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【完結】君の恋を最高傑作にするために、僕は自分の恋を殺すことにした〜成功率100%の恋愛軍師、最後に自分の恋を忘れる〜  作者: リディア


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第35話 贈り物の還る場所、あるいは色彩の種まき

 下駄箱を開けた瞬間、俺は三秒間、機能を停止させた。

 使い古されたローファーの上に、不自然な異物が乗っていたからだ。

 

 それは小さな紙袋だった。白地に赤いリボンが印刷された、ありふれたギフト用の小袋。中身の推測は不可能だったが、裏返すと折り畳まれた一枚のメモが貼り付けられていた。

 

『去年、相談に乗ってくれてありがとう。ずっと直接言えなかったけれど、卒業前にどうしても伝えたくて。本当に感謝しています』

 

 ――誰だ。


 脳内ライブラリが高速で去年一月のログを検索する。下駄箱の番号帯、当時このルートを通った依頼者の行動パターン。該当件数、四件。だが、どれも「完結」とだけ記された過去の遺物だ。

 俺は紙袋を鞄の奥底へ押し込んだ。

 

 不法投棄。あるいは忘れ物。

 そう定義して、感情の発生を未然に防ぐ。重くなった鞄を肩にかけ、俺は冷え切った廊下を教室へと向かった。

 

 五分後。自分の席に着くと、今度は引き出しの中に三粒のキャラメルが転がっていた。

 赤、金、茶。派手な包み紙が、朝日を受けて鋭い光を反射している。

 昨日の「不純物みかんジュース」、さっきの「遺失物(紙袋)」、そしてこの「飴」。

 

 俺の世界は、自分の知らない間に、得体の知れない誰かの意志によって彩られようとしていた。


 一時間目が終わった直後。


「……橘くん、いいかな」


 背後からかけられた声に、俺の首の筋肉が、かつての習慣を思い出して振り返る。

 そこに立っていたのは、隣のクラスの宮本だった。

 

 ――Case_17。宮本真由。一年前、勇気が出せずにいた彼女の背中を、俺がロジックで押し出した。結果――告白は失敗。振られたという事実のみが、俺の「成功率100%」という伝説に、目立たない一点の染みを残した唯一のケース。

 

「……知っている。振られたケースだ。俺に何の用だ」

「うん」


 宮本は少しだけ寂しそうに、けれど清々しい顔で笑った。


「でもね、橘くんに頼んで本当に良かったと思ってるんだ。ずっと言いたかったの」

「……理解不能だよ。成功報酬(君の笑顔)を受け取る資格は、あの日俺から消滅しているんだ」

「違うんだよ。橘くんって、あの時、作戦とか言う前に私の話を全部聞いてくれたじゃない? どんな風に好きで、何が怖くて……。あんなに真剣に『私の本当のこと』を知ろうとしてくれた人、いなかったんだ」

 

 肺の奥が、冷たい水に浸されたように重くなった。

 

「橘くんのおかげで、私は自分の気持ちをちゃんと自分の言葉で言えた。結果はダメだったけど……でも、あの時の橘くんの真っ直ぐな目が、私に『逃げない強さ』をくれたんだよ。その後に出会った今の人と付き合えたのも、全部、あの時の橘くんがいてくれたからだって、私、ずっと思ってた」

 

 宮本は小さな紫色の小袋を机に置いた。

「これ、ラベンダーのティーバッグ。橘くん、最近ずっと疲れ切った顔してたから。……無理しないでね」

 

 ラベンダー。波長およそ四〇〇ナノメートル。鎮静効果のある芳香化合物。

 俺はそれを数値に変換しようと試みた。だが、彼女が去った後も、机の上から「紫」という色は消えなかった。数値などでは説明しきれない「誰かの想い」という名の熱を、その小さなティーバッグは放ち続けていた。


 三時間目の休み時間。今度は男子生徒が俺の前に立った。同じ二年生。かつて一度だけ言葉を交わした相手。

 

「橘。覚えてるか? バスケ部、辞めようか迷ってた時に廊下で捕まえた奴だ」

「……Case_29。逃亡と撤退の最適化について回答した記憶はある」

「そうそう、『辞めることと逃げることは別の演算だ。今の君に必要なのは休息という名の戦略的撤退だ』って、真顔で言われたよな」

 

 男子生徒は懐かしそうに目を細めて続けた。


「あの時、お前が冷静に『お前の才能は運動じゃなく、視覚的な構図にある』って断言してくれたおかげで、俺、思い切って写真部に行けたんだ。文化祭で奨励賞もらったよ。……お前に救われたんだ。ありがとな、軍師様」

 

 彼はメロン味の飴を一粒、俺のノートの端に置いた。

 

 赤、金、茶、紫、緑。


 モノクロームだった俺の机が、まるでお花畑のように、乱雑で温かい色彩で埋め尽くされていく。

 

 ――ド、クン。

 

