兇蛸のメイド
眠いぃ〜
「ヴェラトラ様。当家の不手際により、貴方様にご迷惑をかけた上、ご不快な思いをさせてしまったこと、当主に代わり心よりお詫び申し上げます」
セトリオ子爵の侍女だろうそのメイド女性アスターは、貴族作法に則った整然な謝罪をした。
「別に・・・」
気にしないでと口をついて出そうになった俺に先んじて、アベルンの取り繕った怒りが抜刀される。
「セトリオ卿の無作法な歓迎には、至れり尽せりですわね。私だけでなく、我が主人をも足蹴にするだなんて。これでは、当家の粛々とした礼節が、さも凡庸に見えてしまいかねません。ですからまたの機会に、親愛なるセトリオ卿のお時間を拝借して、当家の茶会にお誘いしても?」
わざとらしく抑揚の付いた言葉で、アベルンはアスターを威圧する。その恐ろしさは、まるで彼女そのものが魔物のようだった。
しかしアスターは、緊張や恐怖で汗顔する様子は無い。罪悪感を滲ませてはいるものの、どこか余裕そうにも感じた。
「・・・此度の失態は、当家の品位や信頼を大きく貶める大変不躾な行為であった事を強く認識しております。今後はこのような事が無いよう、改善に努めます。ですから何卒、ヴェラトラ様とアベルン様には、寛大なお許しと、僭越ながら申し事をさせて頂くその許可を賜りたいと存じます」
「お許し?申し事?この期に及んでまだそんな事を仰るの?貴方方が不敬を働いたのは、他でもないあの・・・」
「・・・アベルン」
ヒートアップする彼女に割って入る。ただ名前を呼んだだけ。ただそれだけだ。それでも、アベルンは俺の真意を汲み取ってくれたようだった。途中で言葉を噛み殺して呑み、佇まいを凛と正した。
「・・・すまない。長旅で、彼女も気が立っているんだ。どうか多めに見てくれると嬉しい。セトリオ卿の具合はいかがか?」
「・・・鷹揚な対応に、感謝を申し上げます。主は、気を失っているだけのようです。ヴェラトラ様のお気遣いには及ばないかと存じます」
「そうか。では、セトリオ卿が目覚めるまで、ここで休ませてもらってもいいだろうか?先ほども申したが、長旅で疲れているんだ」
「承知しました。このアスター、ヴェラトラ様とアベルン様に、誠心誠意尽くさせていただきます。どうぞこちらへ」
アスターは、眠ったセトリオ卿を抱えながら、先導して屋敷のドアを丁寧に開ける。俺達はなんとなく顔を見合わせてから、彼女に付いて行った。
*****
セトリオ卿の屋敷は、キャスタム伯爵邸に比べれば結構狭い。内装も素朴で、高そうな工芸品やら絵画やら、金貨の匂いが漂うインテリアは見かけなかった。それは良い意味で地味と言え、他人の敷地に踏み入る際の妙な緊張感を和らげてくれている。勿論、一貴族である彼女にしてみれば不本意な事だろうが、俺は身勝手に此処を「居心地の良い場所」だとして認識していた。
アスターに通された客間も、他の場所と同じような様子だ。最低限の家具に、茶と菓子を少々。実に良い。ここは甘ったるい貴族臭が薄いのだ。
「不幸中の幸い・・・か。左遷も存外、悪いもんじゃねーのかもな」
だらしなくソファーに座り込み、ぼんやりと天井を眺めながら言った。
「何呑気な事言ってんの・・・」
腰に手を当て、アベルンは呆れた顔をする。
「このままじゃ、ヴェラトラの立場が悪くなるだけだよ?」
キャスタム伯爵家の本懐とは、魔物の脅威からデアクアを守ることにある。この「デアクア」が指す対象は王国全土を含むが、事実上は王都だ。つまり、この左遷は決して「ただの不幸」として済ませられるような小さな事ではない。
「立場?そんなもん、産まれてから一度もあった記憶がねぇな」
「何不貞腐れてんの?」
「・・・違うし。事実なんだよ。だからさ、今更そんな事気にしたって無駄無駄。楽な出張だとでも思って、気楽にしようぜ」
億劫な羽虫を払うように、手首をフラフラと振り回す。アベルンは不服そうに眉を顰めるが、俺は気にせずテーブルに用意されたビスケットを齧った。バターの香りがする。
「・・・ヴェラトラ」
「ん?」
アールグレイの紅茶でビスケットを流し込んでいると、アベルンが珍しく遠慮がちに口を開く。
「昔さ、キャスタム伯爵家が催したパーティーでさ・・・私、庭園の池に落ちて溺れかけたんだけど、その時あなたが助けてくれたの、覚えてる?」
「どうしたんだよ。藪から棒に・・・ああ、覚えてるよ」
「あの時、ヴェラトラが私に言ってくれたことがあるの。それも覚えてる?」
「えぇ?そんなの覚えてねえよ・・・『ご無事ですか?』とか・・・?」
朧げにすら覚えておらず、適当な答えを返す。冗談のつもりだった。いつものように、アベルンの生意気なツッコミが返ってくると思っていた。だけど彼女は、痛みに触れられたように瞳を大きく開け、すぐさま閉じた。本当に一瞬の事だったけど、彼女が何を感じたのかは概ね理解できた。
「・・・悪い。マジで全然覚えてないんだ」
