崇拝
石巻遺跡の外れ。
雪を踏む足音がひとつ。
崩れた石柱の影から、軽い調子の声が響いた。
「大丈夫か、英雄君。」
平は振り返る。
宝と天音も同時に身構えた。
そこに立っていたのは、東都軍の制服を着た女だった。
長い髪を後ろで束ね、煙草をくわえたまま笑っている。
奄美の報告にもあった“東都の現場指揮官”。
奄美 種。
彼女は雪の中をまるで散歩のように歩いてくる。
周囲の惨状にも動じない。
「……お前か。」
平が短く言う。
奄美は肩をすくめた。
「そうそう。」
「それで英雄くん。」
「北都の王から温情があるみたいだよ。」
宝が眉をひそめる。
「王?」
天音も不安そうに平を見る。
平は答えない。
ただ奄美を見ていた。
奄美は指を二本立てる。
「選択肢は二つ。」
「一つ。」
「ここで東都と北都の戦争に正式に加担する。」
「もう一つ。」
軽く息を吐く。
「天音ちゃんは“被験体”として正式に引き渡し。」
宝の顔が強張る。
「ふざけないで。」
奄美は笑う。
「いや、私はただの伝令。」
「決めるのは上の人。」
平は静かに言った。
「神代か。」
奄美は否定しない。
「まあ、だいたいそんなとこ。」
雪が一段と強くなる。
平の視線がわずかに鋭くなる。
「条件は。」
奄美は軽く指を鳴らした。
「お前の拘束解除。」
「そして。」
「“例の銃”の使用禁止解除。」
その言葉に、空気が一瞬止まる。
宝が小さく息を呑む。
「それって……」
平の腰にある銃。
奄美はそこを見ていた。
「使えば全部終わるんだろ?」
「戦争も。」
「敵も。」
「全部。」
奄美は少しだけ目を細める。
「でも代わりに。」
「お前も終わる。」
沈黙。
天音が震える。
宝は平の服を握った。
「平……」
平はしばらく黙っていた。
雪が落ちる音だけが響く。
そして。
平は静かに言った。
「断る。」
奄美は少し驚いたように目を開く。
「即答か。」
「当然だ。」
平は一歩前に出る。
「俺はまだ、終わっていない。」
その言葉に奄美は一瞬だけ笑った。
「だろうな。」
そして肩をすくめる。
「じゃあ交渉決裂だ。」
遠くで軍の気配が動き出す。
包囲が始まる。
宝が小さく呟く。
「また戦い……?」
平は銃に手をかけない。
代わりに。
一言だけ言う。
「走るぞ。」
宝と天音が同時に顔を上げる。
奄美はその様子を見て、少しだけ楽しそうに笑った。
「やっぱりそうなるよな。」
そして通信機に向かって言う。
「全軍。」
「追え。」
雪の中で、再び戦場が動き出した。
雪原の戦場。
奄美の部隊が動き出した、その瞬間だった。
平が小さく息を吐く。
「……あまり使いたくなかったが。」
腰の装置に手を触れる。
黒い金属片のようなものが淡く光る。
「アウトファースト。」
次の瞬間。
空間が“折れる”。
音が消える。
雪が止まる。
世界が一度だけ裏返るような感覚。
宝の視界が白に潰れた。
気付いた時には、風が違っていた。
雪ではない。
乾いた空気。
そして静かすぎる森の匂い。
「……え?」
宝が目を瞬かせる。
「どこここ?」
天音も周囲を見回す。
「さっきまで……遺跡……」
そこは、明らかに北都ではなかった。
木々に囲まれた静かな谷。
石造りの建物群。
だが軍の施設ではない。
むしろ。
古い“村”のような雰囲気。
そしてその中央に立つ平は、何事もなかったかのように装置をしまう。
「転移した。」
「え?」
宝が固まる。
「瞬間移動した。」
平は淡々と言う。
天音が目を丸くする。
「そんな簡単に……」
平は少しだけ視線を外す。
「俺の領地だ。」
沈黙。
宝がゆっくり言う。
「……領地?」
平は頷く。
「西都の離れにある。」
「ここは俺の研究拠点の一つだ。」
天音がきょろきょろする。
「でも誰もいない……?」
平は少し間を置いたあと。
「いる。」
その瞬間だった。
森の奥。
気配が一斉に動く。
ガサッ。
ガサッ。
無数の足音。
そして。
地面に膝をつく音。
一人ではない。
十人でもない。
もっと多い。
森の影から、次々と人が現れる。
全員が同時に頭を下げた。
「お帰りなさいませ。」
重なった声。
宝の表情が固まる。
天音も息を呑む。
「え……」
平は小さく息を吐く。
「やめろ。」
一言。
それだけで空気が変わる。
跪いていた人々が一斉に顔を上げる。
しかし視線は崇拝そのものだった。
「我らはずっとお待ちしておりました。」
「悪石様。」
宝が小声で呟く。
「え、何ここ……宗教?」
天音も震えている。
「平お兄さん……?」
平は少しだけ眉をひそめる。
「違う。」
即答。
「元研究員と旧軍残党だ。」
「俺の研究に関わっていた連中が勝手に残っているだけだ。」
宝がさらに混乱する。
「勝手にって……」
その時。
森の奥から声が響く。
「伝令せよ。」
「悪石平を見失った。」
少し離れた場所で、東都軍の通信が途切れる。
奄美の声だ。
平はそれを聞いて一瞬だけ目を閉じる。
そして。
淡々と言った。
「ここまでは来ない。」
「なぜ?」
宝が聞く。
平は森の奥を見た。
そこには無数の視線がある。
狂信ではない。
“確信”に近い。
「ここにいる連中は。」
「俺を神だと思っている。」
天音が固まる。
「神……?」
平は首を振る。
「違う。」
「だが連中にとってはそうなっている。」
少し間を置く。
「だから。」
「外の軍はここに入れない。」
森の奥から静かな声が続く。
「侵入者確認。」
「排除準備完了。」
宝が一歩下がる。
「え、怖いんだけどここ……!」
平はため息をつく。
「だから使いたくなかった。」
そして二人を見る。
「少し休め。」
「次に動く前に。」
その目は、戦場のものではなかった。
ただ静かに、次の戦いを見据えている目だった。




