シャラップ・モスキート
冨田莉夏は原子と化して霧散した。
スパッゲティ化現象を目の当たりにした感想としては、
まぁ割と満足できる絵面を拝めたので愉しめはした、といった感じだ。
今、私の内で、充足感と比肩して感情を占めているのは、
彼女が口走った、よっぽど悔しかったのねといった一言に対する怒りだ。
……これは私の悪い癖だ。
せっかく何かを成し遂げても、成し遂げた充足感に
フォーカスをあてるといったことができない。
だいたいいつも、別の負の感情が介在してくる。
嗚呼、駄目だ。この悪癖と向き合わないと、インポスター症候群になってしまう。
閑話休題。割とテンションが昂ってるので、思考がとっ散らかってしまっている。
そしてそのとっ散らかった思考を煽るように、冨田絵梨の一言がリフレインしている。
よっぽど悔しかったのね。
怒りをコントロールする為にはまず、怒りがなんなのかを明確にすること……
いつの日か、そうカウンセラーに言われたことを思い出す。
アンガーマネジメントというららしい。
よっぽど悔しかったのね。
駄目だ。この反響は些細なものではあるはずだが、
私の意識はどうしてもそこに向かってしまう。
まるで寝ている最中に、耳元にやってくる蚊のようだ。
蚊です。蚊。そう、蚊。
私はそう言うも、冨田絵梨はただ俯いている。
聴衆の明らかな反感を目の当たりにしながらも、
貫徹する校長先生のお話の如く、私は続ける。
たぶん、誰しも経験はあると思います。
寝苦しい夏の夜、やっと入眠することができたと思ったら、
蚊が何度も耳元を横切ってきたせいで、起こされてしまうといったアクシデント。
こうなったら、どうします?殺しますよね。
それは、安眠を確保するためであると同時に、
眠りを妨げられたという怒りを発散するためでもあるかと思います。
冨田絵梨はただ俯いてる。
問題は、どう殺すかです。
この手で潰そうにも、部屋の中で蚊を探すのは割と労を要します。
でも、先人は素晴らしい物を作り出してくれました……えぇと……
大体、どこの家にも置いてあるはずだ。
辺りを見渡すと床に屹立している円柱型のそれを見つけた。
これです、これ。アースノーマット。私もすごくお世話になってて。
蚊が出てきた時に起動すると、その些細な地獄からすぐに解放してくれます。
最初から点けとけ?まぁその辺はご愛嬌で……
冨田絵梨はただ俯いている。
聞いてますか?
私はタクシーの運ちゃんを経て学んだ、
自身に改変を宛がうといった応用を用いて、
冨田絵梨の下顎を、思いっきり引っ叩いて抉った。
千切れた肉片と歯が勢いよく床にひしゃげる。
彼女は舌を露わにして、なにやら唸っている。
改めてみると、エグイ様相を呈してますね。
鼻と下あごがないし、片足もない。
娘も失う……生きてても辛いだけじゃないですか?
冨田絵梨はただ俯いてる。
私が、介錯しましょうか。
冨田絵梨はただ俯いてる。
私はアースノーマットを毒ガス蒸散器へと改変した。
冨田絵梨の傍へ設置しようと近づくと、彼女の片足が目に入った。
彼女の足を捩じ切るのではなく、スパっと両断していたら、
この惨状を目の当たりにする前に、出血多量で死ねただろうに。
傷口が魚肉ソーセージの先端のように窄んでしまい、
結果、止血が施されてしまっている。
私は、私が思い描いたように事物・事象を改変することができる。
ただ、その際の思考がどこまでどのように及ぶかといった、
デティールは把握できていないのが正直なところだ。
思い描いたことがどういった原理で行われているのか。
改変された結果は、どこまでが意識でどこまでが無意識なのか。
実際、能力を行使する際に、無意識が混在した状態で表出することはよくあることだ。
例えば、この彼女の片足の切り口だ。
これはもしかしたら、私が無意識のうちに、
出血多量で、この寸劇から退席しないように願っていたからかもしれない。
よっぽど悔しかったのね。
兎に角、今はこの残響と、その度に強くなる脈動をどうにかしたかった。
彼女の傍で、アースノーマットだった物のスイッチを入れる。
毒については、彼女にのみ効くように設定してある。
それこそ、この毒についても、私は自分で産み出しておきながら把握しきれていない。
ただ、小さいころに金曜ロードショー放送されていた、
ザ・ロックとかいう映画に出てきたVXガスとかいうものを、
なんとなく思い浮かべただけに過ぎない。
よっぽど悔しかったのね。
まぁなんでもいい。
私は彼女に一瞥して、その場を後にした。
冨田絵梨はただ俯いてる。




