表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】君の恋を最高傑作にするために、僕は自分の恋を殺すことにした〜成功率100%の恋愛軍師、最後に自分の恋を忘れる〜  作者: リディア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/41

第29話 完璧な地獄、あるいは美しい消去

十二月二十四日、午後七時。


 クリスマスイブの夜は、街全体が浮ついた熱気にうなされているようだった。

 商店街を彩るイルミネーションが、冷え切った冬の空気を青白く、そして赤く、毒々しいほど鮮やかに明滅させている。

 幸せを絵に描いたようなカップル。はしゃぎ回る子供たち。誰かの名前を呼ぶ、弾んだ声。

 

 人混みの中に静止する橘晴人にとって、その光景のすべては、音の消えた古い映画のようだった。

 俺の世界からは、もうとうに色が失われている。視界を埋める極彩色の光は、ただ網膜を刺激するだけの物理的な信号に過ぎなかった。

 

 右手のポケットの中で、指先が小さな硬い感触をなぞる。

 ターコイズのピアス。彼女から預かり、そして「返さないで」と拒絶された、裏切りの証拠品。

 どんなに強く握りしめていても、今夜のこの石は、氷の破片のように冷たかった。俺の体温はもう、この蒼い石を温めることさえ許されないらしい。

 

 『台本は完璧だ。自信を持って、伝えてこい』


 昨夜、俺が佐野に送った最後の「助言」。


 あいつからの返信は、『ありがとう、橘。お前がいてくれて本当に良かった』という短い言葉だった。その真っ直ぐな感謝が、俺という泥棒の肺を容赦なく圧迫していた。


 右手、十一時の方角。

 俺がこの演出オペレーションのために指定した、並木の切れ目にある静かな広場。その中央のベンチに、二人がいた。

 佐野蓮が、神谷陽向の前に立っている。

 物理的な距離は二十メートル以上。二人の表情までは読み取れない。

 けれど、これからその場所でどんな感情が交換され、どんな結末が訪れるのか。

 

 俺は、そのすべてを知っていた。誰よりも、神よりも。

 なぜなら、彼らが踏むステップの一つひとつは、俺が命を削って書き上げた「処刑台の設計図」通りなのだから。


 佐野が、ジャケットのポケットから小さな箱を取り出した。

 俺の喉が、音を立てて閉じた。肺が酸素の供給を拒絶し、心臓が肋骨を内側から叩く。

 

 ――始まる。

 

 佐野が口を開いた。三階の教室からあいつの言葉を予想したあの日のように、俺の脳内であいつの「声」が完璧に同期する。

 

「陽向。……ずっと、言えなかったことがあるんだ」

 (台本通りだ。間も、呼吸も。誤差は……一秒すらない)

 

「俺、お前に出会う前の自分がずっと嫌いだった。空っぽなのを誤魔化して、器用に笑って。でも、心のどこかでずっと、誰かに見抜かれるのが怖くて堪らなかったんだ」

 (そこで一拍置け。彼女の目に君を焼き付けさせるんだ。……よし、いい角度だ、佐野)

 俺は、震える右手を反対の手で力任せに押さえつけた。

 

「……橘のおかげで、俺は変われたんだと思ってた。お前への向き合い方も、この言葉も、あいつがいなきゃ見つけられなかった。……でも、違ったんだよ」


 俺の思考が、一瞬だけ止まった。

 違う? そんなセリフは書いていない。

 佐野が台本を離れ、彼自身の言葉で夜の空気を震わせる。

 

「俺を変えたのは、あいつの知識じゃない。……お前なんだよ、陽向。君を本気で失いたくないと思った時、俺は初めて、格好悪いままの俺自身の足で立てたんだ」


 佐野が、箱を開いた。白銀のリングが、街の灯を受けて一筋の光を放つ。

 

「お前がいたから、俺は俺を見つけられた。……一生、隣にいてほしい」


 その言葉は。

 皮肉にも、俺が台本のラストに刻んだ「最後の一行」だった。

 けれど今、あいつの口から放たれたその言葉は、俺の書いた単なる記号マニュアルではなくなっていた。佐野蓮という男が、魂の底から絞り出した、真実の熱を孕んだ言葉へと昇華されていた。

 

 それは俺が、あの雨上がりの夜道で、膝をついて彼女の名前を叫んだ時に流した『血』そのものだった。俺が一生かけても、俺自身の名前では誰にも伝えられないと絶望した、俺のアイデンティティの欠片。

 

