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【完結】君の恋を最高傑作にするために、僕は自分の恋を殺すことにした〜成功率100%の恋愛軍師、最後に自分の恋を忘れる〜  作者: リディア


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第20話 演算、完全停止

 登校中のアスファルトを踏みしめる音すら、今の俺には耳障りなノイズだった。

 俺は、俺自身を強引に再起動しようとしていた。


 ――昨夜の叫びは、一時的なシステムエラーだ。


 肉体的な疲労と、演算負荷の過多。それが重なったことで、一瞬だけ感情処理のバイパスが繋がってしまっただけ。今日からはまた、完璧な「背景」として機能しなければならない。


 ……そう。今日から、また。

 だが、歩みを進めるたびに、昨夜の俺の声が耳の奥で、毒液のように繰り返される。


 「痛いよ……陽向……」

 

 消せ。消去しろ。それは俺の言葉ではない。

 俺は自分にそう命令したが、心拍のアラートが、もはや無音の悲鳴となって胸の奥を激しく揺さぶっていた。


 教室に入った瞬間、逃げ場を失ったことを確信した。


 神谷陽向の視線が、物理的な質量を持って俺の肺を圧迫した。


 彼女はただ、いつものように自分の席に座っているだけだ。なのに、その瞳から放たれる熱量が、俺という無機質な仮面を溶かし、中のドロドロとした醜い本音を暴き出そうとしていた。


 俺は自分の席に座り、反射的に教科書を広げた。

 活字が、意味をなさなず。黒いシミの羅列が網膜の上で躍るだけ。

 

 陽向。

 昨夜、俺は誰にも聞こえない暗闇で、初めて彼女をそう呼んだ。

 『依頼者』『対象』『Case_48』。


 それまで俺が彼女を分類するために積み上げてきたすべてのタグが、その名前一言で吹き飛んでしまった。

 

 演算回路に接続を試みた。だが、応答はない。

 あるのは、ただの「無」だ。

 砂漠の真ん中で無線機が壊れたかのような、恐ろしいほど冷徹な静寂だけが俺の脳を支配していた。


 昼休み。


 佐野蓮が、太陽のような輝きを纏って俺の前に現れた。

 隣には、俺の最高傑作である、完璧にプロデュースされた神谷陽向を連れて。


「橘! 昨日、お前に教わったレストランに行ってきたんだ。……『彼女が一番リラックスできる照明の店』ってアドバイス、あれ最高だったよ。本当に陽向、ずっと笑っててさ」


 佐野が、一点の濁りもない笑顔で語りかける。

 

