仲忠(その2)
十六になった年、二月に初冠(平安時代の男子の成人式)をしていただき、仲忠という名になりました。上達部の子なので、特別に五位の位をもらい、昇殿の許しを得ました。帝も、春宮も、わたしを召され、かわいがってくださいました。帝は、父君に、
「今までどこにいた子を、このように立派に仕立てて連れてこられたのか。」と問われました。父君は、
「何年来、どこにいるのか知らずにおりましたが、昨年、見つけ出しました。ものごとを心得てから公の場に出したいと母親が申しますので、もっともだと思い、屋敷に籠らせておりました。」と申し上げる。帝が、
だれの腹から生まれたのだ。」とお尋ねになるので、父君が、
「故治部卿俊蔭の娘の腹でございます。」とお答えすると、帝はたいそう驚かれました。
「本当か。その朝臣は、唐土から帰ってきて、嵯峨の院が帝であらせられたとき、『この秘手を伝えよ』とおおせられると、『只今大臣の位をいただいても、伝えることはできません。』と奏上して、退出したきり参内しないで、中納言になるべき身を沈めた人物である。たいそう学問に優れ、娘が一人いた。七歳から琴を習い、俊蔭の手に優って弾いたという。俊蔭が、『この子はわが面目を立てる子だ。この娘から手を習うべきである。』と言ったと聞いたので、俊蔭が生きているうちに手紙を送り、亡くなったと聞いて娘を尋ねたが、いなくなったと聞いていた。兼雅のところに隠れていたのか。まことに興味深いことである。かの秘手は、三代目であるその子には、まして素晴らしいのであろう。」とおっしゃいました。父君は、
「そうであるべきですが、格別だというわけではございません。伝承した者として、一手か二手は弾きましょうが。」とお答えしておりました。




