表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】君の恋を最高傑作にするために、僕は自分の恋を殺すことにした〜成功率100%の恋愛軍師、最後に自分の恋を忘れる〜  作者: リディア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/41

第18話 ホワイトアウト、あるいは嘘の総決算

 屋上の風が、容赦なく俺の頬を叩いた。

 秋の冷気は肺の奥まで侵食し、火傷のような痛みを残していく。


 だが、それよりも。

 右頬の、神谷の涙が触れたあの場所だけが、いつまでも毒のように熱を持っていた。

 フェンスの冷え切った鉄を、俺は両手で力任せに握りしめる。

 

 ――演算。再起動。

 神谷陽向。依頼者。Case_48……メンテナンス中。

 

 脳がロジックを紡ごうとするたび、胸の中央を太い釘で貫かれたような激痛が走る。


「……っ、が……」


 喉が、せり上がってくる熱い塊に塞がれた。

 

 ――再起動。演算。神谷……。

 

 また、激痛。エラー。システムが拒絶している。


 俺が昨日まで信じていた「正解」のすべてが、彼女の一粒の涙によって、ただのゴミ屑へと成り果てていた。


 視界の端から、色が失われていく。

 灰色ですらない。テレビの砂嵐のような、無機質で残酷なホワイトアウト。

 

 耳の奥では、高周波の雑音が鳴り響いていた。


 「ビー」という警告音ではない。

 「キーン」という、自分の神経をヤスリで削っているような、耳を塞いでも止まらない絶叫。

 その絶叫をかき消すように、背後で扉が重く軋んだ。


「橘。……ここにいたのか」


 振り返らなくても、その声だけで世界の輪郭が、ほんの少しだけ正気に戻る。

 佐野蓮だ。


 あいつの歩み寄る気配には、汚れなき太陽の匂いが混じっている。それが、今の俺には吐き気を催すほどに眩しかった。


「陽向が……あんな顔で泣きながら教室に戻ってきたのは、初めてだ」


 佐野の声は、いつもの穏やかさを欠いて、低く沈んでいた。


「何があったんだ。あいつ、お前に何を言われたか一言も教えてくれないんだ」

 

 俺は、フェンスの鉄をさらに強く握り直した。

 鉄が指の骨に食い込み、確かな痛みが「俺」を繋ぎ止める。


 演算開始。

 提示すべき事実は三つ。そして、墓まで持っていくべき事実は一つ。


「……彼女に」


 俺は、ひび割れた声を出した。


「佐野との将来における、統計的な破綻確率の話をしただけだ」

「――は?」

「初期段階のカップルが、理想と現実の乖離によって一年以内に関係を解消する割合は高い。そのシミュレーションを、参考情報として提示したんだ」


 静寂が、世界を支配した。

 佐野が、俺の横顔をまじまじと見つめている。その視線に込められたのは、純粋な驚愕と、俺という人間への、理解しがたいものへの拒絶。


 俺は空を見た。

 真っ白な空。雲も、青さも、何もない、空虚な空間。


「神谷さんは感情的な個体だ。データに弱い。……君と別れる可能性を数値化されて、勝手にショックを受けたんだろう」


 嘘だ。


 神谷は、「君がいなくなるなら、恋なんて叶わなくてよかった」と言ったんだ。


 彼女が命懸けで差し伸べた、真実の手。

 それを、俺は今、自分の手で腐らせて捨てた。彼女の愛を、ただの「統計への恐怖」という浅ましく、無機質な感情にすり替えた。

 胸の中央が、今度は内側から爆ぜるような熱を発した。


「……本気で、そんなことを言ったのか、お前」


 佐野が、震えるような息を吐いた。


「お前は本当に……合理的すぎて……時々、怖くなるよ」

 

