第13話 高台の屋敷
メイに連れてこられたのは、沿岸区の高台、海を見下ろす貴族の屋敷だった。
「しばらく、ここで住み込みで働くといいわ。屋敷の主人は不在だから、気楽に過ごしてね」
それから、メイは封筒を差し出した。
「差出人も宛名も書いてないの。念のためね」
リリアは、受け取った。
「あの、どなたからでしょうか?」
「ふふ。ひとりのときに読むといいわ」
メイはそのまま帰っていった。
実家よりは小さいけれど、それより上質な造りの建物。
(どこのお貴族様だろう……?)
最初の仕事は掃除だった。
玄関から、廊下、貴賓室。それから、メイドたちの部屋まで。
「あの……今日は、どなたかお客様が」
「いいえ。どなたも」
背の高いメイド長は、手を止めなかった。
「じゃあ、大掃除の日なのですか?」
リリアの疑問に、メイド長は笑った。
「ここでは、これが普通です。……お客様が来なくても、私たちが暮らしているでしょう?」
布巾を動かす手が、止まりかけた。
「それに、ほら。この子たちの世話もありますから」
メイド長が示したのは、廊下に並んだ鉢。
水をやり、枯れた葉を摘み、鉢の向きを少しだけ変える。
「ここでは花も育てています。裏庭には畑もありますし、家畜小屋も追って教えますね」
「……はい」
枯れた葉が、一枚、籠に落ちた。
「お仕事、多いんですね」
言ってしまってから、口を押さえた。
(生意気なこと、言っちゃったかな)
メイド長は、手を動かしたまま笑った。
「一日、四シフトに分かれていますから、大丈夫ですよ。それ以外は自由時間です」
「え……?」
「今週のあなたは早朝から昼まで。それが終わったら、お休みです」
実家で見てきたメイドたちは、朝から晩まで働いていた。
(……半分しか、働かなくていいの?)
その考えは、すぐに次の考えに追い越された。
(――わたしが、メイさんの連れてきた客だから?)
布巾を握る手に、力がこもった。
「……あの。午後も、働けます」
「あら」
「洗濯でも、畑でも。……やり方を教えてもらえれば、できます」
メイド長の手が、止まった。
「ひとつ、聞いてもいいですか? あなた、他のメイドが休みなく働いていたら、どう思います?」
「……え? あの、わたしも働かなきゃって思います」
「そうですよね」
布巾が、また動きはじめた。
「だから、シフトを守って、あと週に二日、必ずお休みしてくださいね」
「……なんで、そんなに」
「『ここで働いてくれる、一人一人が大切な人』。……ここのお嬢様のお考えです」
リリアは、父の言葉を思い出した。
『僕はみんなを幸せにする』
その『みんな』に、使用人は入っていなかった。
リリアは、鉢の向きを、指一本分だけ回した。
◇
「鍋! 鍋こげてる!」
「あっ! ああっ!」
そばかすのメイドが駆け寄ってくる。
リリアの腕には、洗い終えた鍋が三つ、抱えられたままだった。
「あらら、これは作り直しになるね」
「ご、ごめんなさい……。洗い物、先に終わらせようと思って」
「欲張りだねぇ」
しゅんとなるリリアに、メイドはニカッと笑う。
「そういえば、あなた、名前は」
「……リリア、です」
「あたしはロッタ。よろしくね」
手際よく鍋を片付けながら、ロッタは口も休めない。
「これくらいで落ち込まないで。ほんと、リリアって料理はあんまりだけど、なんだか上品でいいところのお嬢様みたい」
「あ、いいところだなんて、そんな……」
背中に、汗が滲んだ。
父の手配書が、どこまで回っているのか分からない。
「あ、心配しないで。なんとなく、そう感じただけだから」
「は、はい」
「それに、どこの出だとしても、みんな同じ待遇の仕事仲間なんだよ。さ、料理教えたげる」
まずは火だった。
炭は、押し込めば消える。隙間を空けないと燃えない。
灰が舞って、リリアは何度も咳き込んだ。
「炭は上出来。そしたら次は、鍋の番」
ロッタが匙を鍋に沈めて、そのまま差し出した。
「はい、味見」
差し出された匙を、リリアは口に運んだ。
「……おいしいです」
「うん、大丈夫ね。じゃあ、味付けには何が入ってる?」
もう一口。
舌の上で、味がほどけていく。
「……塩と、胡椒。あと、生姜。少しだけ、お砂糖」
「お、正解」
ロッタが、目を丸くした。
「よく分かったね。砂糖なんか、ほんのちょっとしか入れてないのに」
「入れると、まるくなるので」
「……料理はあんなに下手なのに」
「あんなに、って」
メイド長の言っていた通り、昼の支度が終わると、あとは自由時間だった。
ロッタと廊下で別れる。
「じゃ、あたしは昼寝するから。またねっ!」
「うん、またね」
与えられた個室に戻る。
清潔な寝台。
窓がひとつ。
海が見える。
腰を下ろすと、膝が痛んだ。床を拭いたせいだ。
懐から、封筒を取り出した。
封を切る。
目に映ったのは懐かしい筆跡。
『元気だと聞いて、安心しています。体を大事にしてください』
(……お母様)
文字が、少しにじんで見えた。
しばらく、動けなかった。
丁寧にたたんで、枕の下に入れる。
横になってみた。
毛布は清潔で、部屋は静かで、明日も昼までで終わる。
(ありがたいな……)
寝返りをうつと、そのまま、窓の外が見えた。
浮き家が見渡せる。
老婆の家の他にも、何十軒も。
(わぁ!)
色とりどりの洗濯物がはためき、働く女たちの笑い声が聞こえる。
白い海鳥の群れが羽ばたいていく。
海風の匂いが鼻腔をくすぐる。
(気持ちいい……)
ぼんやり眺めていると、洗濯物の向こうが目に入ってきた。
(……この屋敷の下、浮き家が密集してる?)
ごろんと、天井を眺める。
(明日、メイド長さんに聞いてみよう)




