取捨選択
「先生相手に出し惜しみはだめだな。」
成宮が煙の向こうで笑う。
平は焦りを押し殺した。
心拍数が上がる。
呼吸が浅くなる。
だが表情には出さない。
「宝、天音。」
低い声。
「俺の後ろに。」
宝は反射的に動く。
天音も頷く。
次の瞬間。
轟音が響いた。
ドォォォォン!!
研究院の外壁が吹き飛ぶ。
窓ガラスが砕け散る。
雪と粉塵が舞い上がり、
周囲の建物までもが半壊した。
悲鳴。
怒号。
逃げ惑う人々。
北都の平穏な朝は一瞬で終わった。
煙の中。
平は片腕を前に突き出していた。
青白い防壁が展開されている。
その表面には無数の亀裂。
あと一撃受ければ砕ける。
「さすが先生。」
成宮の声が聞こえる。
「この爆発を耐えるなんて。」
平は何も答えない。
煙の向こうを睨み続ける。
違和感があった。
成宮は一人ではない。
「だけど。」
成宮の声に笑みが混じる。
「被験体は回収させてもらった。」
平の目が見開く。
宝も振り返る。
「え?」
そこには。
いるはずの天音がいなかった。
「天音!?」
宝が叫ぶ。
返事はない。
床には白い羽根だけが落ちている。
平の血の気が引いた。
いつの間に。
防壁を張った一瞬。
その僅かな隙を突かれた。
煙が晴れる。
崩れた壁の向こう。
純白の法衣を纏った美琴が立っていた。
その腕の中には、
意識を失った天音。
「申し訳ありません。」
美琴は静かに言う。
「ですが、この子は連れて行きます。」
宝が飛び出そうとする。
しかし。
平が腕で制した。
「平!」
「行くな。」
「でも!」
「行くな。」
宝は初めて聞く声だった。
怒りではない。
恐怖でもない。
もっと冷たい何か。
平は成宮を見据える。
成宮は笑っていた。
「どうする先生?」
「追うか?」
「それとも。」
その視線が平の腰へ落ちる。
「使うか?」
平の拳が震える。
奄美の言葉が脳裏をよぎる。
『あの銃は使うなよ。』
宝も気付いた。
平の視線が、
腰の古びた拳銃へ向いていることに。
見た目はただの銃。
だが。
その瞬間。
成宮の笑みが深くなる。
「そうだ。」
「それだ。」
「先生の最高傑作。」
「世界を終わらせた兵器。」
宝の顔から血の気が引く。
「まさか……。」
平は動かない。
拳銃を握ることもない。
ただ。
静かに呼吸する。
一秒。
二秒。
三秒。
やがて。
平は目を閉じた。
そして。
腰から手を離した。
成宮の笑みが消える。
「……。」
平は静かに言った。
「使わない。」
「先生。」
「使わない。」
もう一度。
はっきりと。
「二度とだ。」
雪が降る。
崩壊した研究院。
泣き叫ぶ人々。
連れ去られた天音。
それでも。
平は銃を抜かなかった。
成宮はしばらく黙っていたが、
やがて肩をすくめる。
「そうか。」
そして笑った。
「なら追ってこい。」
美琴が翼を広げる。
成宮も後ろへ下がる。
二人の姿が雪の向こうへ消えていく。
残されたのは。
怒りに震える宝と、
静かに立ち尽くす悪石平だった。
宝が叫ぶ。
「平!」
平は天音の落とした白い羽根を拾う。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「待ってろ。」
その目には。
今まで見たことのない決意が宿っていた。
天音が連れ去られてから数分後。
北都の街は完全に混乱に陥っていた。
警鐘が鳴り響く。
雪の降る大通りを人々が逃げ惑う。
研究院の崩壊だけではなかった。
新たな報告が次々と飛び込んでくる。
「主任!」
研究員の一人が血相を変えて駆け込んでくる。
「東都軍です!」
奄美が振り返る。
「何だと?」
「東都軍が市街地に侵入しました!」
宝が目を見開く。
「えっ!?」
研究員は続ける。
「各地で戦闘が発生しています!」
「住民が巻き込まれてます!」
平の表情が変わる。
東都軍。
それは国家正規軍だ。
本来なら他国領内で勝手に軍事行動などできない。
つまり。
正式な外交手続きではない。
事実上の侵攻だった。
「神代か。」
平が呟く。
奄美も険しい顔になる。
「あのクソ爺さん。」
窓の外。
黒煙が上がっている。
遠くで爆発音が響く。
ドォォン!!