 回路を回そうとした。

 次はどのタイミングでプレゼントを渡すべきか。どんな言葉を添えるべきか。


 空振り。


 脳内には一文字の助言も浮かばない。浮かんでくるのは、昨夜、俺の手を包んだ神谷の掌の熱だけだ。


「橘くん」


 神谷の声が、俺の壊れかけた均衡を突き刺した。

 佐野の後ろから、彼女が俺をじっと見つめている。


 軍師システムを見つめる目ではない。

 今にも粉々に砕け散りそうな、正体不明の「壊れ物」を看取るような目だった。


「……次は、どこがいいかな。またお前に、彼女が喜ぶ場所を教えてほしいんだ」


 佐野の言葉は、100パーセントの善意で、100パーセントの友情に満ちていた。


「陽向は海が好きだって言ってたから、一泊して、夕暮れの砂浜で……」

「……」


 俺は、口を開こうとした。

 だが、言葉が、音声となって出力されない。

 海。砂浜。俺がいつか、彼女と一緒に見たかった光景。


 それを自分の口から台本マニュアルとしてライバルに渡す。

 ――無理だ。

 初めて、俺の中のシステムが「拒絶」を叫んだ。


「橘?」


 佐野の声が、遠い霧の向こうから響いてくる。


「……少し、待ってくれ。……今は、頭が、回らない」

「……顔色、最悪だぞ。橘、お前……」


 佐野が心配そうに身を乗り出す。神谷は一言も発さず、ただ悲痛な表情で俺を射抜いている。俺は逃げるように席を立ち、二人から背を向けた。


 放課後の廊下。


 壁に沿って歩かなければ、平衡感覚を維持できないほど視界が傾いでいた。

 鞄が重いのではない。自分の身体を支えるための「理由ロジック」を喪失し、存在そのものが重力に耐えられなくなっているのだ。


「橘」


 背後から、佐野の声がした。

 あいつは一人だった。神谷の姿はない。


「お前、本当に大丈夫か」


 佐野が俺の前に立ちふさがった。


「飯も食ってないだろ。さっきから一言話すたびに呼吸が止まってる。……橘、そんなのお前らしくない」

「……ただの睡眠不足だ。問題、な……」

「橘」


 佐野が俺の肩に手を置いた。

 温かい。

 あいつが「親友」として俺に向けるその無償の熱が、今の俺には皮膚を焼き切る猛毒だった。


「無理なら、休めよ。俺たちのことなんて、後回しでいいんだから」


 俺を心配している。

 一グラムの悪意もなく、俺に幸福になってほしいと願っている。


 この男は、知らないのだ。

 俺が昨夜の闇の中で、彼女の名前を絶叫していたことを。


 佐野の幸せを一秒でも長く維持するために、俺が自分の心を切り売りして、その代金で幸

福を買っていることを、何も知らない。


 知らないまま、俺の肩を……優しく掴む。

 

「は、あッ、……っ!」

 

 呼吸が、音を立てて漏れ出した。

 俺の喉から出たとは思えない、獣の鳴き声のような喘ぎ。

 視界が、暴力的なホワイトアウトに染まる。

 床と天井が、グニャリと反転した。


「橘! おい、橘!?」


 佐野の慌てた声が遠のいていく。

 俺は冷たい廊下の壁に指を立てて、なんとか意識を繋ぎ止めた。


「……行ってくれ」


 俺の声は、もはや人間の言語ですらなくなっていた。


「……俺のことは、放っておいてくれ」

「放っておけるわけないだろ!」

「頼む……」

 

 顔を上げられなかった。

 上げたら、叫んでしまいそうだった。

 ――お前に心配されるたび、お前を裏切って彼女を愛している自分という不純物が、身体中を駆け巡って死にたくなるんだ。


「……行ってくれ……」

 

 しばらくの後、絶望的な沈黙を置いて、佐野の足音が遠ざかっていった。

 廊下に残されたのは、俺の醜い呼吸音だけだった。


 どれほどの時間が経ったのか。

 気づくと、俺は廊下の隅に崩れ落ちていた。

 

 窓の外、空は完全に光を失っている。

 俺は、床に投げ出した自分の掌を見た。

 Case_48 のログは開けない。

 佐野への台本は一文字も浮かばない。

 

 俺には今、何もなかった。


 燃やすべき感情すら、もう最後の一片まで削り取ってしまった。

 他人の恋を鮮やかにするための燃料として。

 自分自身の尊厳までを燃やし尽くし、最後は灰にすらなれずに。


「橘くん」


 その声に、俺は顔を上げた。

 廊下の奥。夕闇を背負って、神谷陽向が立っていた。

 佐野の姿はない。彼女だけが、そこにいた。

 壊れていく俺を、その最期の瞬間を見届けるような、静かな目で。


「……帰ってくれ。佐野が……待ってる」

「橘くん」

「あいつが……お前には……必要、なんだ」

「橘くん」

 

 神谷が歩み寄り、俺の隣で、ゆっくりと膝をついた。

 彼女と俺の、視線が合う。


「私、もう逃げないから」

 

 その言葉の意味を。

 俺というシステムの残骸は、もう演算できなかった。

 

「……行って、くれ」

 

 神谷は、行かなかった。

 ただ、隣で、何も言わずに。

 俺と同じ地べたに座り、ただ俺の不規則な呼吸を数え続けていた。

 窓の外。

 季節を告げる冷たい風が、音を立てて校舎を揺らす。

 

 ――演算、完全停止。

 

 俺という背景(額縁)は、今。

 誰の恋も、自分自身の存在すらも、鮮やかにできないまま。

 

 音を立てて、砕け散った。


ご覧いただきありがとうございます。


もし「この主人公、切なすぎる……」「続きが気になる」と思っていただけたら、作品フォローや★、評価をいただけると執筆の大きな励みになります!


毎日19時に更新予定です。

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