「ううん。良いの。変な事聞いてごめん」
彼女の顔を見れなかった。彼女の声はいつも通りだ。だけど、本当はそうじゃないのだろう。そう思うと、居ても立っても居られなくて、咄嗟に名前を呼んだ。
「なあ、アベルン・・・」
しかし、この呼び声が届くよりも先に、ドアノブを叩く無骨な音が静寂を破った。
「失礼します。主の準備が整いました。こちらにお連れ致します」
どうやら、セトリオ卿が目覚めたらしい。放った言葉が、空中に留まってしまった。アベルンはドアと俺を交互に見て、まるで何かを待っているようだった。
「えっと・・・」
胸の中に、燻っている。アスターの事を無視して、このまま続けてしまおうかとさえ思った。しかし、最後に勝ったのはそんな焦りではなく、キャスタムとして辛うじてある責任感だった。
「いいや、病み上がりのセトリオ卿に御足労頂く必要は無い。俺達から行くよ」
アベルンに目配せをする。彼女はため息混じりに肩をすくめ、それから気だるそうに頷いた。
*****
セトリオ卿は、本名をカロラ・グラチェスターと言う。俺と同い年くらいの若い領主で、なんと女性だ。珍しい。少し青みがかった美しい白髪を腰に届きそうなくらい伸ばして、猫のようにキリッとした目には翡翠色を閉じ込めている。身長は150半ば、といったところだろうか?先ほどから何度も頭を下げられているせいで、正確に測れない。
セトリオ卿が約束の時刻に遅れた理由だが、どうやら俺達と入れ違いになったことが原因なのだそう。防御結界の入り口で出迎えるつもりだったそうだが、そこへ向かう途中、馴染みの通路で馬車が横転する事故が起きたらしい。仕方なく迂回して向かうも、到着した頃には、俺達は防御結界を超えていた。
まあ、単なる不運の重なりだったと言う訳だ。俺としては安堵した。彼女らの様子を見るに、どうやら熱心な四傑教の信者ということでもなさそうだし、何より自分が理由で避けられていた訳ではなかったことが嬉しかった。ただ、アベルンは大変御立腹のご様子で、俺が制止していなければセトリオ卿にも喰ってかかりかねない勢いだ。今も隣で、怒髪の瘴気を全身から放っている。怖い。
「・・・人生時には、如何とも立ち行かない事情もおありでしょう。セトリオ卿の誠意と謝意は、十分に頂きました。これからは、この経験を糧に、互いにより良い協力関係が築けることを願っています」
努めて穏やかに・・・いや、本当に全く怒ってはいないのだが・・・セトリオ卿の青ざめた顔色がお労しくて、つい優しい言葉をかけてしまった。隣に立っている鬼には目を瞑って。
「ヴェラトラ様の寛大な酌量に、厚く感謝を申し上げます。これからは、セトリオの領主として恥の無いよう、心がけてまいります」
「ええ。よろしくお願いします」
その時、互いにちょうど良い落とし所へ着地したように思った。どうやら、謝罪の段階は終わったらしい。俺が早速話を切り出した。
「さて、いつまでもこのような気の重い話をしていたとて、仕方がないでしょう。そちらの侍女の方が、折角茶を用意してくれたのですから、一服しながらお話ししましょう」
能天気に振る舞うと、セトリオ卿もようやく安心出来たようだった。きつく閉めていた両手の握り拳は解かれ、微かに笑みを浮かべる。
「承知しました。ヴェラトラ様のご厚意に、甘えさせていただきます」
セトリオ卿・・・カロラは、コホンと咳払いを挟んでから始めた。
「今回、セトリオが陸軍本部に応援を要請した経緯について、改めてご説明させていただきます。きっかけを思い返せば、あれは昨年の終わり頃・・・特務部隊から、魔物の出現率が上がっているとの報告がありました」
「ほう?」
初めて聞いたその話に耳を傾ける。
「魔物の出現率とは、子供の癇癪のよう唐突に上昇しては、はたりと呆気なく下降するものです。だけど、今回は違ったのですね?」
「はい。私も、初めはそれほど深刻に受け止めていませんでした。ただ、その右肩上がりが半年も継続されれば、そう楽観的にはいられません。この土地は、かねてよりセプテリオ公爵領で流通する麦を盛んに生産し、それは『北の金海原』という通称が認知されるほどでした。ただ、その通称が生まれるに至ったその要因は、特別肥沃な土地に恵まれたとかではなくて、魔物の出現率が低いという点です。それゆえ、この金色の海原を守り抜くための兵力は、それほど重視して整備していませんでした」
「つまるところ、突然魔物が増えたせいでキャパオーバーしたってことですか?」
「そう捉えていただいて構いません。最近では、可能な限り特務隊の巡回中のみ外出するよう領民に伝えているくらいですから」
なるほど。道理で、人通りがあれだけ少ないわけだ。しかし、魔物なんて感知結界ですぐに居場所を掴めるし、そもそも1週間に1体現れて多いくらいだから、普通は外出規制なんてしない。一体どれだけの魔物が現れているんだ?
