第14話 英雄の義兄
「ああ、港の浮き家ですね。あれは、自由都市を不当に追い出された人たちです」
メイド長は、雑巾を絞る手を止めなかった。
「追い出された……って」
「港は公爵家のものですから、庇護している形です」
「庇護……。でも、不当に追い出すって……。そんなことあるんですか?」
メイド長は立ち上がると、ロッタに声をかけた。
「今月の納め、今日でしたね? リリアを連れて行ってあげてください。この街の裏側も、見てもらいましょう」
ロッタは首をかしげた。
「でも……リリアは初めてなのに、いいんですか? 最近、グレンス商会の様子が……危ないかもしれません」
リリアは、窓の外を見た。
坂の下に、洗濯物がはためいている。
「ロッタと一緒なら、わたしも行きます」
「ええ、お願いします。ただ、あくまで様子見が主目的です。仕入れについては、できなくても何とかなります」
それから、メイド長はリリアに小さな笛を渡す。
「これは……?」
「いざというときは、躊躇わず鳴らしなさい」
「鳴らすと、誰か来てくれるんですか?」
「人が来るとは限りませんが、必ず、助かります」
リリアの手の中で、小さな笛が光を返していた。
◇
荷は、思っていたより多かった。
厚手の綿織物が三巻き、油紙で包んだ蝋燭、薬草の束。木箱に詰めて、荷車へ。
「そっち持てる? 無理しないで」
「はい」
リリアは、ひょいと木箱を抱え上げた。
そのまま、荷車へ運ぶ。
「……リリア」
「はい?」
「それ、二人で運ぶ箱だよ」
「……え?」
ロッタが、まじまじとリリアの腕を見た。
「どう鍛えたらそうなるの……」
「あ、うん……わたし、力持ちの家系みたいで……」
「そう……気になるけど、家のこと、話したくないんだよね?」
リリアはこくりとうなずく。
「いいよ、じゃあ行こっか。帰りの上り坂もあんたと一緒なら楽勝だね」
坂を下りる途中で、荷車が広場のほうへ折れた。
「胡椒と岩塩、それに必需品は、ここで買ってるんだ」
石畳の広場だ。
三方を囲む天幕の奥に、灰色の石造りの商館が建っている。荷馬車が横づけされ、人足が麻袋を担いで出入りしていた。
「グレンス商会。うちは大口だから、荷車ごと奥まで入れてもらえるんだけど……気をつけてね」
ロッタは、慣れた足取りで石畳の坂を上がっていく。
「こんにちは。胡椒を二袋と、岩塩を――」
「……ああ、品切れだよ」
帳場の男が、顔も上げずに言った。
「え?」
男の背後には、麻袋が積まれている。口の開いたものから、黒い粒がこぼれていた。
男が、帳簿を閉じる。
「あんたら向けは、ないの」
ロッタが、一瞬だけ黙る。
「……何かの間違いじゃないですか。お支払いは、ちゃんとしているはずですが」
男が、ようやく顔を上げた。
若い。二十歳そこそこだろうか。
「先月までの話だな。値上げしたんだ」
リリアの手の中で、荷車の把手が鳴った。
ロッタが前に出る。
「……理由を聞いても?」
男が、麻袋を叩く。
「言う必要があるか? こちらの事情だ」
「納得できません」
「ちっ……、じゃあ、教えてやるよ」
男が、口の端を吊り上げる。
「俺の妹が英雄ソルゾラス家に嫁いだのは知ってるだろ? つまり、俺は英雄の義兄になったってことさ」
リリアの背が冷たくなる。
ソルゾラス。
久しぶりに聞いた、自分の家の名前。
この男の妹が、あの嫁入り行列の馬車に乗っていたんだ。
だとすれば、この男は。
(……あの第四夫人の兄?)
「俺が次期当主のイーゴ・グレンスだ。英雄の義兄の名に恥じぬよう、商会をデカくする。親父とは違うやり方をする」
ロッタはひるまなかった。
「……理由はわかりました。お売りいただけないなら、結構です」
「おっと。俺はちゃんと話してやったぜ。ただで帰るなよ」
イーゴはロッタを手招きした。
「お前、なかなか度胸があるよな。気に入った」
「は?」
「これから、グレンス商会は伸びる。……英雄様と同じさ。力を持った男には、金も女も集まる。メイドなんてやめて、俺の下に来い」
「兄貴、やめろよ」
帳場の脇から、若い男が出てきた。
イーゴより、いくつか下に見える。
「公爵家は代々のお得意様だろう。公私混同はだめだって、親父も――」
「……黙ってろ」
弟を睨みつけた。
「おい、そっちの」
イーゴの声が飛ぶ。
「新入りか。ん……顔は悪くないな。ついでだ、お前も来い」
リリアは、動かなかった。
髪を隠す白い布――コイフの縁が、頬に張りついている。
「――行きましょう」
ロッタが、リリアの腕を引いた。
「おい、まだ話の途中だ」
「結構です」
背中で、イーゴが何か言った。
「帰すな!」
「兄貴、だめだって!」
「口出しするな、テオ!」
イーゴが弟を突き飛ばす。
「ぐ……」
壁に背中を打ち付けると、動かなくなった。
若衆たちが出口をふさぐ。
「ちょっ……!」
ロッタがたじろぐ。
「このまま帰られたら、俺の恥になるんでね。はいと言うまで帰すわけにはいかねえんだ」
「はいなんて言うわけない! 帰る!」
ピーーーーッ
高い音が、鳴った。
若衆たちが、耳を押さえる。
笛を口に当てていたのは、リリアだった。