 心拍アラートは、やはり鳴らなかった。

 けれど、昨夜まで俺の胸を掻き回していたあの砂嵐が、止んでいた。

 代わりに聞こえてきたのは、時計の振り子のように静かで、深く、それでいて揺るぎのない、生命の鼓動。


 何かに調律されるように。乱れていた俺というシステムが、外側からの光によって、「人間」としてのリズムを取り戻そうとしていた。


 不快だった。恐ろしかった。なぜ、こんなにも俺の身体は、他人の温もりを「正解」だと誤認してしまうのか。


 昼休み。俺は自分の手元にある「他人の人生の欠片たち」を、無理やり鞄へ詰め込もうとした。


 入らなかった。


 みかんジュースのオレンジ。栞のエメラルド。コーヒーの空き缶の黒。宮本の紫。写真部員の緑。キャラメル。紙袋。ポストイットの束。

 

 物理的な容積が足りないのではない。

 そこに込められたあまりにも重い「質量」を、俺という空っぽな容器が、受け止めきれずに溢れ出させているのだ。

 

「……重すぎるんだ。こんなもの」 


「何を一人で戦ってんだよ、橘」


 聞き慣れた声が降ってきた。佐野蓮だ。

 

 彼は弁当を片手に持ち、俺の机の惨状を見て、唖然としたように眉を上げた。

 その背後。廊下の入り口に、神谷陽向が立っていた。俺と目が合う直前、彼女は弾かれたように視線を窓の外へと逃がす。彼女の横顔には、俺の机を彩る光を見たことへの――言いようのない、痛みに満ちた安堵が浮かんでいた。

 

「橘、なんだこれ……。全部お前への差し入れか?」

「不法投棄だよ。適切な処理に手間取っているんだ」

「……いや、違うだろ。これ全部、お前が誰かにあげてきた『救い』の答え合わせだろ」

 

 佐野が、俺の正面に腰を下ろした。


「お前ってやつはさ……本当に、バカがつくほど真面目なんだな」

「……俺はただ、データの辻褄を合わせるために機能していただけだよ」

「ああ、そうかもな」

 

 佐野は、俺のその「いつもの嘘」を否定しなかった。けれど、真っ直ぐに俺を射抜く彼の瞳には、かつて一度だけ見せたことのある、鋭い熱が宿っていた。


「でもさ、橘。……お前が自分を背景に追いやって、自分を殺してまで、誰かの幸せを守ろうとしてきたこと――俺は知ってるよ。ずっと隣で見てきたから」

 

 喉の奥が、猛烈に熱くなった。


「俺にお前のやり方が正しいかはわからない。自分の気持ちを殺して他人の恋を作るなんて、狂ってると思う。……でもさ、誰かのためにボロボロになれるお前を、俺は一人の男として、誰よりも尊敬してるんだ。……これは本当だぞ」

 

「……やめてくれ」

 

「やめない。お前がどんなに自分を『機械』だと言い張っても、ここに集まった色が、お前が『人間』であることを証明しちゃってるんだよ」

 

 佐野は、おどけるようにメロン飴を一つ取り上げ、俺のポケットの中に強引に押し込んだ。

 

 心拍が、また一つ、静かな和音を刻む。

 俺の心臓は、俺の意志など無視して、他人の「ありがとう」に共鳴していた。

 


 放課後。一人になった教室。

 冬の早い夕暮れが、校舎の壁を濃い橙色に染めていた。

 ガラス越しに映る俺の顔は、昨日のような灰色の死相ではない。けれど、完全な生命力に溢れているわけでもない。ただ、誰かが描いたスケッチの途中のように、不確かな、けれど確かな「輪郭」を取り戻していた。

 

 鞄を持ち上げる。


 ずっしりと腕に響くその重みは、昨日まで俺を窒息させていた「荷物」ではなかった。

 一歩、一歩。歩みを勧めるたびに鞄の中でカチャリと音が鳴る。その音が、俺に命じている気がした。

 

 生きろ、と。

 

 俺はポケットに手を入れた。ターコイズのピアス。

 冬の風に吹かれて冷え切った指先に、その石だけが不自然なほどの熱を分け与えてくれる。

 

 俺は失っていたのではなかった。

 誰かに自分を捧げるたびに、自分が透明になって消えていくのだと信じ込んでいた。

 

 けれど違った。

 俺の心は、ずっと前から。

 俺が投げつけたあの冷徹な言葉の端々に、俺が悩んで書き上げた台本の行間に、誰かのスカーフの色の濃淡の中に。

 

 俺の『好き』という欠片は、あちこちで生き続けていたのだ。

 

「……演算、完全に再起動リブート

 

 俺の目からは、もう涙は出なかった。

 代わりに、胸の空洞を満たす圧倒的な色彩の濁流に、ただ、激しく震えた。

 

 鞄の重さは、俺の生きていくための「重力」そのものだった。

 廊下の先、西日が床を黄金色に焼き払っている。

 

 俺は、その熱量に怯えることなく、静かに一歩を踏み出した。

 

 ――俺のあげたもので、たくさんの人が笑っている。

 ――それを見届けることが、俺の、俺だけの幸せだったんだ。

 

 その事実が。

 ようやく、空っぽの僕の中へ、光となって帰還おかえりを告げた。

ご覧いただきありがとうございます。

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毎日19時に更新予定です。

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