俊蔭(その6)
わたしは、阿修羅を伏し拝んで言いました。
「日本からこの山を尋ねたのは、大きな望みがあるからなのだ。わたしは、父母が愛する子として、一生にただ一人の子である。親が厚く深い慈悲の心を持って遇しているのを捨てて、帝のご命令の尊さにしたがって唐土に渡ったのだ。その父母が、血の涙を流して語ったことは、『お前が不孝の子であるなら、親に長い歎きを与えよ。孝行の子であるなら、親の嘆きが浅いうちに会いに来い。』と。それなのに、わたしは大風、大波に会い、多くの仲間を失って、我一人知らぬ国に漂着して、長年を過ごしている。ということは、わたしは不孝の子だ。この罪を償うために、倒された木をいただき、長年苦労させた父母に琴の音を聞かせて詫びたいのだ。」と言ったのです。
すると、阿修羅はますます怒って、
「お前が子々孫々の命を懸けたとしても、この木を一寸たりとも得ることはできぬ。なぜかというに、尊き釈迦牟尼が仏におなりになった日、天稚御子が地に下られ三年の間掘られた谷に、天女が音声楽をして植えたという木である。そのとき、天女がおっしゃったことには、『この木は阿修羅の世界の始まりから終わりまでの一万倍の長きにわたる罪の半ばを過ぎたころに、山の西に向かう枝が枯れるであろう。その時に木を倒して、三つに分けよ。上のこずえの方の枝は、仏法僧の三宝から初めて三十三天までに奉れ。中の品は、前世の親の御恩のために差し上げよ。下の品は、未来の子孫のために与えよ。』とおっしゃったのだ。
我を山守とされ、春は花園に、秋は紅葉の林に、天女が空から下り、遊ばれる所なのだぞ。ここにやってきたことさえ罪であるのに、何万年もかけて育てている木だ。わが罪を滅さんため、阿修羅の身を免れんため、守り育てているが、我は一片の切れ端も得ることはかなわぬ。なんだと言って、ひとかけらでも、お前に与えることができよう。」と言って、今にも食い殺そうとしました。




