俊蔭(その22)
こうして、朝廷にも出仕せず、官位も辞して、三条大路の末、京極大路のあたりに、広く趣のある家を造り、娘に琴を習わせました。娘は、一度教えた曲を一度で習得し、一日に大曲を五つ、六つ習い取りました。一緒に琴を弾く音は、父である私の音よりも優っておりました。そうして、わたしの手を、一つ残さず習い取ったのです。
このころ、私の家は貧しく、娘の衣服も十分に仕立てることができないほどでした。しかし、十二、三歳になるころには、娘のいる辺りは光り輝いて、見る人がまぶしく直視できないほどでした。心ばえがよいことは世に知れ渡り、帝や春宮から入内させるようにと言われました。
帝や春宮から御文が来たのですが、わたしは返事をいたしませんでしたし、娘にも返事をさせませんでした。ましてや、上達部や皇子たちの御文は、見もしませんでした。
というのも、娘の事は、天道(天の与えた運命)に任せていたからです。天の掟にあれば、国母(天皇を産んだ女性)や女御にもなるであろうし、掟がないのならば、山の民や地の民の妻となればよい。わたしは貧しい身であるから、身分の高い方との付き合いはできませんとお断りしておりました。
身分のある方が何をおっしゃっても、聞き入れず、家の門をすべて閉ざし、帝や春宮はもちろんのこと、大勢並ぶ使いに会うこともなく、ただ琴を習わして過ごしていました。
そうこうしているうちに、やはり朝廷に必要な人だと言われ、治部卿に任じられ、参議を兼任したのです。




