17 穏やかな山歩きは、突然終わりました
猫人族特有の「寒がりで暖を求める習性」なのだろうとは分かっている。
それでも、コルネがこうして傍にいてくれると、不思議と安心した。
胸の奥に残っていた寂しさまで、ほんの少し薄れていく気がする。
そんな温もりに包まれているうちに、俺はいつの間にか深い眠りへ落ちていった。
◇
翌朝、目が覚めると、森の木々を通してあたりがうっすらと白み始めていた。
俺は隣で静かな寝息を立てるコルネを起こさないよう、そっと毛布を抜け出した。そして、期待に胸を躍らせながら早速罠の点検へと向かった。
仕掛けを確認するこの瞬間が、一番心躍る。
真っ先に駆けつけた大型用の『ロード殺し』だったが、残念ながらこちらは不発。さすがに一晩で大物が掛かるほど甘くはないか。
気を取り直して小動物用の小型罠を見て回ると、成果は上々だった。大きな野兎が三匹と、丸々と太ったリスが二匹も掛かっていたのだ。
「前の山で捕れたやつらより、ひと回りデカいな……」
同じ種類でも、前回の山より明らかに身体が大きい。
仕掛ける高さを少し上げたほうが良さそうだ。
そんなことを考えながら獲物を回収し、野営地へ戻る。
朝食は、捕れたての肉を使った温かいスープにすることにした。
手際よく兎とリスを捌き、鍋に放り込んでいるところへ、目をこすりながらコルネが起きてきた。
「コルネさん、おはようございます! 今日の朝食は、兎とリスの特製混合スープですよ!」
手斧を片手に張り切って報告する俺に、コルネはあくびを噛み殺しながら返事をした。
「お、おう……朝からほんま精が出るなあ」
どこか呆れたような、でも少し微笑ましそうな表情で俺を見つめている。
やがてぐつぐつと煮立ち、旨味が凝縮された特製スープが出来上がった。器によそって差し出すと、コルネは一口味わってから、心底ありがたそうに溜め息をついた。
「お前が何から何まで全部やってくれるから……なんかウチ、楽すぎて太ってしまいそうやわ」
そう言って本気で心配そうな顔を浮かべるコルネに、俺は思わず小さく吹き出してしまった。
◇
山歩きは実に順調だった。
俺の仕かけた罠には毎日数匹の小動物が掛かり、毎食のように新鮮な肉を味わうことができた。『ロード殺し』にも一度立派な猪が引っ掛かり、その日の夕食は旨味の詰まった熱々の猪汁に舌鼓を打った。
そうして一週間ほど歩き続けたある日、俺たちは木々が少し途切れ、視界が開けた場所に出た。
そこには、ひときわ大きな一本の巨木がそびえており、
そして、その太い幹に抱かれるようにして、ちんまりと一軒の山小屋が佇んでいた。
随分と古びた小屋だ。
入口にはくたびれた木の扉がひとつ。窓が四つ。板張りの壁はところどころ朽ち、平坦な屋根には枯れ葉が厚く積もっていた。
「昔、狩人が暮らしていたんかもな」
「今夜はここに泊まりましょうか? 野宿よりは暖かく過ごせるかもしれません」
「しかし、えらいおんぼろやな。あちこち穴だらけやないか」
「確かにそうですね……ずいぶん長いこと放置されていたんでしょうね」
「壁や壁面の穴から容赦なく風が吹き込んできて、結局のところ外で野宿するのと大差はないで」
「それもそうですね」
俺たちはその静かな小屋を後にし、さらに山奥へ進んだ。
その日の夜は、冴え渡るような満月が美しい夜だった。木々に囲まれた少し開けた場所を選び、いつものように野営の準備を進める。焚火を起こして夕食を済ませると、周囲に『ロード殺し』と複数の小動物用罠を設置した。
焚火の近くにふかふかの落ち葉ベッドを作り、分厚い毛布を敷き詰めて寝床につく。
今夜も当然のようにコルネがぴったりとくっついて潜り込んできた。その温もりに包まれながら、俺は深い眠りへと落ちていった。
◇
「……アルジャン。起きろ」
耳元で響いたコルネの硬いささやきで、意識が急速に覚醒した。
あたりはうっすらと白み始めている。夜明け前だろう。
「あ、おはようござ——」
「……囲まれてる。備えろ」
俺の悠長な挨拶を遮るコルネの声には、聞いたこともないような切迫感が宿っていた。
言うやいなや、彼女は毛布を蹴り飛ばすように身を起こし、枕元に置いてあった弓と矢筒に素早く手を伸ばす。
俺も慌てて跳ね起き、枕元の剣の柄に手をかけながら周囲の暗闇を警戒した。
その時——茂みが揺れ、のっそりと巨大な影が姿を現した。
狼?
