セトリオ子爵領
よろしく~
「ヴェラトラ起きた?」
どうやら、アベルンにずっと声を掛けられていたらしい。
「悪い・・・どれくらい寝てた?」
「1時間くらいよ。昨日の宿で眠れなかった?」
「ああ。枕が合わなくてな・・・とびきり柔らかくないと、角が気になって仕方ない」
「申し訳ないね」
「いいや、あんなこと些末な問題だ。謝らないでくれ。それより・・・もうすぐ着くみたいだな」
前方に高く聳える光のカーテンを目にし、俺は嘆息を漏らす。
「感知結界か・・・初めて見るが、綺麗だな」
布の名産地から取り寄せた純白の絹を思わせる滑らかな表面と、どこまでも高く、長くセトリオの姿を閉ざす雄大さが見事だ。俺と同じようにアベルンも見上げていて、驚いている様子が見て取れる。
「アベルンも、感知結界を見るのは初めてか?」
「うん。防御結界なら見たことがあるけど、光の感知結界は初めてよ。見てると、ちょっとゾクゾクしてくるね。魔物みたいで」
「魔物みたい・・・?」
確かにあの大きさには圧倒させられるが、その例えには共感しきれない。まあ、適当に頷いておいたけど。
街道に沿って目の眩む感知結界を潜り抜けると、整然と四角い区画で分けられた麦畑が街道に沿って耕され、丁度黄金色の稲穂を揺蕩わせていた。確かセトリオは盛んに麦を生産しているそうで、他に酪農業なども営んでいるそうだ。パンやビール、並びにチーズを始めとした乳製品も有名だ。
時刻は昼時の為か、住んでいる人間は見当たらない。あるいは、感知結界が俺達に反応してしまって、隠れているのか。まあどちらでも良い。用があるのはセトリオ子爵の住まう屋敷の方だ。
広い麦畑のエリアを抜けしばらく歩くと、今度は半透明の防御結界と、その先にあるセトリオ子爵領の街並みが見えてきた。何の変哲もない、良くある普通の街。建ち並ぶ家屋は木材で骨組みを造り、粘土と漆喰で外壁を形造った伝統的なものだ。
防御結界は、恐らく氷の魔紋で生成したものだろう。街が冷えてしまわないか心配になるが、どの建物にも煙突が備えられていることに気が付き、案外問題は無いのだなと感心した。
防御結界には入り口がある。丁度この街路を進んだ先にある城門のような大きめの隙間がそれだ。隙間の傍には警備兵が2人待ち構えていて、腕を後ろで組み、背筋をピンと張った姿勢で立っていた。
「こんにちわ」
アベルンがにこやかに挨拶すると、警備兵は表情を崩す。
「ようこそおいで下さいました。ご案内致します」
警備兵は丁寧に愛想良く接してきた。俺が居ることは伝わっていないのだろうか?
