10 ついに山を抜けました
「水の中のものはな、光の悪戯で実際より浮いて見えてるんや。見えた魚をそのまま狙うんやなくて、そのちょっと下のお腹を狙って一気に突いてみ」
(光の悪戯……ちょっと下……!)
なるほど、と合点がいった。
俺は深く息を吐き出し、集中力を研ぎ澄まして再びモリを構える。
水流の向こう、ゆらめくヤマメ。
見えている魚影ではなく——その、わずかに下の空間。
(お腹を狙って、一気に……!)
シュバッ……!
空気を切り裂く手応え。直後、ずっしりとした確かな重量感が手に伝わってきた。
引き上げて見ると、四つの爪の間に、銀色のヤマメが見事に突き刺さって暴れていた。
「や、やったぁぁあ!」
俺は叫び、飛び上がって喜びを爆発させた。
自分の手で獲物を仕留めた感覚。これは……たまらなく気持ちがいい!
「ほう、ようやったな。さあ、焼いたろ」
コルネが、満足そうに目を細めた。
焚き火で香ばしく焼き上がったヤマメに、大口でかぶりつく。
苦労の末に自分の手で獲ったヤマメの味は、先ほど食べたものよりもさらに一層、格別の美味さに感じられた。
◇
それからも、二人の山越えの旅は続いた。
歩く、狩る、捌く、食べる、寝る。
日々の営みは、ただその繰り返しだ。
道中、様々な魔物にも遭遇した。
鹿ロードをはじめ、猪ロード、兎ロード、栗鼠ロード。
けれど、そのいずれもコルネが弓と短剣で難なく仕留めてしまった。俺はと言えば、ただ剣を構えて立っているだけ。……だが、その「立っている姿」だけは、我ながら随分と様になってきたと思う。雑草から、立派な『敵の気を引く標的』くらいには進化した自負があった。
解体作業も、獲物によってそれぞれ癖があった。
鹿ロードの皮は手作業で引っ張ればスルスルと剥がれたが、猪ロードは頑固な脂が皮にへばり付いているため、ナイフの刃先で丁寧に削ぎ落とさなければならず実に面倒だった。逆に兎ロードや栗鼠ロードなどは、靴下を脱がせるように皮を引っ張るだけで一気に剥けたので非常に楽だった。
肉の味も、それぞれ全く違う。
コルネ曰く——
「鹿は赤身の旨味がダイレクトに来るやろ? 狩人の基本にして一番飽きん味や」
「兎はクセがなくて一番品が良い肉やな。ささみみたいにさっぱりしとる」
「栗鼠は、肉から香ばしいナッツの匂いがするんやで」
「猪の真骨頂は脂身や! 煮込めば煮込むほど脂の甘みが溶け出して最高なんや」
実際、どれもコルネの言う通りだった。
俺たちは獲れた肉を直火で焼いたり、鍋で煮込んだり、余った肉は干し肉にしたりした。どれも甲乙つけがたく美味かったが、俺はやはり、鹿ロードの直火焼きが一番好きだ。あの過酷な一日の終わりに口へ運んだ時の衝撃が、いまだに忘れられないのだろう。
◇
旅の途中で、小動物を捕らえる罠の仕掛け方も教えてもらった。
しなりの強い若い木の枝を折り曲げ、仕掛けと結んだ紐の輪を作るのだ。動物の目線になって「一番歩きやすい道」に仕掛けておくと、翌朝、兎や栗鼠がかかっているという寸法である。
知恵を絞って仕掛けを工夫する面白さ、そして翌朝、期待に胸を膨らませながら仕掛けを回収に向かうあのワクワク感。俺は、もしかしたら直接武器を振るう狩りよりも、こちらのほうが好きかもしれない。
そして、夜。
毎晩のようにコルネは俺の毛布に潜り込んできて、勝手に抱きついて眠る。
こればかりは、今でも慣れない。
◇
そんな旅が続いて一ヶ月ほどが経った頃。
俺たちはついに、果てしなく続いていた山脈を抜け切った。
樹木の隙間を抜けると、目の前にどこまでも広がる広大な平原が躍り出た。
見上げれば空はどこまでも高く、肌を刺す風には冬の足音がはっきりと混じっている。
「ふぅ……冬が来る前に山を越えれてよかったわ。山で越冬なんかしたら死んでしまうからな」
コルネが安堵のため息をつき、肩の荷を下ろすように伸びをした。
振り返れば、本当に長い道のりだった。
最初はただの苦行でしかなかったサバイバル生活。全身の筋肉痛にのたうち回り、絶望していた日々。
けれど……いつの間にか、それは苦ではなくなっていた。いや、むしろ楽しかったのだと、どこかで実感している自分がいた。
まさか、そんな風に思える日が来るなんて思いもしなかった。
しみじみと山並みを見返していると、コルネがふと俺の顔を覗き込んできた。
「お前、ちょっと……痩せたか?」
「いや……過労でやつれただけだと思いますけど?」
「ふふ、そうか」
コルネは心底おかしそうに鼻を鳴らすと、くるりと背を向けて平原へと歩き出した。
「さあ、そしたら行こうか!」
「あ、待ってください!」
背中の荷物を背負い直し、後を追う。
駆け出す俺の足取りは、山に入る前よりもずっと、軽やかに感じられた。
◇
平原を半日ほど進むと、雪混じりの風の向こうに、重々しい石造りの街並みが見えてきた。
冒険者ギルドの受付で教わった通りの場所だ。
町の名は、『霜降の宿場・スノーグレイヴ』。
春から秋にかけては周辺の集落からの行商人や開拓隊でにぎわうが、冬には豪雪によって周辺一帯が深い雪に埋もれ、町全体が外界から切り離された「半孤立状態」となるらしい。
そして、これからまさにその冬がやってこようとしていた。
「冬の間はこの町で過ごすで。北の山に入るんは春になってからや」
並んで歩くコルネが、白い吐息を吐き出しながら北の空を見上げて言った。
スノーグレイヴに到着した俺たちは、まず真っ先に宿屋を探した。冬を越すとなれば、それなりの長期滞在になる。だが、心配はない。俺の懐には、実家からの軍資金——王国金貨が、ずっしりと革袋を満たしているのだから。
町のほぼ中央、大きな広場に面した場所に目的の建物があった。
古びた木の看板には、『宿屋・交易窓口』と掠れた文字で書かれている。
「交易窓口も兼ねてるんか。珍しいな」
「一箇所で済むなら好都合ですね」
からんと控えめな鈴の音を立ててドアをくぐり、カウンターへ向かう。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
カウンターの奥から出てきて対応してくれたのは、一人の若い娘だった。
軽く束ねた栗色の髪に、温かそうな毛織物の服。同い年くらい——あるいは、少し上だろうか。
上品で、どこか落ち着いた柔らかい笑顔に、俺は思わず息を呑み、そのまま見惚れてしまった。




