おかあさんがいない
私は、柴犬。だから私はめったに尻尾なんかふらない。
尻尾をふるのは、人間にこびるワンコがすることだ。私はこびない。たとえ外村家の人間といえども、こびて尻尾をふったりしない。
私たちは嬉しいとき、興奮したとき尻尾を振る。だけど私は柴犬。自分の感情をさらけ出すなんて、そんな無防備なことしないのだ。
そう、おやつをくれたって、おもちゃをくれたって。
私はめったに尻尾をふらない。目を「きらん」と輝かせる、そんな程度。
ある日、おかあさんが、大きいカバンをガタゴトさせてお出かけした。私は、なんかそわそわ。
いつものお買い物?それにしては、カバンが大きいね。
ひさびさのランチ?それにしては、もう夜だけど?
「じゃあねー、パンちゃんいい子でね!」
おかあさんが頭をなでなでしてくれた。なんかそわそわ。
ドアがパタンと閉まる。
そしてその晩、おかあさんは帰ってこなかったんだ。
「おはよー!パンちゃん」
いつもはねぼすけの丸美が起こしにきた。
「散歩、行くよー!」
はいはい。ん?なんか違う。思い出すゆうべ感じた、そわそわ。なんでそわそわしたんだっけ?一晩寝て起きたら、忘れちゃったよ。
「パン、ハイごはん!」
散歩から帰ったら、おとうさんが朝ごはんをくれた。やったー!ごはんだー。パクパク、パクパク…。
なんか違う。きのう感じた、そわそわ。でも思い出せない。
「じゃあ、行ってきまーす!」
おとうさんが、いつものように出ていった。
「じゃあ、パン。私も行ってきまーす」
丸美がいつものように出ていった。
静かになる部屋。
「…」
寝るか。
って、なんか違う。キョロキョロ。キョロキョロ。
「!」
そうだ!おかあさんがいないじゃん?いつもはさ、
「はあー、やっと出かけたわい」
って言って、洗濯して、テキトーに掃除して、「アチー」ってソファーにゴロンってするのに。
おかあさんがいないんだ。
そういや、散歩に行くのも、ごはんくれるのもおかあさんだったのに、
今日は珍しく丸美とおとうさんだったっけ?
それだったんだ!そわそわの原因!
「おかあさーん」
私はおかあさんがいつも寝てる部屋に行ってみたよ。「…」いない。
クンクン。おかあさんの匂い、しない…。
「…」
寝るか。
そわそわの原因は、わかったもん。そのうちおかあさんは、帰ってくるでしょう。
「外、あつーい」
って言いながらさ。
でもその日も、おかあさんは帰ってこなかったんだ。
丸美が、夕方も散歩に付き合ってくれたよ。そしてごはんもくれたんだ。
あの丸美が。
「ガチャ、アチ!ガチャ、いて!」
そして台所で料理してるよ、あの丸美が。
私は、ソファーの下であぶなっかしい丸美の料理をハラハラ見ていた。
おかあさーん、どこ?早くごはん作らないと、丸美が大変だよ?
その時だった。
「ただいまー!」
「!」
おかあさんだ!私はソファーの下から急いで飛び出て玄関に行ったよ。
「おお、パン。ただいま」
「ワン」
なんだ、おとうさんかい。いや、嬉しいよ?嬉しいけど、おかあさんは?
それから丸美とおとうさんは二人でごはんを食べて、お風呂入って、寝ちゃったんだ。
え、おかあさんは?
電気が消された。
「…」
寝るか。寝よ。明日目が覚めたら、おかあさんが帰ってきているよ、きっと。
でも、目が覚めても、おかあさんはいなかった。
次の日も、次の日も。
「…」
丸美、おかあさんどこ行ったの?どうして帰ってこないのさ?
丸美は本当に忙しそう。答えてくれるわけがない。学校行って、宿題やって、散歩して、ごはん作って、シャワー浴びて…。
おとうさんも本当に忙しそう。仕事行って、お皿洗って、散歩して、ゴルフ行って、アイロンかけて…。
「…」
仕方ない。私はソファーの下でおとなしくゴロンとする。そしてその日も、電気は消された。
寝るか。
「パンちゃん、散歩行くよ」
丸美がリードを引っ張る。はいはい。いきましょ。
「パン、ごはんだよ」
おとうさんが、ごはんをくれる。はーい、いただきます。
「じゃあ、行ってきまーす」
おとうさんと丸美がいつものように出かけて行った。
こんなんだった、私の日常。そう、こんな風にして、私の1日は終わっていく。
「…」なんか忘れているような気がするけど、思い出せない。
なんか、ぽっかり穴が空いたような気がするけど、思い出せない。
だから、静かになった部屋で一人、寝る。
そして、丸美とおとうさんと私の、3人の生活が当たり前になっていたある日。そう、あの無性にそわそわした日からちょうど10日後、あの人は突然帰ってきたんだ!
「ヒエー、あっちー」
ゴトゴト。
「あれ、このカギ、どうやって開くんだっけ?」
ガチャガチャ。
「!」
ウー。私はドアのこっちで、マックス警戒したよ。ソファーから出て、臨戦態勢。
ドアが開いた。
「パンちゃーん、ただいまー!」
「!」
「パンちゃーん、会いたかったよー」
「…」
その時だった。
尻尾が。私の尻尾が…。
ブンブン!ブンブン!
私の意思に反して、ぶんぶんふれたんだ。
フリフリ、フリフリ。
止まらないー!
おかあさんですよねー、あなた?
おかあさーん、どこ行ってたのー?
おかあさーん!
おかあさんが頭をくちゃくちゃしてくれる。すかさず私のピンっと立った耳はペタンと寝て、丸くなるよ。
おかあさんがほっぺの肉をビローンと伸ばしてくれる。口がぱかっと開いて、ベロがダラーと出てきちゃう。
「パンちゃん、珍しく尻尾ふっとる!」
おかあさんが笑った。「…」そろそろ、そろそろこの尻尾を止めなければ。
いくら相手がおかあさんといえども、こんなに長い時間尻尾をふり続けるわけにはいかない。
私は、柴犬。こんなことで、取り乱したりは、…。
ふりふり、ふり…。
よし、止めた。さすが、私。
その日は、おとうさんとおかあさんと丸美と私。4人でソファーに座っておしゃべりしたよ。
なんでも、おかあさんは日本てところに行ってたんだって。
そうだったんだ。それならそうと言ってくれればよかったのにさ。ふん、あわてて尻尾をふってしまったじゃないのさ。あーあ、そろそろ寝ようかなー?
その時おかあさんが言った。
「そうだ!パンちゃん、お土産あるで。日本のヘルシーカラアゲだって」
「!」
ふり…。
「あ、パンが尻尾ふ…」
ふってません、ふってません。私、ぜったいふってません!
でもそのお土産とやらは、食べてあげてもいい。はい、眠いのにがんばってお座りしたよ。待ってるよ。
目を「キラ」とさせるぐらいはしてあげるよ?