防御結界を潜り抜けると、土塊の敷かれた荒れ道は終わり、石造の道路に切り替わった。舗装の脇には彩りの良い花壇があり、少し歩くと噴水のある広場に行き着いた。結構洒落た街のようだ。しかし、また別の方向を見ると、街の景観に合わない素朴な櫓が建てられていて、魔物対策はしっかりされているようだ。
街の表通りでは露店が店を構え、活気のある空気に包まれている。商人の売り文句、和やかな家族の並び、強く鼻腔を揺さぶる串焼きの匂い。王都で毎年開催される陛下の生誕祭では、王城付近の発展した区画一帯を屋台で埋め尽くされ、それはそれは非常に賑やかに催しを彩るが、ここの露店はあれほどの華は無いものの、人と人が喜楽を共にしている。それは一見素朴な風体のようで、何だか絶妙に後ろ髪を引かれる思いに駆られた。
「ヴェラトラ。お腹空いた」
「後で買ってやるから」
「いいえ。今すぐ、あれが必要なの」
振り向いてきたアベルンは目を輝かせ、串焼きの屋台を指差した。
「・・・お願い?」
猫撫で声でおねだりをする20歳女性に、俺は失笑を禁じ得なかった。
「あと10歳若ければ、買ってやらんこともなかったな」
「ロリコン?」
「んな訳ねぇだろ」
アベルンのくだらない冗談を切り捨てる。しかし彼女は、イタズラっぽくケラケラと笑うばかりだ。やはり俺の事を舐めてるなこいつ。
セトリオ子爵の屋敷は、白っぽいレンガ造りの、所謂カントリー・ハウスの普遍的佇まいだ。屋敷を囲う塀は屋敷と同じ白レンガで、簡単に乗り越えられぬように鉄の柵が上部に取り付けられている。立派な正門を抜けると、左手には庭園が、右手には厩舎が伺える。正面の屋敷は、改めてまじまじと見ると、重厚さはそれほど感じず、むしろさっぱりとして穏やかな印象を受けた。
「あれ?お出迎えは?」
屋敷に人気が無い。予め連絡はしていたから、誰かしら使用人が迎えてくれてもいいと思うのだが・・・。
「セトリオ子爵も、四傑教の信者なの?」
アベルンが不安げに聞いてくる。俺もその可能性を否定出来なくて、困ったように唸るしかない。
四傑教とは、デアクア王国で広く信仰されている宗教だ。
歴史学では、デアクアの歴史は大まかに古代と新代に分けられる。しかし四傑教においては、古代よりさらに以前の時代を神代と呼ぶ。四傑教はこの神代の出来事の、特に戦争に着目して記された記録を読み取り、哲学的な論説に発展させ1つの学術に昇華した。
大まかな概要はと言うと、戦記には主要な人物が五名いるそうだが、ここでは特に重要な人物「レハケレス」について語ろう。レハケレスは、神代において人類の生存の為に戦いに身を投じた、まさしく英雄だ。彼は神より人類を守護する使命と、それを全うするに足る神聖な力・・・今風に言うと魔力を授かり、当時世界を荒らしていた「魔獣」を討伐する戦いへと赴いた。
魔獣は魔物と似ているが、実際は規模感が違う。魔物は畑を荒らしたり人を襲う害獣の延長だが、魔獣は災害のような存在である。古代・新代では数年に一度見れば多いくらいだが、神代ではもっと頻繁に現れて、人類を絶滅寸前まで追い込んでいたらしい。
しかしレハケレスは、長い年月を戦いに費やし、ついにはそんな魑魅魍魎が蔓延る時代を終わらせた。そしてその功績を讃えられ、彼は神や天使の住まう「聖界」へと迎えられたのだ。
さて、そんな英雄譚の終結から長い時が経ち、何処の人間が記した戦記を見つけた何処の時代の人間は、英雄の自己犠牲に感銘を受けた。またそれだけでなく、英雄が聖界へと迎えられたその経緯に、希望を見出した。レハケレスの自己犠牲と、それにより得た聖界への切符を、人間はこのように解釈したのだ。『誰かの為に務め、誰かの為に生きる事こそ、人間における、神より祝福と寵愛を賜る為の試練』と。何だか都合の良い解釈だと眉を顰めたくなるが、都合が良ければ良いほど、人というモノは惹きつけられるものだ。またそれが、絶えない魔物の暴虐に困窮を強いられる時世であれば、尚更だろう。
