09 山の朝、俺の知らないところで何かが起きている
「……?」
なんと、俺の毛布の中で丸くなっていたのはコルネだった。
(まて。まてまてまて!)
あまりの事態に、一気に目が覚めた。
俺の動揺に気づいたのか、コルネはうとうとした瞳で俺を一瞥すると、不機嫌そうに呟いた。
「……毛布、めくるな。寒いねん」
そう言って、彼女は俺の腹のあたりにぐぐっと顔をうずめ直す。
(もう一眠りする気かよっ!?)
心の中で大惨事にパニックを起こしていると、彼女は目を閉じたままボソリと付け加えた。
「あ……変なとこ触ったら、殺すで……?」
「……っ!!」
物騒な脅迫を残し、コルネは再びすやすやと寝息を立て始めた。
それから朝が完全に明けるまで、俺が一睡もできなかったのは言うまでもない。
◇
「いてっ、いてててっ……」
完璧な筋肉痛だった。
一歩足を踏み出すたびに、全身の節々から悲鳴が上がる。昨日の丸一日の山歩きに、大物の解体。これまで経験したことのない重労働のツケが、一気に押し寄せていた。
「荷物、少し持ってやろうか?」
——なんて優しい言葉を、コルネがかけてくれるはずもない。
「何をもたもたしとるんや。キビキビ歩け!」
彼女は今日も鼻歌交じりで、容赦なく先頭をぐんぐんと突き進んでいく。
ひっきりなしに吹き出す汗。火照った身体にひんやりとした秋風が心地よいが、喉の乾きは限界だった。これが夏なら干からびて死んでいただろう。水筒の水は、恐ろしい勢いで減っていった。
昼前。先を歩いていたコルネが、ピタリと足を止める。
「はぁ、はぁ……どうしました、コルネさん……?」
「水の音。川やな」
そう言うやいなや、彼女はササッと藪の中へ入っていく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ!」
慌てて後を追うと、そこは急な下り斜面になっていた。足をもつれさせ、危うく転がり落ちそうになりながらよたよたと追いかける。
そのまま藪を抜けると、突然視界が開けた。
「おおぉ……」
思わず感嘆の声が漏れた。
森の間を縫うようにして、清流がそよそよと流れている。透き通った水面が太陽の光を浴び、キラキラと眩しく輝いていた。
見れば、コルネはすでに川に顔をつっこんでガブガブと水を煽っている。
「ぷはぁっ! 生き返るわ!」
俺もたまらずコルネの横に突っ伏し、水面に顔面から飛び込んだ。
キンと冷えた水が喉を駆け下りる。
「うまい……っ!」
細胞のひとつひとつに水分が行き渡っていく感覚。しばらくの間、俺たちは並んで川に顔を突っ込んでいた。
たらふく水を飲んだ後は、靴を脱ぎ捨ててザブザブと川に入る。
「つめたっ、冷たぁっ!?」
叫びながら、泥と血で汚れていた手足や顔をごしごしと洗った。身体がさっぱりとしていく快感——しかし、歓喜は一瞬だった。
「さぶっ! さぶうぅっ!」
冷水で濡れた肌を、容赦なく冷たい秋風が叩く。
「アルジャン、焚き火や! 焚き火作るで!」
「は、はいっ!」
大慌てで乾いた枝を集め、火を起こした。
パチパチと薪が爆ぜる。
「「ふぅー……落ち着いた……」」
二人で並んで火に手をかざし、ほっと息をついた瞬間。
——ぐうぅぅぅぅぅ。
俺の腹の虫が、盛大に鳴り響いた。
「よし、お昼にしようか」
コルネが高らかに宣言する。そして、ふむと川に視線を送った。
「魚、食べたいな」
「え、魚……取れるんですか?」
「まあ、見とき」
コルネは手頃な太さの枝を拾うと、ナイフで先端に深々と十字の切れ込みを入れた。割れ目に小さな石ころを挟み込んで先端を四つに押し広げ、手際よくその一本一本を尖らせていく。
「よし、即席のモリの完成や」
「へぇ……ただの枝が、あっという間に四又のモリに……」
俺が感心する間もなく、コルネはすっと目を細めた。
「……あそこにデカいヤマメがおる」
コルネは足音を完全に消し、息を殺して浅瀬へとにじり寄る。彼女は川岸の濡れた岩の上に指の爪をしっかりと立て、水面を覗き込むように体を低くかがめた。
ゆらゆらと揺れる一匹のデカいヤマメ。
次の瞬間——ヒュッ!
手元が残像になるほどの速さで、モリが水面を穿った。
「……捕れたで」
引き上げられたモリの先端には、四つの爪にガッチリ挟まれ、銀色の体を踊らせるヤマメが突き刺さっていた。
「うわっ、一撃……!?」
コルネはその後も鮮やかな手さばきでモリを繰り出し、あっという間に合計四匹のヤマメを仕留めてみせた。
◇
串刺しにされたヤマメたちは、焚き火の周りに並べて突き立てられる。
じっくりと火にかけられた表面の塩が白く浮き上がり、やがて皮がぷつぷつと小さな泡を立てて香ばしく焼き上がっていった。皮の破れ目からじわじわと溢れ出す脂が火に落ちるたび、パチッと心地よい音と甘やかな煙が立ち上る。
「よし、食い頃やで!」
手渡された熱々の串を握り、俺はがぶりと頭からかぶりついた。
パリッ……!
香ばしく焼き固められた皮が弾け、中からふっくらとした真っ白な身が顔を出す。
噛みしめた瞬間、皮の塩気と川魚特有の品のある甘みが口いっぱいに広がった。臭みなんて欠片もない。ほくほくの身は舌の上でほろりと解け、噛むほどに清流の豊かな味わいが溢れ出してくる。
「っ……うまい! 身がすごく甘くて、皮の塩加減が最高です!」
「ふふん、ヤマメは遠火でじっくり皮をパリッと焼き上げるのがコツなんや。ワタの苦味も絶妙やろ?」
「本当だ……! このかすかな苦味がまた溜まらないです!」
ハフハフと息を吹きかけながら、夢中で骨までしゃぶり尽くす。昨晩の豪快な鹿肉とはまた違う、半日歩き倒した身体にじんわりと染み渡るような優しい美味さだった。
◇
腹が膨れたところで、コルネがニヤリと口角を上げた。
「アルジャン。お前も魚獲ってみぃ」
そう言って、彼女から即席のモリを渡された。
コルネの鮮やかな手さばきを見ていると、なんだか自分にも簡単にできそうな気がしてくる。
「やってみます!」
俺はモリを握りしめ、コルネと同じ岩の上に陣取ると、水面を覗き込むように低く身体をかがめた。
——いた。一匹のデカいヤマメだ。
水中でゆらゆらと揺れる魚影が、はっきりと見えた。
(ここだ……っ!)
狙いを定め、俺は勢いよくモリで水面を穿った。
しかし——モリは虚しくすり抜け、ヤマメは驚いて一瞬で逃げ去ってしまう。
(あれ……?)
気を取り直して何度も試してみるものの、結果は全滅。しっかりと狙っているはずなのに、なぜかモリはことごとくヤマメをすり抜けていくのだった。
「コルネさん……全然獲れません」
「まあ、最初はそんなもんや。練習あるのみやな」
「……はい」
そう言われたものの、そこに魚はいるのだ。目と鼻の先にいるのに獲れない。
自分の不甲斐なさと歯がゆさに、むくむくと悔しさがこみ上げてきた。
俺は意地になって、何度も何度もモリで水面を穿ち続けた。
その時、後ろからコルネの声が飛んできた。




