23 もうすぐ、旅が終わります
(どういうことだ……?)
呆然としながら記憶を辿り、俺は約一年前、この呪いの判子を購入した際に店主の親父が口にしていた言葉を唐突に思い出した。
『ちなみに効果は約一年です。』
「コルネさん」
「んぁ……なにぃ?」
隣のベッドでうつらうつらしていたコルネが、心底不機嫌そうな声を漏らす。
「大切な話があります」
「だから、なんなん……?」
「『服従の判子』の効果が切れたようです」
「……なにっ!?」
コルネはガバッと跳ね起きた。
目を見開き、俺のベッドへ素早くにじり寄ってくると、めくられた俺の腹を穴があくほど凝視する。
「ど、どういうことなん!?」
「有効期限が約一年だったみたいです」
「有効期限て……」
あまりの思いがけない事態に呆気にとられたのか、コルネは絶句したままふらふらと自分のベッドへ戻っていった。
ベッドの端に腰掛け、膝を抱えてしばらくフリーズしていたが、やがて何かを決心したように顔を上げた。
「……アルジャン」
「はい」
「お前……もう、帰ってもええで」
「えっ」
思いもよらない言葉に、思わず声が裏返った。
(帰って……いいのか? 俺。これで晴れて自由の身ってことか?)
突然突きつけられた事実に動揺する俺をよそに、コルネはどこか寂しげに言葉を繋ぐ。
「ここからやったら、ウチひとりでも帰れるし……」
「それに、今のお前やったら……ひとりでも帰れるやろ」
そこまで言うと、コルネはどこか無理をしたような、優しく切ない微笑みを俺に向けた。
「……ここまで連れてきてくれて、ほんまにありがとうな」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が熱く揺さぶられた。
(俺は――コルネとずっと旅を続けたい)
死ぬような思いもしたし、怖くて逃げ出したくなる瞬間だってあった。それは紛れもない事実だ。
だけど、これまでの人生で、こんなにも胸が躍り、生きていると実感できる楽しい時間は一度だってなかった。
このかけがえのない時間を、ここで終わらせたくない。
気づいた時には、勝手に口が動いていた。
「コルネさん」
「……ん?」
「最後まで、送らせてください」
「……ええのん?」
驚きに目を見開くコルネに、俺は真っ直ぐ視線を返す。
「俺、コルネさんとの旅……すごく楽しいんです」
一瞬、コルネがきょとんとした。
「……そうか」
その表情が、ぱっと華やぐ。
「ほな、最後まで頼むわ!」
「はい!」
コルネは嬉しそうに笑ったあと、俺の顔を覗き込んでニヤリと不敵に笑った。
「アルジャン。お前……えらい男前になったなぁ!」
「ありがとうございます。最高の褒め言葉です」
互いの顔を見合わせ、俺たちは思わず吹き出した。
静かな夜に、二人の笑い声が響いた。
◇
翌日は、出立に向けての買い出しに出かけた。
朝の市場は活気に満ちあふれ、町の人や旅人たちで大いに賑わっていた。
この日、コルネは爽やかな青色のワンピースを着ていた。
見覚えがある。俺が彼女と出会った日に買った服だ。
「その服、懐かしいですね」
「ふふ。お前が初めてウチに買ってくれた服やからな。大事にしまってたんやで」
「すごく似合ってます。……可愛いです」
「ふふっ。お前も、いっちょ前に女を褒められるようになったやないか」
並んで市場を歩きながら、コルネがこれからの行程を説明してくれる。
「平原を四日。そのあと山に入って、三日くらいや。そしたらウチらの村『ヴェル=グラッド』に着く」
「もう、そんなに近くまで来ているんですね」
俺は立ち止まり、立ち並ぶ町の屋根の向こうにそびえる『ヴァルザック山脈』を仰ぎ見た。
(この旅の終わりは、もうすぐそこなんだ……)
ふと、言いようのない寂しさを覚えた。
「まずは、食料やな!」
そんな俺の感傷を吹き飛ばすように、コルネが元気に宣言した。
◇
市場には色鮮やかな果物や新鮮な野菜、香ばしい肉類など、見ているだけでも楽しくなるような食材が並んでいた。
「ようやく冬が終わったからな。この辺なら王国の金貨も普通に使えるで」
それは実にありがたい話だった。手元には王国金貨がたんまりとある。これなら心置きなく買い物ができそうだ。
「なんでも好きなものを買ってください」
「ふふ、そうさせてもらうわ」
「おやじ、どれが美味いん?」
「そうやなぁ、今の時期なら春苺が旬でめっちゃ甘いよ!」
「ええなぁ。それ、なんぼにしてくれる?」
果物屋の店先で、コルネが楽しそうに品定めをしている。俺はその少し後ろから、微笑ましい気持ちでその背中を眺めていた。この町に来てからのコルネは、本当に生き生きとしている。
「お兄さん、どこから来たん?」
不意に、鈴を転がすような愛らしい声に話しかけられた。
振り向くと、そこには猫人族の若い娘がふたり立っていた。身なりからして地元の町娘のようだ。
「人族なんて珍しいなぁ」
「よかったら、ウチらと遊ばへん?」
(ナンパ……!?)
これは俗に言うナンパというやつだろうか。人生で初めての体験に、胸が高鳴る。
ふたりの顔を見ると、どこか好奇心に瞳を輝かせていてとても可愛らしかった。
だが——俺が過ごしたいのは、この時間ではなかった。
「……ごめん。連れと一緒なんだ」
そう言って、店先で店主相手に一生懸命交渉しているコルネへと視線を送る。
「なんや、彼女と一緒かぁ」
「まあ、そりゃそうやわな」
「じゃあね、またなー!」
二人は手を振り去っていった。
ほどなくして、コルネが、戻ってきた。
「……ついて行かんでもよかったんか?」
「見てたんですか?」
「ウチひとりでも買い出しなんてできるで?」
「……いや、いいんです。今日はコルネさんと買い物するって決めてますから」
「……そうか」
コルネが嬉しそうに口元を綻ばせる。
その可愛らしい笑顔を見つめていると、また胸の奥がじんりと痛んだ。
もしかしたら、こんなふうに二人で街を歩くのも、今日が最後なのかもしれない。
「コルネさん」
「うん?」
「手、つないでもいいですか?」




