律花の苦悩 ー音無ー
開発科、機島螺子の所有する研究室は、異様な緊張感に包まれていた。
機島は専攻練で多くの生徒を抱えている。
この時期は三年生が卒業制作に取り組んでいるため、ある種の緊張感に満ちているのはおかしなことではない。
異様なのは、この緊張感を作り出しているのが一年生という事実だ。
「――」
延々と工具の音が鳴りやまない。音無律花は三枚のモニターでデータを観測しながら、両手で工具義手を操作し続けていた。
時刻は既に九時を回っている。
学校が終わってからおよそ六時間、一度の休憩も挟むことなく作業を続けているのだ。
その背中から放たれる圧は、殺気立っている三年生さえも距離を取ったほどだ。
他の生徒たちは随分前に全員帰した。
あとは律花だけだ。
「おい音無、いい加減にしろ。今日は終わりだ」
「‥‥」
声を掛けても反応はない。今日はノイズキャンセリング用のヘッドホンもしていない。彼女の耳なら否が応でも聞こえるはず。
それだけ集中しているのだ。
酷使し続けた目が真っ赤に充血している。それでも工具義手を操作する指の動きは正確無比。目はモニターのチェック、あとは指の感覚と音で作業を進めているのだろう。
「‥‥ったく」
頃合いを見て機島は工具義手の電源を切った。
「‥‥‥‥あれ、あれ?」
「今日は終わりだ音無。それ以上やったらぶっ倒れるぞ」
「機島先生‥‥私、まだ作業したくて‥‥」
機島はため息を押し殺した。
「あのな、いつも言ってるだろ。人の集中力は本来長く続かない。無理をした分は必ず身体のどこかが対価を払ってるんだよ。これ以上我儘言うなら研究室出禁にするぞ」
「それは‥‥困ります‥‥」
「じゃあ大人しく終わりにしろ。車出してやるから、さっさと準備しろ」
「あ、でも片付け‥‥」
「こっちでやっとく」
普段なら片付けまで必ずやらせるが、今の律花にやらせると怪我をしそうだ。
作業着から制服に着替えた律花を車に乗せ、機島は出発した。
さっさと寝るかと思ったが、律花は夢心地のように窓の外を眺めている。まだ頭の中はあの研究室で動き続けているのかもしれない。
「音無」
「‥‥はい、どうしました」
「武機に精を出すのはいいが、お前冬花祭はどうするつもりだ?」
「冬花祭‥‥?」
きょとんと首を傾げた律花は、しばらくして言葉の意味を理解した。
「そういえばそろそろ冬花祭の時期でしたっけ」
「忘れるなよ。開発科は大会で受賞歴のある生徒が参加できる。お前も参加可能だろ」
「あんまりパーティーとかは興味ないんですよね。‥‥どうしても音が気になりますし」
律花の聴覚は第六感のたぐいだ。ただ耳がいいだけではなく、その人の感情さえも聞き分ける。
様々な企業の人間が集まる冬花祭は、ただのなごやかなパーティーではない。コネクション作り、優秀な人材の囲い込み、多くの思惑が入り乱れるノイズの塊だ。
「冬花祭に出たくて頑張ってた三年生も多くいるんだが」
「すみません」
「別に責めちゃいない」
律花が持つのは浮世離れした力だ。
その力があるから現実から離れていくのか、現実から離れた故の力なのか。
機島は冗談がてらに言った。
「冬花祭と言えば、真堂護はいいのか? 専属エンジニアならパートナーとして参加してもおかしくはないだろ」
「ぱーとなー? パートナー!」
突如として覚醒した律花が立ち上がろうとして、シートベルトによって戻される。
機島は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。
「まさかお前、気付いてなかったのか」
「すっかりさっぱり完全に気付いてませんでした」
律花はわなわなと手を震わせる。
「過去五年間の検証データによれば、冬花祭に出席したパートナー同士が結ばれる確率は驚異の五十二パーセント‥‥!」
「誰がそんなデータ取ってたんだよ」
「歴代の開発科の先輩方です。ほぼ二分の一の確率でお付き合いが成立しているビッグイベント、どうして忘れていたんでしょうか」
そりゃあの集中力で武機に向き合っていれば、それ以外の情報は一切合切消し飛ぶことだろう。
というかこれまでの生徒たちは一体何をしていたのか、機島はこめかみが痛くなるのを感じた。
「でも、今回は駄目ですね」
消え入りそうな声が聞こえた。
「意外だな。随分ご執心だと聞いていたが」
「私は専属エンジニアなんです」
その言葉にどんな思いが込められているのか、機島には容易に想像がついた。自分が辿ってきた道だからだ。
「ランク3と戦った時、黒鉄、何の役にも立たなかったんです」
「‥‥ああ」
「戦いで使えない武機なんて、何の意味もありません。それを作ったエンジニアもです」
「‥‥」
肯定も否定もできない。
敵が強かったからだなんて、なんの言い訳にもなりはしない。
役立たずの烙印を押すのは、自分自身だ。
「私が今しなければならないのは、冬花祭じゃないです。誰にも負けない、真堂君の炎を灯し続けられる武機を作るんです」
「ああ、そうだな」
分かっている。
他の学生と律花が違うのはそこだ。
彼女の作った武機は実戦で使われ、命を背負って戦った。
その経験を得て、律花は明確に変わった。
それ以上二人に言葉はなく、空っ風が窓を叩く音だけが聞こえた。




