俊蔭(その15)予言
続いて仏がおっしゃるには、
「そうではあるが、実は、昔、大尊般若と言う仙人がいた。やはり昔、慳貪邪見(けちでよこしまな)という王がいた。国が滅び、たくさんの人や生きものが飢えたときがあった。その時に、この仙人は、数えきれないほどの人や生きものに食べ物を施し、尊勝陀羅尼の経典を一心に唱えて七年過ごした。そのときに、この日本の人は、この仙人のために菜を摘み水を汲んでお仕えして功徳を積んだので、人に生まれ変わることができたのだ。
今でも、次に人に生まれ変わることは難しかったのだが、この山に入り、仏や菩薩に注意を促し、怠惰で邪見である阿修羅に憐みの心をおこさせたことによって、この山の七人は、残っていた罪を滅して殿上に帰ることができる。
日本の人は、この功徳によってこののち、何代にもわたって、仏にお会いし、説かれる法を聞くことができるであろう。また、この山の七人にあたる人を、三代の孫に得るであろう。その孫は、人の腹から生まれるべきものではないが、この日本の国との縁によって日本に生まれ、その果報は豊かであろう。」ということでした。
わたしは、持っていた琴を、仏と菩薩に一つずつ献上しました。そして、仏はすぐに雲に乗り、風に乗ってお帰りになるときに、再び天地が揺れたのでした。
(複雑で難しいお話です。平安時代の姫君たちは、一度で理解できたのでしょうか。そして、子の孫が生まれるまで、この予言を覚えていたのでしょうか。葉月は後で気付いて慌てて改定。)