悲鳴。
怒号。
逃げ惑う市民。
完全な戦場だった。
「悪石平を差し出せ!」
「被験体を引き渡せ!」
東都兵たちの怒声が響く。
宝が拳を握る。
「関係ない人まで巻き込んでるじゃん!」
「関係ないからだ。」
平が静かに答える。
宝が振り向く。
平の瞳は冷たかった。
「神代は目的のためなら手段を選ばない。」
「昔からそうだ。」
奄美が舌打ちする。
「最悪だな。」
さらに通信機が鳴る。
「北西地区で火災!」
「住民避難中!」
「南区で東都軍と北都軍が交戦!」
報告が止まらない。
北都全域が混乱している。
そして。
平は理解した。
これは陽動だ。
天音を連れ去るためだけではない。
北都全体を混乱させ、
追跡を困難にするための作戦。
「成宮。」
平が呟く。
「神代。」
そして。
「美琴。」
全員が繋がっている。
宝が平を見る。
「どうするの?」
平は窓の外を見る。
炎。
雪。
逃げる人々。
泣いている子供。
負傷者。
かつて何度も見た光景。
戦争だ。
小規模でも。
確実に。
「……。」
平は目を閉じる。
そして開いた。
「まず市民を避難させる。」
宝が驚く。
「天音ちゃんは!?」
「助ける。」
平は即答した。
「必ず助ける。」
そして続ける。
「だが。」
「今この瞬間にも死ぬ人間がいる。」
静かな声だった。
だが。
迷いはない。
宝は何も言えなくなる。
奄美は苦笑した。
「相変わらずだな。」
「何がだ。」
「だから英雄なんだよ。」
平は顔をしかめる。
「違う。」
「違わない。」
奄美は立ち上がる。
「研究院の人員は私が動かす。」
「避難誘導もやる。」
宝も立ち上がる。
「私も!」
「俺もだ。」
平は短く頷く。
その時。
街の中心部からさらに巨大な爆発音が響いた。
空が赤く染まる。
その炎を見ながら。
平は無意識に拳を握った。
腰にはまだ、
あの銃がある。
使えば終わる。
敵も。
戦争も。
全て。
だが。
平はその銃に触れようとしなかった。
代わりに。
雪の降る街へ歩き出す。
研究院の臨時指揮室。
地図が広げられ、
通信機からは各地の被害報告が流れ続けていた。
北都全域が混乱している。
その中で奄美は一枚の資料を机へ叩きつけた。
「見つけた。」
平が顔を上げる。
宝も振り向く。
「天音ちゃんの救助部隊を用意した。」
奄美は地図の一点を指差す。
北都東部。
雪山に囲まれた地域。
「天音ちゃんは北都の石巻に確実にいる。」
宝の目が見開かれる。
「本当!?」
「ほぼ間違いない。」
奄美は頷く。
「天聖院の移動経路。」
「目撃情報。」
「魔力反応。」
「全部一致した。」
平も地図を見る。
石巻。
古代遺跡群が存在する地域。
人も少ない。
秘密施設を隠すには最適な場所だった。
「成宮らしいな。」
平が呟く。
「だろ?」
奄美も同意する。
部屋が静かになる。
宝は今にも飛び出したそうな顔をしている。
天音を助けたい。
その気持ちが表情に出ていた。
そして。
平が口を開く。
「宝。」
「うん。」
「先に向かってくれ。」
宝が固まる。
「え?」
平は地図から目を離さない。
「俺に少し時間をくれ。」
その言葉に。
奄美の顔色が変わった。
「平。」
低い声。
警告だった。
平は視線を上げない。
「分かってる。」
「分かってねぇ。」
奄美は机を叩く。