 それでいい、佐野。

 嫌え。俺という機械を。

 お前たちの幸福のために、自分の心を削り屑にして燃やし続ける、この不気味な男を。

 遠ざかれ。俺を軽蔑してくれ。

 そうでなければ、俺の「額縁」という名の呪いは、もう俺を支えきれない。


「でも」


 佐野が言った。

 その、美しすぎる言葉の響き。


「お前がこれまで俺たちのためにやってくれたことは、事実だ。その恩は消えない。……俺は、お前に感謝し続けるよ」


 ――キーン。

 高周波が、脳を真っ二つに引き裂く。

 佐野蓮という男は、俺を嫌いになれない。100パーセントの善意で。100パーセントの誠実さで。俺という怪物を、友人として受け入れ続けてしまう。

 それが、今の俺には、どんな暴力よりも酷く身体を削り取っていった。


「一個、聞いていいか」


 佐野の声が、軍師ではなく、橘晴人という人間に触れようと近づいてくる。


「お前、本当にそれだけで生きていけるのか?」

「……質問の意味が、よくわからないけど」

「誰かの恋を仕組んで、誰かのために自分の時間を全部注ぎ込んで。……お前自身の、幸福はどこにあるんだ?」

 

 フェンスの鉄から、熱が吸い取られていく。

 佐野の声には、一切の悪意がなかった。ただ、純粋な――救いたい、という慈悲。


「橘の幸福は、何だ。お前は、何のために……そんなボロボロになってまで、笑ってないんだ」

「問題ない」


 俺は、その慈悲を全力で叩き落とした。


「それが、俺の存在様式だ。誰かを鮮やかにするための背景として、機能を全うすること。それだけが俺の……正しい形なんだよ」

「……そんな悲しいこと、言うなよ」

「行け、佐野。あいつには今、君の慰めが必要だ。……あいつに寄り添ってやれ。俺みたいな機械の、代わりにな」


 長い沈黙の後。

 佐野の足音が、遠ざかっていった。

 扉が閉まる。バタン、という乾いた音が、俺の最後の人間の鎖を解いた気がした。


 フェンスから手を離すと、力が入らず、そのまま地面に片膝を突いた。

 振り返った屋上の景色は、既に俺の視覚には届かなかった。

 すべてが白く、濁っている。

 俺は一歩、踏み出そうとした。

 視界が不自然に傾く。重力が真横からかかったように、俺の身体はコンクリートに叩きつけられた。

 

 手のひらを突いた感触が、冷たい。

 鼻の奥で、生ぬるい鉄の味が爆発した。

 

 ぽた。

 手の甲に、鮮烈な「赤」が落ちた。

 

 あまりに鮮烈な『赤』が、真っ白に染まりかけた俺の視界を暴力的に塗り潰していく。

 昨日、彼女の涙が焼き付けた、あの消えない熱。

 俺が俺自身の幸福と共に切り捨てたはずの『痛み』が、今更になって実体を持って溢れ出したかのような――逃れようのない、生々しい色だった。

 それを見つめながら、俺は自嘲するように独りごちた。

 

 俺は今日、何のためにあの嘘を吐いたのか。

 二人の恋を壊さないためか。

 それとも。

 自分が「額縁」のままで、消えていい人間だと思い続けるために――自傷行為としての嘘を吐いたのか。

 答えは、白く濁ったノイズの向こうへ消えた。

 

 ――ああ。眩しすぎるな。

 佐野の、汚れなき善意も。

 彼女の、逃げ場のない正しさも。

 

 鼻血が、止まらなかった。

 拭う気力も湧かず、コンクリートに自分の色が吸い込まれていくのを眺めている。

 それだけが、俺がまだここにいるという、唯一の証明だった。


 翌朝。


 朦朧とした頭で教室に入り、自分の机に手をかける。

 そこに、丁寧に折り畳まれた、一枚の小さなメモが置かれていた。

 

 見覚えのある――、けれど、これまでは一度も目に触れさせてはくれなかった、丸っこい筆跡。

 指先が、その紙の縁に触れる。

 

 その瞬間、あの香りが鼻腔をくすぐった。

 金木犀。

 

 神谷陽向が、昨日泣いていたはずの彼女が。

 俺に向かって、最後の――あるいは最初の、「対峙」を宣告している。

 そんな予感に、俺の死にかけていた心臓が、再び不快な地響きを立て始めた。

ご覧いただきありがとうございます。


もし「この主人公、切なすぎる……」「続きが気になる」と思っていただけたら、作品フォローや★、評価をいただけると執筆の大きな励みになります!


毎日19時に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