 それを、あいつが受け取り。

 俺がプロデュースした「最高に美しい舞台」の上で。

 俺が見惚れ続けた「世界で一番好きな少女」に、捧げている。


 ――ザザッ。


 脳内で、砂嵐が激しく吹き荒れる。

 白濁した視界の中で、神谷陽向が泣き崩れるのが見えた。


「……うん」

 

 彼女の返答は、耳には届かなかった。けれど、俺の脳が正確にその唇を読み取る。


「私も……。私も、ずっと、そう思ってた。……ありがとう、蓮くん」

 

 神谷は、泣きながら笑っていた。

 俺が教えた「三秒の笑顔」でも、俺を心配する「二層目の瞳」でもない。

 佐野蓮という一人の男を、自身の人生のすべてとして受け入れた――完璧な、「恋人」の顔だった。

 

 佐野が、彼女の左手を取った。

 指輪が彼女の薬指へと滑り落ちた瞬間、周囲からパラパラと小さな拍手が沸き起こった。

 二人は、眩しすぎるほどに美しい光のまゆの中にいた。

 

 俺は、その輪の外側にいた。

 生まれた時からずっと。世界との間に一枚の、冷たい透明なガラスが張られたままで。

 

 ザザッ……ザ……。

 砂嵐が弱まり。

 

 ――プツ。

 

 不意に、すべての音が消えた。

 あの煩わしかった高周波も、警告のアラートも、血液が流れる重苦しい音さえも。

 耳が痛くなるほどの、底知れない無音。

 

 「終わった」のだ、と。

 

 誰に告げられるまでもなく、俺というシステムは自らの終了を宣言した。

 

 二人が肩を寄せ合い、広場の外へと歩き出す。

 光の雫を浴びる彼らの背中は、もはや俺の言葉による補強など必要としていなかった。

 

 神谷陽向は、気づいていたはずだ。

 佐野の口にした「最高の誓い」が、本当は誰の喉を裂いて生まれたものだったかを。

 それでも、彼女は佐野を選んだ。

 

 それが、彼女の正解。

 俺が作り上げた、偽物の愛の脚本を、彼女自身の手で「本物の幸福」へと書き換えた。

 これ以上に素晴らしい、メンテナンスの完了報告はない。


 スマートフォンが、ポケットの奥で一度だけ震えた。

 

『ありがとう』

 

 画面に浮かんだのは、たった五文字のメッセージ。

 それを打っている彼女の顔を想像しようとして――そして、何も浮かばなかった。

 

 演算、不能。


 俺は返信をせず、暗くなった画面に自分の虚無のような無表情を映した。


 光の中に溶け込んでいく人波が、俺を通り抜けていく。俺はもう、彼らに干渉することも、彼らの物語を汚すこともできない。

 

 ――Case_48 完了。

 ――メンテナンス、全行程終了。

 

「おめでとう、陽向。……おめでとう、佐野」

 

 声に出してみた。自分の声だとは思えないほど、それは死者の呟きに似ていた。

 

「……さよなら、俺の、好きだった世界」

 

 ポケットから右手を出し、蒼い石を見つめる。

 イルミネーションの光さえ拒絶するように、その小さな石だけが、暗闇を凝縮したような深い青色で横たわっていた。

 

 ゴミ箱に、捨ててしまえばいい。

 指先をほんの少し傾けるだけで、この醜い未練はすべて終わる。

 なのに。

 

 俺はもう一度、その冷たい熱を握り締め、ポケットの深淵へと隠した。

 

 捨てられない理由は、もう探さない。

 探してしまえば、まだこの胸のどこかで、捨てられなかったはずの何かが、汚く鳴き喚き出してしまうから。

 


 翌朝。

 

 霜の降りた冷たい冬の通学路。

 俺は、逃げるように足早に校門へと向かっていた。

 

「橘くん!!」

 

 背後から、名前を呼ばれた。

 心拍が――死んでいたはずの機械が、火花を散らして一度だけ跳ねる。

 

 振り返ると、そこには昨夜、幸せの頂点にいたはずの神谷陽向が立っていた。

 走ってきたのか、肩を大きく上下させ、吐く息は真っ白に乱れている。

 その瞳は、不自然なほど赤く。

 指輪の嵌まった左手を、まるで自分の罪を隠すように強く握り締めていた。

 

「私……! 昨日、君に、……どうしても言わなきゃいけないことが、あったの」

 

 彼女の、一音一音が震えている。

 俺の静寂に沈んだ日常が、再び激しく波打ち始めた。

 

 その本当の地獄は、まだ始まったばかりだったのだ。

ご覧いただきありがとうございます。

もし「この主人公、切なすぎる……」「続きが気になる」と思っていただけたら、作品フォローや★、評価をいただけると執筆の大きな励みになります!

毎日19時に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