62/63
俊蔭の娘(その39)
兼雅殿は、内裏に帰られる道々、洞窟のわたくしたち母子を思い出し、悲しく物思いに沈んでいらっしゃったそうです。自分の御屋敷に帰られてから、つくづくと思いを巡らし、やはり悲しく、どうやって迎え入れようかとばかり考えて、妻妾の所にも行かれず、他の事は考えられずにおられたそうです。
(右大将で、色好みですから、もちろん一夫多妻のこの時代、独り身でいるわけがないのです。)
まず、どこに住まわすかを考えてみるに、
『一条の御屋敷には、たくさんの家があり、嵯峨院の女三宮をはじめ、その親王(天皇の孫・ひ孫)たち、上達部の娘、たくさんの召人まで集まっているから、このような騒がしいところにはお迎えできまい。』と思われました。
『三条堀川のあたりに、また大きな屋敷がある。わが娘が春宮に入内するときに渡そうとここ数年造り磨き、調度品も整えてきたので、そこに迎え入れよう』と考え、ここを整えられたそうです。
そのあと、三日ほどたってから、お供に腹心である二人だけ連れて、馬に乗り、わたくしのための袿、袴、小袿、指貫を、子のために、絹の指貫、摺りだした模様のついた狩衣、袿、袴などを袋に入れ、持たせて、どこに行くのか言わずに、干飯(携帯用の干した米)を餌袋に入れ、お忍びで出かけていらっしゃいました。




