでいる。そのどれかが、自分の部屋だ。
老婆は、船と船を繋ぐ舫いを、爪先で軽く叩いた。
「しかし、あんたらに手を出すとは。……グレンスの奴ら、下手を踏んだね」
老婆は、高台を見上げたままだ。
リリアは、メイの顔を思い浮かべた。
斧を持った男を一瞬で組み伏せた背中。
「リリア、置いてくよー」
「あっ、はい!」
石坂を、二人で上る。
荷車は空になっていた。押しているのは、リリアひとりだ。
「……ねえ」
半歩前を行くロッタが、振り返らずに言った。
「グレンスの若旦那、前からあたしのこと、いやらしい目で見てたんだ」
「え……」
「それが今度は、英雄の義兄? どこが偉いってのさ!」
ロッタは、坂を上りながら手を振り回している。
「だいたい、あんたのこと『ついで』って言ったんだよ。ついでって何さ、ついでって」
リリアは、把手を握り直した。
「メイド長さまに、そこから報告するから」