「今朝も、魔物が現れました」
「災難ですね」
「昨日は、2体」
「・・・珍しいですね」
「一昨日は、3体現れました」
「・・・セトリオ卿」
「はい。なんでしょうか?」
俺は軽く身を乗り出して言った。
「もしかして、かなりヤバい状況なのでは?」
呼応するようにセトリオ卿もテーブルに身を乗り出して答える。
「はい。とても限りなく、非常にヤバいです」
彼女の額の冷や汗が見える。美しい翡翠色も、これ以上無く真剣に見開かれていた。
「ヴェラトラ・・・様・・・」
アベルンが外向きの顔で、俺の服を摘んだ。俺もそこでハッとして、いそいそと座り直す。
「・・・状況は理解できました。ただひとつだけ伺いたいことがあります」
「・・・なんでしょうか?」
彼女はどうやら、俺がどんな質問をするかは分かっているようだ。
「貴方の雇っている侍女・・・確かアスターと言いましたね?彼女は、見るからに魔人ですよね?しかも、兇蛸の」
初めて見た時から気になっていた。8つの触手を尾のように生やし、濃密な魔力を放つアスターのことが。あれは魔人の中でもかなり上位の存在。例えば強さに明確な階級を設ければ、兇蛸のそれは水龍に迫るかもしれない。
そんな強力な仲間が陣営に居て、何故この危機にさえも動員しないのか。理由は思い当たらないでもないが、確信の持てない推論より、彼女らから確かな答えを得たかった。
カロラは緊張ゆえか、ひっきりなしに指先を揉んだり、時に交差させたりしている。これは互いの今後の為にも言うべき事だと考えられるが、それでも彼女は迷っていた。
(アスターの事が大切なんだな・・・)
俺はカロラ達とは初対面だ。だと言うのに、2人を見ていると胸がソワソワとしていた。
思い思われ、助け助けられ、1つの時を共に笑う。そんな美しい関係が、彼女らの間には構築されているように思えて、俺は・・・少し羨ましかった。
「ヴェラトラ様の疑問は分かっております。確かに、アスターに頼ればいいのかもしれない。けれど、彼女にはあまり、魔人としての力を使って欲しくない・・・目立って欲しくないのです」
国や領地によって、魔人への扱いは様々だ。神の力を多く有しているからといって崇拝したり、逆に外見の異形さを忌み嫌って差別したり。デアクアの場合はどうかと言うと、基本的には好意的に見るはずだ。ただ、例外もある。
「セトリオは、隣国のムタ王国に接している。そんな場所に、アスターのような強力な魔人を居させては、あらぬ誤解を招いてしまうと・・・そうですね?」
カロラは小さく頷いた。
デアクア王国も、いらぬ外交問題を起こすことは本意ではない。ムタ王国に批判される隙を晒すことだって避けたいだろう。そのため、アスターを陛下のお膝元に居させた上で、魔人の存在を公にしなかったセトリオ卿には処罰が降る。かもしれない。
「これまでは私の身勝手で、アスターをただの侍女として雇用していました。ヴェラトラ様の仰る通り、アスターをここに居させる事は問題に繋がります。だけど、彼女を連れ出して孤独にさせることも、彼女を兇蛸として扱う事も、私はどうしても避けたかった。しかし、その身勝手が通じない段階まで、状況は悪化しています。ですから私は、デアクア王国ではなく、王国陸軍総司令官殿に依頼文を提出したのです」
「・・・なるほど」
セトリオに魔人がいる事を知り、さてこれを報告すべきかどうかと悩んでいたものの、どうやらその必要は無いようだ。カロラは立ち回りが巧い。
「え?どういう事?」
しかし、アベルンは全くピンと来てないようだった。俺の耳元で小声で聞いてくる。
「陸軍の指揮権が誰にあるのかは知ってるよな?」
「うん、知って・・・存じ上げています。陸軍総本部総司令官の、ドゥーコ・ヴィクトル・オペドゥム様です」
「ああ。だけど、総司令官はあくまでも現場の指揮・・・陸軍の運用に携わっているのは、主に軍務大臣の方だ。だから、陸軍に応援要請する時は、基本軍務大臣の方になる。でも軍務大臣は陛下直属。お利口に大臣にお願いすれば、必ず陛下の耳にも届く。そして陛下の息がかかった部隊は、流石にアスターの事を無視出来なくなるだろう」
