19 山小屋で、決戦が始まります
足音は聞こえない。
それなのに、暗闇の奥から『狼ロード』が一匹、また一匹と姿を現した。
ゆっくりと、だが確実に小屋を遠巻きに取り囲んでいく。
十匹——いや、二十匹はくだらない。
篝火の明かりを反射し、無数の眼光が不気味な赤色に光っていた。
ガタガタガタ……と、抑えきれない身体の震えが突き上げてくる。
食われる。
怖い——。
恐怖で身体が固まりそうになったその時、隣のコルネが静かに立ち上がった。
そして俺の頭に手を置くと、くしゃくしゃと力強く撫でる。
「大丈夫や。お前が作った砦や。……負けるわけない」
その声も、ほんの少しだけ震えていた。
——ああ、そうか。
怖いのは、俺だけじゃない。
それでもコルネは立っている。
なら、俺も立たなきゃ。
俺は大きく息を吸い込み、震える足に力を込めて立ち上がった。
二人で並び立ち、眼下に蠢く狼ロードの群れを見据える。
「ウウォォォォォォオオオ——ッ!」
俺たちの姿を認めた狼ロードたちが、一斉に天を仰いで咆哮した。
まるで「狩りの時間だ」と宣言するかのように、その凄絶な声が森全体を震わせる。
ただ一匹。
群れの最後方に佇む、ひときわ巨大な狼ロードだけは吠えなかった。
燃え盛る篝火の向こうから、ただ静かに——俺たちを見上げていた。
◇
コルネが弓を構え、矢をつがえる。
俺はその背中にぴたりと自分の背を預け、反対側を見下ろした。
怖い。
足はまだ震えている。
それでも、眼下に群がる狼ロードたちから目だけは逸らさなかった。
——ウォオオンッ!
突如、無数の『狼ロード』が一斉に小屋目掛けて駆け出した。
ドドドドドドッ——!
地鳴りのような足音が、夜の森を揺るがす。
来る——!
◇
「コルネさん、正面!」
「おう!」
先頭を駆けていた狼ロードが地面を蹴り、大きく跳躍した。
だが——。
「ギャウッ!?」
着地点には地面などなかった。
勢いそのまま、俺の掘った壕へと滑り落ちる。
コルネはその瞬間を見逃さない。
——ヒュンッ!
放たれた一矢が、壕の底でもがく狼ロードのこめかみを正確に射抜いた。
「一匹!」
だが、後続はすぐさま壕の存在に気づいた。
急激に進路を変え、左右へ散っていく。
——そうだ。
そっちへ行け。
そこなら——。
次の瞬間。
——バチンッ!
「ギャンッ!?」
低く張り巡らせたワイヤーに前脚を取られ、一匹が派手に転倒した。
後続まで巻き込み、二匹の巨体が地面を転がる。
「コルネさん、右!」
「おうっ!」
振り向きざまに矢が放たれる。
一匹。
「次、左!」
「任せとき!」
二匹。
「正面!」
三匹。
俺が指示を出し、コルネが射る。
壕へ落ちた狼を。
ワイヤーに足を取られた狼を。
仲間と衝突して体勢を崩した狼を。
矢が次々と射抜いていく。
「す、すごい……」
通用している。
俺の作った罠が、狼ロードの群れに通用している。
しかし、喜んでいる暇はなかった。
群れの数が、あまりにも多い。
仲間の屍を踏み越え、壕を飛び越え、ワイヤーを力ずくで突破した狼ロードたちが、ついに小屋へ到達した。
巨体が次々と壁へ飛びかかる。
ガリッ! ガリガリッ!
鋭い爪が板壁を引っ掻く。
だが——登れない。
足場になりそうな突起や穴は、あらかじめ板で塞いである。
狼ロードたちは何度も壁へ飛びついては、虚しく地面へ滑り落ちていった。
「よし……!」
ここまでは、想定通り。
やがて狼ロードたちが、小屋の一角へ集まり始めた。
そこだけは違う。
俺があえて塞がなかった、屋根へと続く唯一の登り口。
一匹がそこへ飛びついた。
登れる。
そう気づいたのだろう。
他の狼ロードたちも次々とその場所へ殺到する。
一匹。
二匹。
三匹——。
屋根へ向かって駆け上がってくる。
まだだ。
もう少し。
「アルジャン! 来るで!」
「待ってください!」
「でも——!」
「まだです!」
先頭の一匹が屋根へ飛び上がった。
その後ろから二匹目。
三匹目。
今だ!
「コルネさん、伏せて!」
叫ぶと同時に、俺は手元のロープを思い切り引いた。
——ガチャンッ!
留め金が外れる。
直後。
巨木の太い枝から吊り下げていた丸太が、大きく弧を描いて振り下ろされた。
——ドゴォンッ!!
「ギャンッ!?」
屋根へ飛び移ろうとしていた狼ロードたちの横っ腹へ、巨大な丸太がまとめて激突した。
一匹、二匹、三匹。
狼たちの巨体が宙を舞い、次々と地面へ叩き落とされる。
「コルネさん!」
「分かっとる!」
コルネが立ち上がった。
弦が鳴る。
矢が飛ぶ。
起き上がろうともがく狼ロードたちへ、次々と矢が突き刺さっていった。
◇
いける。
この砦なら、本当に——。
そう思った、その時だった。
——ウォオオオオオオオン……。
低く、腹の底まで震わせるような遠吠えが森に響き渡った。
「……っ?」
異変はすぐに起きた。
それまで我先にと山小屋へ殺到していた狼ロードたちが、ぴたりと動きを止めたのだ。
一匹残らず。
「なんや……?」
コルネも弓を構えたまま、怪訝そうに周囲を見回す。
群れの最後方。
そこに、一匹の巨大な狼ロードが佇んでいた。
「……でかい」
明らかに他とは違う。
ただでさえ巨大な狼ロードたちより、さらにひと回り大きい。盛り上がった肩。太い四肢。黒灰色の毛に覆われた身体には、いくつもの古傷が刻まれていた。
「……あいつや」
コルネが低い声で呟く。
「あいつが、この群れのボスや」
「ボス……」
ボスは動かない。
赤い瞳が、ゆっくりと動く。
倒れた仲間。
壕。
ワイヤー。
そして、巨木からぶら下がった丸太。
まるで、何が起きたのかを確かめているようだった。
やがてボスが天を仰ぐ。
——ウォオオオンッ!
短い遠吠え。
その瞬間、狼ロードたちが一斉に散開した。
「えっ?」
先ほどまでとは動きがまるで違う。
壕へ闇雲に突っ込んでこない。
ワイヤーを避け、丸太を食らった登り口にも近づこうとしない。
「アルジャン……」
コルネの声が強張った。
「あいつら、罠を避け始めたで」
「そんな……」




