表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】君の恋を最高傑作にするために、僕は自分の恋を殺すことにした〜成功率100%の恋愛軍師、最後に自分の恋を忘れる〜  作者: リディア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/41

第26話 聖域の焼却

 二時間目の休み時間。


 俺の視界を、一枚のスマートフォンの液晶が暴力的に遮った。

 映し出されていたのは地図アプリの画面。目的地は、数日前にも足を運んだあの駅ビル、あのアクセサリーショップ。

 

「橘。もう一度、付き合ってくれないか」

 

 佐野の声が、静まり返った俺の周囲の空気を震わせる。

 俺は画面から目を逸らした。見なければよかったと、内臓がせり上がるような不快感が喉を突いた。

 

「陽向が、最近ずっと元気がないんだ。ピアスを失くしてから、あいつ……笑っていてもどこか遠くを見てる気がして。俺じゃ、どうしてもあいつの沈んだ気持ちを掬い上げてやれないんだよ」

「……」

「だから、もう一度、同じものを買ってやりたい。今度はちゃんと言葉を添えて渡して、失くした悲しさごと上書きしてやりたいんだ」

 

 俺は机の下で、右手の指先を小さく動かした。

 厚いコートのポケットの奥。そこには今も、彼女の体温を吸い、俺の手の中で何度も転がされたターコイズが眠っている。

 

「廃業したと、言ったはずだ」

「わかってる。……でも」

 

 佐野が俺の目を、逃げ場を塞ぐような真剣さで射抜いた。


「陽向を本気で笑顔にできるのは、俺の不器用な慰めじゃない。お前の、あいつに対する圧倒的な理解力と知識だけなんだ。頼む、橘。親友として、力を貸してくれ」

 

 ――ザ……ザザッ。

 

 頭の奥底で、回路が焼け焦げるような砂嵐が鳴り響いた。

 拒絶すべきだ。もう関わるべきではない。

 だが、この善意100%で構成された男の懇願を撥ね退けるだけの強度を、俺の心はもう持ち合わせていなかった。

 

「……わかった。一度だけだ。今日だけで、本当に終わりにしてくれ」

「ああ、助かる! 恩に着るよ、橘」


 放課後のアクセサリーショップは、皮肉なほどあの日と同じ柔らかい暖色系の光に包まれていた。

 整然と並ぶショーケース。丁寧に磨かれたガラスの床。

 

 自動ドアが開き、店内に足を踏み入れた瞬間、カウンターの向こうで店員が穏やかな微笑みを向けた。


「いらっしゃいませ。……あら、以前もご来店されましたね」

 

 橘は、幽霊のように静かに頷いた。

 以前、自分の全知識を動員して、自分の好きな少女のために最善の色を選んだ場所。

 あの時は、それが自分の心臓を差し出す儀式になるとは思ってもみなかった。

 

「ピアスを探しています」


 佐野が店員に告げる。


「以前、橘……この友人に選んでもらったものと同じものをください。ターコイズの、細いフープのタイプです」

「畏まりました。……こちらでございますね」

 

 店員が案内した棚は、かつて俺が指先で愛おしく触れたあの場所と、全く同じ座標にあった。

 そこに、あの蒼い石が並んでいる。

 新品だ。工場で研磨され、一度も誰の肌にも触れていない、純粋無垢な宝石。

 俺のポケットの中にある「本物」と、形状も色も一分の狂いもない模造品。

 

 だが、あちらには来歴がある。

 俺が選び、彼女が耳につけ、そして「温めておいて」という身勝手で尊い呪いと共に俺に託された記憶。

 目の前の棚にあるものは、その来歴をすべて抹消するための『歴史の修正プログラム』のように見えた。

 

「これだ。間違いない」

 

 佐野が誇らしげに箱を手に取る。俺はそれを、ただ背後から見つめていた。

 佐野がレジで財布を開き、対価を支払う。決済音が店内に響き、権利がまた移動した。

 

 ――ザザッ。


 砂嵐が視界を侵食し、意識を掻き乱す。

 これから佐野が彼女に渡すものは、彼女の悲しみを癒やす『愛の証』となり、俺が隠し持っているこの石は、誰にも知られてはいけない『卑しい盗品』へと成り下がるのだ。

 

「ありがとうございました」

 

 店員の見送る声が、俺の葬儀を告げる鐘の音のように聞こえた。


 駅ビルの、夕暮れがよく見えるカフェに入った。

 佐野はテーブルの上に小さな紙袋を置き、慎重に口を開いた。

 