「確かにそうですね。ただ、デアクア王国陸軍に依頼しても、同じ事なのではないでしょうか?大臣に黙って大がかりな部隊を派遣するなんて不可能ですし、派遣するならば必ず報告の義務が・・・あ・・・」
どうやら、アベルンも気付いたらしい。
「そうだ。セトリオ卿は、陸軍総司令官ではなくて、|オペドゥム卿に依頼文を出したんだ《・・・・・・・・・・・・・・・・》」
陛下とて、流石に貴族同士の手紙のやり取りまで掌握しているわけじゃないし、貴族同士のやり取りに口を出せるわけじゃない。オペドゥム卿は、総司令官としてではなく、一貴族の立場として、この依頼を承諾した。いや、依頼なんて生真面目なものではない。要は、ご近所同士の口約束のようなものだ。ただ果たして、セトリオ卿がオペドゥム卿に頼み事を出来るのかと言う疑問が湧くが、セトリオ卿は大公爵セプテリオ卿と仲が良いらしい。その伝を利用すれば、簡単に聞いて貰えただろう。
次に、大臣に黙って応援を派遣する方法だが、それも難しくない。なんたって総司令官だ。最近あったであろう人事会議には当然出席して、大臣と話し合える立場である。しかし不可解な異動では怪しまれるから、大臣の疑念を買わないような口実と、都合の良い駒が必要だった。
それは、遠くへ追いやっても「なるほど」のひとつで片付くくらいぞんざいに扱えてかつ、それなりに強い駒。そう、つまり俺だ。
忌子であり、キャスタム伯爵の血を継いだ龍人。まるで今回のために用意されたのではと錯覚するくらいに都合が良いではないか。俺としてはクソ食らえな扱いであるが。
排他寄りなオペドゥム卿としては、セプテリオ卿に貸を作れるし、さほど仲の良くない北のムタ王国の鼻先に強力な魔人を居させられるのは好都合だったのだろう。きっとノリノリでやったに違いない。
「じゃあ私達は、セトリオ卿の侍女について我関せずを貫いて構わないと言う事でしょうか?」
「まあそうなる。そもそも、今回の仕事はセトリオ卿に力を貸すことだ。摘発じゃない」
アスターに関しては、上に報告しない。俺がそう結論づけると、カロラは「はぁ・・・」と息を漏らした。長い緊張状態から解かれ、ようやく安堵したような、そんな吐息を。
「ん?」
「申し訳ありません。つい・・・」
「いえ、構いません。部下を想う貴方の考えは当然ですし、その上で部下と、そして領地を守るために最適な行動を選びました。謹んで敬意を表します」
カロラは、暗闇からケーキでも飛び出したかのように呆けた顔で固まり、それから充足そうに笑みを浮かべた
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
俺もつられて笑ってしまう。なんだか、カロラはこの時初めて、心から喜悦を覚えたのだろうと、そんな風に感じたのだ。
久しぶりに、アベルン以外の人間と真面な会話を交わした気がした。だからだろうか?心なしか、気分が浮き足立っている。美味しいビスケットを肴に、もう少しだけ続けても良かったが、現状なかなかに差し迫った状況であることを思い出す。
「・・・さて、茶を飲み干してしまいました。名残惜しいですが、そろそろ特務隊の下へ向かわなければなりません」
「承知しました。アスターに案内をさせます」
「いいえ、それには及びません。私はキャスタムの名を預かる身ではありますが、今は陸軍特務大隊より派遣された一兵卒に過ぎません。これから世話になる先輩方には、私自身で挨拶をしたく存じます」
先輩方だと嫌味っぽいかな?と内心後悔したが、この場にいる誰も特段気にしていないようだ。カロラは「承知しました」と頷く。
「お見送りします」
カロラが先に立ち上がると同時に、外で控えていたアスターが扉を開く。
「こちらへ」
カロラとアスターが先導する。俺達は2人に着いて部屋を出た。
触手の生えたメイドってさ、スケベな漫画に出てきそうだよね