「何をする気だ。」
宝も不安そうに見る。
「平?」
平は数秒沈黙した。
やがて。
静かに言う。
「東都軍を止める。」
部屋が凍る。
窓の外では爆発音が響いている。
まだ市街地では戦闘が続いていた。
「馬鹿か。」
奄美が即答した。
「お前一人でか。」
「一人だからだ。」
「無茶だ。」
「そうかもしれない。」
平は認めた。
だが。
その表情は変わらない。
「神代は俺を探している。」
「なら俺が出れば動く。」
宝が拳を握る。
「でも!」
平は宝を見る。
「天音を助けてくれ。」
宝は言葉を失う。
平は続ける。
「今の天音には。」
「お前が必要だ。」
静かな声だった。
宝は唇を噛む。
反論したい。
一緒に行きたい。
平を一人にしたくない。
だが。
天音も助けなければならない。
「……ずるい。」
宝が小さく言った。
平は首を傾げる。
「何がだ。」
「そういう言い方。」
宝は目を逸らした。
「断れなくなるじゃん。」
平は答えない。
代わりに。
少しだけ頭を下げた。
「頼む。」
宝の目が見開かれる。
奄美も驚いた。
悪石平が。
人に頭を下げた。
それだけで。
どれほど本気か分かる。
宝はしばらく黙っていた。
やがて。
小さく頷く。
「……分かった。」
平も頷く。
「ありがとう。」
宝は平の外套を掴む。
そして。
真っ直ぐ見上げた。
「でも。」
「必ず来て。」
平は答える。
「行く。」
「絶対?」
「絶対だ。」
宝はようやく手を離した。
奄美はそんな二人を見てため息を吐く。
「全く。」
そして平を見る。
「死ぬなよ。」
「努力する。」
「努力じゃ足りん。」
「善処する。」
「政治家か。」
少しだけ笑いが生まれる。
だが。
誰もが分かっていた。
これから向かう戦いは、
今までで最も危険なものになると。
平は窓の外を見る。
遠くで黒煙が上がっている。
その向こうには神代がいる。
そして石巻には天音がいる。
悪石平は静かに外套を羽織った。
まるで。
何かを覚悟するように。
石巻。
雪に覆われた古代遺跡。
崩れた神殿の柱が並び、
冷たい風が吹き抜けている。
宝たちは救助部隊と共に遺跡へ到着していた。
「天音ちゃん……。」
宝は周囲を見回す。
嫌な予感しかしない。
静かすぎる。
救助部隊の隊長も警戒していた。
「気を付けろ。」
「何かいる。」
その時だった。
パチパチと拍手が響く。
遺跡の上。
崩れた石柱の頂上に一人の男が立っていた。
黒い外套。
長い刀。
不敵な笑み。
成宮零士。
「よう。」
隊員たちが武器を構える。
「敵だ!」
「囲め!」
だが。
成宮は全く動じない。
むしろ。
きょろりと周囲を見回した。
「ん?」
そして。
宝を見る。
「……あれ?」
少し残念そうな顔になる。
「先生じゃないの?」
宝の眉が吊り上がる。
「悪かったね。」
「いや。」
成宮は肩をすくめた。
「正直ちょっと期待してた。」
「先生とやり合うのは久しぶりだからな。」
宝は木槌を握り締める。
「天音ちゃんはどこ?」
成宮は笑った。
「いきなり本題か。」
「当たり前でしょ。」
「なるほど。」
成宮は顎に手を当てる。
そして。
にやりと笑った。
「でも。」
「お前はお前で暇潰しにはなりそうだ。」
救助部隊の空気が張り詰める。
隊長が叫ぶ。
「撃て!」
魔導弾が一斉に放たれる。
