第9話 調査リポート
メイは、テーブルの上に分厚い紙束をどんと置いた。
「あなたの父親を、調べさせてもらったの」
無地の表紙には、何も書かれていない。
リリアがおそるおそる捲ると、一枚目に表題があった。
『アロフィス・ソルゾラス調査リポート』
そのまま、数枚を送る。
細かな文字が、隙間なく埋まっていた。
「え……これ、お屋敷の中のことまで……?」
メイは、答えの代わりに紙束を指で弾いた。
「……彼、ここ十年まるで成長してないわ」
「あの、でも……お父様は、その、英雄で……」
「英雄という称賛に甘えてしまったのね。四人の妻、数えきれない愛人、女の奴隷――この紙束の半分は、女性関係の記録よ」
「……!」
「その間、あなたのお父様が鍛錬しているところ、見たことがある?」
答えられないリリアに、メイは指を一本立てた。
「あなたは、お父様を超えられる。そして、あなたのお母様が、あの屋敷から堂々と出ていけるようにすればいいのよ」
息が、止まった。
お母様が、堂々と?
自分が逃げることなら、何度も考えた。現に、こうしてここにいる。
けれど、母と一緒に出るという発想は、一度も浮かんだことがなかった。
(お母様は、あそこにいる人だから)
そう思い込んでいた。
いつも屋敷の奥にいて、微笑んで、動かない人。
――知らないところで、母は動いていたのに。
「わたし、お母様と……」
声に出してしまってから、自分で驚いた。
メイは、ふっと微笑んだ。
立ち上がり、扉のほうへ顎をしゃくる。
「さて、まずは見せてちょうだい。あなたの持っているものを」
老婆が、カップを片づけながら笑う。
「それなら、ついでに明日の朝食も獲ってもらえると助かるねぇ。食材のほとんどを誰かさんが食べちまったから」
途端にメイの顔が赤くなる。
「……そ、そんなに食べたかしら?」
老婆とリリアが顔を見合わせると、どちらからともなく、小さく吹き出した。
「な、なによ」
「い、いえ、その」
リリアは口元を押さえたが、間に合わなかった。
声を出して笑っている自分に、遅れて気づく。
屋敷を出てから、初めてのことだった。
「……まあ、いいわ」
メイは咳払いをひとつして、椅子を引いた。
「ちょうどいいじゃない。獲ってきましょう」
「え、獲るって……何を、ですか?」
「魚に決まっているでしょう」
老婆が、物置のほうを指さした。
「銛が二本ある。錆びちゃいるが、刺さりゃ同じさ」
メイはそのうちの一本を手に取り、確かめもせずリリアへ放って寄越した。
リリアは、慌てて受け止める。
思ったより、重い。
「リリア、泳げる?」
「……たぶん」
「結構よ。それも含めて、見せてもらうわ」
浜は、静かだった。
波が寄せては引き、月明かりが濡れた砂を白く光らせている。
短くなった髪の隙間を、潮風が抜けていった。首筋が、やけに涼しい。
メイは裾をたくし上げ、無造作にベルトへ挟み込んだ。
月明かりに晒された脚は、白く、しなやかで――思っていたより、ずっと細かった。
けれど、ふくらはぎには、薄く筋が浮いている。
メイは、迷いなく水へ入っていく。
波が寄せても、その脚は揺らぎもしない。
「さて、先に三匹獲ったほうが、明日の分を多く食べていいことにしましょうか」
銛をくるりと回し、メイが振り向いた。
月が、真正面から顔を照らしていた。
風に流れた髪が、頬にかかっている。まつげの影が、目元に落ちていた。
――綺麗。
リリアは、返事を忘れていた。




