俊蔭の娘(その4)
若小君は、賀茂神社に着いて神楽を奉納されたのですが、昼に一目お見かけなさったわたくしを忘れがたくお思いになり、どうにかもう一度会いたいと思われたそうです。
賀茂神社からお帰りになるとき、他の方から遅れ、皆通り過ぎてしまってから、父の庭に入られました。秋の空は静かで、周りを見渡されますと、父が心を込めて造った庭ですから、雑草が生い茂ってはいるものの、木立も、水の流れも、草木も趣深く見どころのあるものでございます。蓬の中から秋の花がわずかに咲きいでており、広い池に月が麗しく映っておりました。秋風に風が混じり、虫の声が響いておりました。
静まり返っておりましたので、若小君が、
虫だにも あまた声せぬ 浅茅生に 一人住むらん 人をこそ思え
(秋の虫でさえも、あまり鳴いていないような寂しいところに、一人住んでいらっしゃる人は、どんなにか寂しいおもいをしていらっしゃることだろう。)と
ひとり呟いていらっしゃる声が聞こえたような気がしました。
そんなことがあろうとも思わず、気のせいだと思って琴をひそかに弾いておりました。すると、東面の格子の一間に入って来られました。
若小君は、
「あかなくに まだきも月の 隠るるか 山の端にげて 入れずもあらなん」
(まだ満足していないからもっと眺めていたいのに、どうしてこんなに早く月が隠れてしまうのだろう。山の端よ、どうか逃げていって月を中に入れないでおくれ。 )と古今集の在原業平の歌を口ずさんで簀子の端に座られました。
「このように隠れ住んでいらっしゃるのは、どなたですか。名前をお教えください。」などとおっしゃいますが、わたくしは驚いて、返事もできませんでした。