「渡す時にさ、何か……特別な言葉を添えたいんだ。今度は俺の考えすぎじゃなくて、ちゃんと彼女に届く言葉を」

「……」

「廃業したお前に頼むのは、本当に心苦しいんだが。橘、知恵を貸してくれないか」

 

 俺はテーブルの上の木目を、何本目の溝か数えられるほど執拗に見つめ続けた。


「俺に頼り切るつもりはないんだ」


 佐野の声には、以前のような危うい依存の響きは消えていた。


「お前の分析を聞いた上で、最後は俺が……俺自身の言葉として伝える。彼女に、本当の安心を感じてほしいんだ」

 

 自立。自走。

 かつての俺が、このメンテナンスの最終目標として設定したものが、今、目の前で完成しようとしている。

 それは完璧な勝利であり、軍師システムとしての存在意義が完全に消滅することを意味していた。

 

「……佐野は何を、神谷さんへ伝えたいんだ?」

「失くさせてしまった不甲斐なさと、それでもまた君を一番輝かせるのはこの色しかないんだ、ってこと」

 

 俺は重い瞼を閉じた。


 ――ザザッ。


 砂嵐。エラー。警告。

 それらを力ずくで押し込み、俺は、かつて彼女が俺にピアスを渡したあの日の温度を思い出した。


 『私が昨日から、ずっと冷たいって思い続けていた場所を、温めておいて』


 その、俺だけが触れることを許された「本音」を。

 俺は、最悪な形で裏切ることに決めた。

 

「……なくなってから、ずっと気になっていた」

 

 俺の声は、自分でも戦慄するほど感情を失っていた。


「君の耳元に、いつもあるべきものが欠けていることに、耐えられなかった。……これがなければ、神谷陽向という作品は完成しない。そう伝えれば良い」

 

「陽向を、作品……。……なるほどな。彼女が一番綺麗でいることを、俺が誰よりも願っている。そういうことだよな」


 佐野が真剣な手つきでメモを更新する。

 

「一言だけでいい。余計な感傷は混ぜるな。あいつ(神谷)には、一突きで核心を突く言葉の方が深く刺さる」

 

 俺の肺の中から、一滴の愛も残さずにすべてが吸い出されていくような感覚だった。

 ポケットの中のターコイズは、今日も俺の体温を盗んで、卑怯な熱を放っていた。


 カフェを出ると、校門近くの大きな時計の下で神谷陽向が待っていた。

 三人で合流するという約束。

 

 神谷の瞳が、一瞬だけ俺に向けられた。

 彼女の視線は俺の顔ではなく、俺の手、それから俺のポケットの位置を一撫でした。

 ――わかってる。

 声なき声が届いた。

 

 ――君が、私のくれたピアスをポケットに隠しながら、別の新品を佐野くんに買わせ、それを渡すための台本を書いたことを。私は、知っているよ。

 

 俺は、視線を無理やり引き剥がした。

 佐野が「お待たせ!」と駆け寄る。

 神谷の右耳には、まだあのターコイズが。そして左耳には、不格好な空洞。

 

 その空洞を見るたびに、俺の中の『ひび』が、音を立てて広がっていく。

 

 ――演算不能。

 

 俺は今。

 俺だけの、唯一の『聖域』であったはずのあの夜の記憶を。

 軍師としての責任感という灯油で、隈なく焼き払おうとしていた。

 

 翌朝、教室のドアを開けた瞬間。

 俺は、すべてが「無」に上書きされたことを知った。

 

 陽向の両耳で、昨日までの欠落が嘘のように、蒼い石が二つ揃って揺れていた。

 佐野が俺の言葉を使い、俺の勧めたピアスを彼女に贈り、彼女はそれを『正解』として受け入れたのだ。

 

 俺は自分の席に座り、震える指をポケットの奥へと忍ばせた。

 

 まだそこには、石があった。

 けれどその重みはもう、俺に何かを教えてはくれなかった。

 この石は、もう誰のものでも、誰の証拠でもなくなってしまったのだ。

 

 どこにも、属さない。

 持ち主すらいない、ただの忘れ物。

 

 俺はそれを、朝の冷たい闇の中に、もう一度、深く沈め直した。

ご覧いただきありがとうございます。

もし「この主人公、切なすぎる……」「続きが気になる」と思っていただけたら、作品フォローや★、評価をいただけると執筆の大きな励みになります!

毎日19時に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