しかし。
成宮は消えた。
「なっ!?」
次の瞬間。
隊員の背後。
「遅い。」
ドンッ。
隊員が吹き飛ぶ。
さらに。
二人。
三人。
一瞬だった。
歴戦の救助部隊が地面に転がる。
宝の顔色が変わる。
強い。
今までの敵とは次元が違う。
成宮は戦争時代の英雄だった。
悪石平直属。
最強部隊の隊長。
「さて。」
成宮は刀を肩に担ぐ。
「先生の代わりに。」
「どれだけ楽しませてくれる?」
宝は前へ出た。
怖い。
正直かなり怖い。
だが。
後ろには天音がいる。
だから。
逃げない。
「天音ちゃんを返して。」
成宮は笑う。
「断る。」
「じゃあ。」
宝は木槌を構えた。
「力尽くだね。」
風が吹く。
雪が舞う。
成宮の笑みが深くなる。
「それでこそだ。」
次の瞬間。
二人が同時に地面を蹴った。
石巻遺跡に、
激しい戦いの火蓋が切られた。
石巻遺跡。
雪と崩れた石柱の間で、戦闘は一方的に押され始めていた。
宝は息を切らしながら後退する。
木槌を握る手が痺れていた。
成宮は退屈そうに刀を回す。
「つまんないな。」
「もうそこまでかよ。」
宝は歯を食いしばる。
「まだ……!」
踏み込もうとした瞬間。
成宮が軽く息を吐いた。
「しょうがない。」
「お前、死なないし。」
宝の動きが止まる。
「お前も回収するか。」
空気が変わる。
殺意ではない。
“処理”の気配だった。
成宮が一歩踏み出した、その瞬間。
「すまない、遅れた。」
空間が揺れた。
遺跡の上空から黒い影が落ちる。
着地。
雪が爆ぜる。
その場の全員が振り向く。
宝の目が見開かれる。
「先生!」
そこにいたのは悪石平だった。
外套は裂け、息は荒い。
それでも立っている。
成宮が口角を上げる。
「やっと来たか。」
平は周囲を一瞥する。
宝の無事を確認し、
次に成宮を見る。
「遅くなった。」
それだけ言った。
成宮は笑う。
「いいぞ。」
「先生。」
「俺を撃つか?」
宝が叫ぶ。
「平!?」
その瞬間。
平は迷わなかった。
腰の銃を抜く。
一発。
乾いた音。
ドン。
成宮の肩がわずかに揺れる。
だが。
倒れない。
沈黙。
宝の顔が凍る。
「なんで……先生?」
平は銃を見下ろす。
そして短く言った。
「すまない。」
「当然、改良済みだ。」
成宮が小さく笑う。
「やっぱりな。」
煙の中。
銃口からは通常の魔力弾ではない。
封印干渉弾。
術式破壊用。
再生阻害。
それでも。
致命には届いていない。
成宮は肩を回す。
「懐かしいな。」
「先生の本気の手加減。」
平は表情を変えない。
だが。
その目だけが冷えていく。
「宝。」
「下がれ。」
宝は動けない。
「でも!」
「下がれ。」
今度は強かった。
宝は唇を噛み、
一歩下がる。
その瞬間。
遺跡の奥から声が響く。
「先生。」
別の声。
女性。
白い法衣。
成宮美琴。
彼女の腕の中には。
意識を失った天音。
宝の呼吸が止まる。
平の視線が一瞬だけ揺れる。
美琴は静かに言った。
「これ以上は進めません。」
「第七被験体は回収済みです。」
成宮が笑う。
「さあ、先生。」
「選んでください。」
「こいつらを助けるか。」
「それとも。」
視線が銃へ落ちる。
「“あれ”を使うか。」
雪が降る。
遺跡が軋む。
そして。
悪石平は、再び選択の前に立たされていた。