こうして、薪に放った小さな火種が、少しずつ火の手を強めて盛んな炎になるように、四傑教はデアクアに普及していった。初めは小さな拠り所であり、いつしか触れ時を誤れば呑まれる大きな力となった。力を振るう信者は広大に伸びて、四傑教の教えを当然の倫理とまで言わしめるに至った。
念の為言っておくと、彼らの行いは概ね正しい。金と権力が集中する巨大な組織であるという都合上、それが孕む性悪がどれほどか想像に難くない。しかしそれでも、四傑教は人々の生きる希望として確立したのは事実だし、何より彼らの説く教えは治安向上や経済といった形で社会の役に立っている。ただそれは、客観的に見てそうであるというだけだ。俺にとっては、生涯纏わり付いては、落伍者の烙印を身勝手に押し付けてくる邪悪に他ならない。
四傑教には一つ、重要な教えがある。レハケレス含めた神代の英雄は、神よし魔力を授かった。つまり魔力とは、神の一端。そしてそれを扱える人類は、神に認められたも当然なのだと言う。逆に、魔力を持っていない落伍者は、神に捨てられた忌子だと。
忌子にとって、ライ麦のパンにハムを付け足す事は身に余る贅沢で、食後の紅茶を楽しむ趣向も不相応だ。ましてや、客人としてもてなされる事などあるはずがない。
「・・・アベルン。悪いが1人で行ってくれないか?どうやら、俺がいるとダメみたいだ」
俺は腐ってもキャスタム伯爵の息子だし、アベルンは魔術師の名家ブラキウム子爵家の人間だ。親父の伝で今回の件が決まったのなら、少なからずアベルンへの対応はするべきだろう。しかし現実は、定刻通りにやってきた俺達に挨拶の1つも無い。よほど忌子が嫌なのか、落ちこぼれの英雄が嫌なのか。どちらにせよ、俺がいては仕事が進まない。
だがアベルンは、煎じて煎じすぎた茶を啜ったような顔で不満を漏らした。
「今の私の立場は、ヴェラトラの護衛とお世話係ってことになってるのよ?流石にあなたを放置していけないよ」
「いやそうかもしれないけど・・・」
確かに、本命が不在にして従者だけを寄越したら、それは不遜に見られかねない。しかし今回は・・・。
「仕方がないだろ?あっちが俺の事歓迎してないんだぜ?」
「そうだとしても、キャスタム卿は増援としてあなたを名指ししてここに派遣したんでしょ?ならあなたは、当代の代理としての立場も担っていることになるわ。要は面子よ。それをまる潰しにしない為にも、あなたは絶対行かないとダメ」
「えぇ・・・」
全然気乗りしないのだが。本当に行かないとダメなの?という視線で彼女をチラチラと見ると、獅子のような目力で凄まれた。ハイ、行きまーす。
俺は客席を降り、入り口の前に立った。初めましての挨拶、こればかりはいつまでも慣れない。姿を一瞥されたと思えば、「なんだお前かよ」とでも言いたげな冷たい視線で見返される。肌をチクチクと刺されたように、不快で痛い。
深呼吸。2回吸って、吐いて、心は少し落ち着いた気がした。いや、全然落ち着いてない。
そんな状態で、オロオロとドアに手を伸ばした。すると、背後で大きな物音が響く。まるで何かが落ちたような、只事でない音だった。俺とアベルンは一斉に振り向き、砂埃の舞う音の元凶を観察していると、段々と埃は晴れ、正体不明の2名を視界に捉えた。
「お嬢様。お怪我は?」
「いいえアスター。問題ないわ」
「そうですか。ところでお嬢様。お疲れのところ大変恐縮ではありますが、ご報告をしてもよろしいでしょうか?」
「報告?こんな時にどうしたの?」
「緊急でございます。キャスタム卿の御子息が、丁度ご到着されたようです」
繰り広げられる会話の最中、アスターと呼ばれた女が、抑揚のあまりない平坦な声色でしたその報告に、お嬢様は「え・・・」と混乱や絶望の前兆と思しき声を漏らして固まった。着地した瞬間、お嬢様は俺達に背を向けていて、すぐには気が付かなかったのだろう。油の不足したぜんまいのようにカタカタと振り向き、俺とアベルンの困った様子を確認すると・・・
「あぐ・・・」
卒倒した。
ありがと