いや、普通の狼にしてはあまりにも大きすぎる。
暗闇の中で真っ赤な眼光がギラリと光り、俺たちを冷酷に見つめていた。荒い息を吐き出す大きな口からは、肉を噛みちぎるための鋭い牙が覗いている。
——恐ろしい。
一瞬にして背筋が凍りつき、全身の毛穴が開くような感覚に襲われた。
「狼ロードや……」
コルネが憎々しげに吐き捨てる。
次の瞬間、気配はひとつではなくなった。茂みのあちこちから、同じ凶暴な影が次々と姿を現す。
三匹、いや、四匹——。
「アルジャン、ウチの後ろから離れるな!」
叫ぶと同時に、コルネは素早く弓に矢をつがえた。
俺は恐怖のあまり足がすくみ、その場から動くことができない。
狼ロードたちは一定の距離を保ちながら、じわじわと俺たちを観察するように旋回している。完璧に囲まれた。これはまずい——俺の生存本能が激しい警鐘を鳴らしていた。
その時、ふと視線の端に違和感を覚えた。
俺たちと、側面に位置する一匹の狼ロードとの間。そこは先ほど俺が仕かけた『ロード殺し』の設置ポイントだった。
俺は息を殺し、狼ロードとの一直線上に『ロード殺し』が位置するよう、自然な動作でじりじりと体勢をずらした。
——その瞬間。
正面の狼ロードが大地を蹴り、低い姿勢で躍りかかってきた。
同時に、乾いた弦音が響く。
コルネの放った矢が疾風となって狼ロードのこめかみを深々と穿ち、巨体がドスンと地面に崩れ落ちた。
だが、息つく隙もない。正面の動きに連動し、側面のもう一匹が俺目掛けて飛びかかってきた。
しかし——その跳躍の着地点には、目論見どおり『ロード殺し』のトリガーが存在していた。
——バチンッ!
重厚な作動音とともに、強力な反動機構が駆動する。
飛びかかった勢いのまま、狼ロードの巨体が上空高くへと一気に吊り上げられた。
「キャンッ……きゃいんっ!?」
ワイヤーに絡め取られ、宙吊りになった狼ロードが情けない悲鳴を上げる。
「やった……!」
思わず声が漏れた。
コルネは間髪入れず二本目の矢をつがえ、残る二匹の狼ロードを鋭い視線で射抜いていた。
吊り上げられた仲間の悲鳴と、コルネの尋常じゃない気迫に圧されたのか、残りの二匹は一瞬にらみ合った後、脱兎のごとく茂みの奥へと立ち去っていった。
俺はその場に膝からへたり込んだ。あまりの緊張感に心臓が破裂しそうだった。
コルネは矢をつがえた姿勢のまま、動かなくなった巨体と二匹が消えた暗がりをじっと凝視し続けている。
さすがコルネだ。狼ロードの襲撃すらものともしない。本当に頼もしい——。
「やりましたね、コルネさん」
安堵から微笑みかけようとした俺は、しかし、言葉を失った。
コルネの表情は酷く硬く、血の気が引いて真っ青になっていたからだ。いや、それどころか、小さな肩がかすかに震えているようにさえ見えた。




