懐かしい恩師の声
東都の灯りが窓の外で揺れている。
平は椅子に座ったまま、
いつの間にか眠りに落ちていた。
「先生。」
少年の声。
懐かしい声だった。
自分自身の声。
気付くと。
そこは大学の講義室だった。
高い天井。
黒板。
並ぶ机。
窓から差し込む夕日。
十数年前の景色。
まだ戦争が始まる前。
まだ誰も悪石平を知らなかった頃。
一人の少年が手を挙げている。
黒髪。
眼鏡。
痩せた身体。
若き日の悪石平だった。
「先生。」
少年の平が言う。
「どうやったら世界は平和になりますか?」
講義室が静まり返る。
学生たちが振り向く。
だが。
教壇の老人は笑った。
「悪石君。」
白髪の老人。
穏やかな目。
東都科学大学教授。
平の恩師。
「それはあなた自身が探求することですよ。」
優しい声だった。
若い平は首を傾げる。
「答えはないんですか?」
老人は微笑む。
「あります。」
「ただし。」
「私の答えでは意味がない。」
黒板にチョークを走らせる。
数式が並ぶ。
物理学。
魔導理論。
世界法則。
「科学とは。」
「答えを与える学問ではありません。」
「問い続ける学問です。」
若い平は真剣に聞いている。
老人は続ける。
「だから。」
「あなたが平和を望むなら。」
「誰かの答えを信じてはいけない。」
夕日が教室を染める。
老人の声だけが響く。
「あなた自身が見つけなさい。」
「あなた自身の答えを。」
場面が揺らぐ。
教室が崩れる。
机が消える。
学生が消える。
夕日が赤く染まる。
爆発音。
悲鳴。
炎。
戦争。
若い平が立っている。
研究所。
机の上には設計図。
無数の数式。
そして。
一つの兵器。
「これで。」
若い平が呟く。
「戦争は終わる。」
誰かが拍手する。
軍人たち。
政治家たち。
研究者たち。
皆笑っている。
「素晴らしい。」
「これで平和になる。」
「英雄だ。」
若い平は恩師を探す。
だが。
どこにもいない。
代わりに。
炎の向こうから声が聞こえる。
「それが。」
「君の答えですか?」
恩師だった。
だが。
その姿は炎に包まれている。
若い平が叫ぶ。
「違う!」
炎が広がる。
都市が燃える。
空が赤く染まる。
人々が倒れる。
「違う!」
誰も聞かない。
誰も止まらない。
兵器は発射される。
世界が白く染まる。
そして。
最後に恩師の声だけが聞こえる。
「悪石君。」
優しい声だった。
昔と同じ。
「君は。」
「まだ答えを探していますか?」
世界が暗転する。
平は目を開いた。
息が荒い。
額には汗。
夜明け前だった。
窓の外がわずかに白み始めている。
夢だった。
ただの夢。
十年以上前に亡くなった恩師の夢。
平は顔を覆う。
しばらく動けなかった。
すると。
隣から小さな声が聞こえる。
「……先生?」
平が振り向く。
宝だった。
半分寝ぼけている。
目も開いていない。
「平?」
眠そうな声。
「うなされてたよ。」
平は答えない。
宝は毛布にくるまったまま呟く。
「大丈夫。」
そして再び眠りに落ちた。
平は窓の外を見る。
東都の朝日が昇り始めていた。
そして。
夢の最後の言葉が頭から離れなかった。
「君はまだ答えを探していますか?」
答えられなかった。
今でも。
コンコン。
突然、扉が叩かれた。
平の目が細くなる。
早すぎる。
まだ夜明けだ。
宿の従業員にしては時間がおかしい。
平は腰の短剣に手を添える。
「誰だ。」
返事はない。
代わりに。
もう一度。
コンコン。
宝が目を覚ます。
「ん……?」
天音も翼をぱたぱた動かす。
「朝?」
「静かにしろ。」
平の声が低い。
その瞬間。
宝と天音も異変を察した。
コンコン。
三度目。
そして。
扉の向こうから声がした。
若い女性の声だった。
「悪石様。」
部屋の空気が凍る。
平の瞳が鋭くなる。
宝が息を呑む。
天音も緊張する。
「開けてください。」
「お話があります。」
平は答えない。
声だけで分かる。
初対面ではない。
少なくとも。
相手は平を知っている。
「帰れ。」
平は短く言った。
扉の向こうで小さな笑い声が聞こえる。
「それはできません。」
「私はあなたを探していました。」
平の顔が険しくなる。
天音が不安そうに聞く。
「知り合い?」
「知らん。」
即答だった。
だが。
宝は気付く。
嘘だ。
平は何かを知っている。
扉の向こうの女が続ける。
「天聖院の者です。」
宝の表情が変わる。
昨日。
天音が反応した建物。
東都の巨大宗教組織。
天聖院。
「第七被験体を返していただきたい。」
静かな声だった。
だが。
その言葉に天音の身体が震える。
第七被験体。
その言葉を聞いた瞬間。
頭の奥が痛む。
白い部屋。
拘束具。
薬品。
誰かの泣き声。
翼。
血。
「っ……!」
天音が頭を押さえる。
宝が慌てて支える。
「天音ちゃん!」
平の目が変わった。
怒りとも違う。
殺気に近い何か。
「……失せろ。」
低い声だった。
女は少しだけ沈黙した。
そして。
悲しそうに言った。
「やはり。」
「そうなりますよね。」
次の瞬間。
窓ガラスが割れた。
バリンッ!!
何かが飛び込んでくる。
黒装束の男。
一人ではない。
二人。
三人。
四人。
「確保しろ!」
「悪石平だ!」
宝が叫ぶ。
「朝から!?」
「東都だからな!」
平が即答した。
男たちが剣を抜く。
だが。
平はすでに動いていた。
腰の装置を起動する。
青い光。
電撃。
轟音。
ドォン!!
男たちが吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられる。
宿の主人が下の階で悲鳴を上げている。
「平!」
宝が叫ぶ。
「逃げるぞ!」
平は窓を開け放つ。
ここは三階。
普通なら飛び降りない高さだ。
「え?」
宝が固まる。
「平?」
「何だ。」
「ここ三階。」
「そうだな。」
「飛ぶの?」
「飛ぶ。」
天音が言う。
「平お兄さん。」
「何だ。」
「私飛べる。」
「知ってる。」
「じゃあ宝お姉ちゃん抱えていい?」
「お願い!」
平は窓枠に足をかける。
下には東都の大通り。
人々が行き交っている。
そして遠くでは。
東都軍の飛空艇がこちらへ向かっていた。
「最悪だな。」
平が呟く。
宝が苦笑する。
「いつものことじゃん。」
天音も頷く。
「いつものこと。」
平は少しだけ笑った。
本当に少しだけ。




