龍人、田舎に左遷
よろしくお願いします
辺境の領地というものは、やはり開墾が進んでいないという訳もあって、視界を収める色彩は直緑が定番だ。ところがここは、その流れにそぐわない禿げた平原を地平の先まで広げ、その様は偉観と言う他無い。
「いやぁ、すごいよねぇ。どうしたらこんな景色が自然に出来るんだろ?」
馬車の手綱を握りながら、アベルンは感嘆を漏らす。俺は彼女に説明した。
「セトリオ子爵領は、ずっと昔に赤龍の被害に遭ったらしい。領内の広い範囲を焼き尽くされたそうだ。人も、家も、草木すらも」
「えぇ? じゃあもしかして、ここが・・・」
「ああ。赤龍とは恐ろしいな。今尚、ここにはしつこい雑草しか居付くことが叶わないんだから」
俺が他人事のように語ると、アベルンは背を向けたまま意地悪っぽく言う。
「龍人のあなたが、赤龍を恐ろしいなんて言うんだ?」
いかにも楽しげに震えるアベルンの華奢な肩に、ヴェラトラは傍のつまらん小説を投げてみたくなった。少しくらい、その生意気な口を閉じてくれるだろうか?
(・・・一応高級品だし、やめとくか)
『物は大切にしなさい』という、口うるさい母親の説教が脳裏を過ぎる。俺は小説を手放し、小さくため息を漏らした。
「・・・人が人を恐れるのと理屈は同じさ。ましてや、魔術の使えない木偶の坊に言わせれば、赤龍なんていう化け物、出会すのも御免だね」
「あなたが木偶の坊なら、私は案山子になるのかな?」
「いいや、謙遜も甚だしいな。お前は優秀な魔術師で、俺はせいぜい屋敷の番犬がいいとこだろ」
俺が軽く口にした言葉に、アベルンの震えがぴたりと止まる。
「いやぁ・・・番犬なんかじゃないよ・・・」
気遣いか、あるいは意地悪な冗談による気まずさか。アベルンの声音は、どことなく落ち込んでいるように感じた。
(ちょっとやり過ぎたか? )
目上の人間が、「俺は犬だっ!」なんて滑稽な宣言をしたとして、果たしてそれを肯定する度胸をなんと呼べば良い? 蛮勇? 考え無し? 愚か? いずれにしても、彼女に相応しい称号では全くないだろう。
とはいえ、俺は少しだけ、いいやかなり、彼女にこの冗談を笑い飛ばして欲しかった。そうでもないと、このみみっちい矜持をズタズタに引き裂く無力感で、自分自身の事すら傷付けてしまいかねないと思ったのだ。
(アベルンは、俺の事をどう思っているんだろう?)
彼女の背中が、嫌に遠くに感じる。始まりは、親父の執務室からだった。
*****
珍しく、親父からの手紙が宿舎に届いたと寮母から聞いた時には、嫌な予感がしていた。
我が国デアクア王国が誇る剣とは、まさしく王国軍の事を指す言葉だが、デアクア王国の盾とは、つまり王国陸軍特務大隊の事を指す。
世界に蔓延る魔物の脅威からデアクア王国を守る、まさに盾としての役割を担う特務大隊は、佐官から一兵卒に至るまで精鋭で揃えられる。特に、大隊長を務めるエクエル・ラコニス・フィクトコード・キャスタム・レハケレスは、水龍の魔人として優れた力を有し、英雄として讃えられていた。
英雄の日々は多忙の一言に尽きる。朝早くに屋敷を出て、寝静まる頃にようやく帰るような生活だ。そんな親父が、わざわざ時間を作って会おうだなんて、よほどの事がない限りは言わないだろう。
俺は寮母に話をつけ、久しぶりに帰省した。数年ぶりの屋敷は、懐かしむような思い出も無い為に感慨深さは無かったが、変わらず差し向けられる従者や客人からの冷たい視線にはむしろ安心した。
キャスタム伯爵家は水龍の一族。そして、英雄の一族だ。この家の初代当主となったラコニス・フィクトコード・レハケレスは、デアクア王国に降り掛かった厄災、魔獣カトブレパスを退ける戦いにおいて多大な貢献をし、勲章と伯爵位、そして神話の英雄レハケレスの名を王より冠された。
こうして興ったキャスタム伯爵家では、代々当主を継いだ者にラコニスの名を加える。親父もその慣例に則り、フルネームにはラコニスが入っていた。また親父は、魔獣との戦いで生還した者に授与される傑英勲章と、魔獣との戦いにおいて前線で指揮を執った者にのみ許されるレハケレスの名を冠していた。
親父は偉大な人物だ。誰がどのように見ても、それは揺らがない。ただし、彼にも一つの汚点があると密かに言われていた。
彼と、娶った妻との間で授かった宝は2人。1人は、ファットム・フィクトコード。容姿、才覚、気品。父親の素養を全て受け継ぐ長男は、社交界でも特段注目される有望株で、デアクア王国の未来を担う事を期待された。そしてもう1人。これが問題だ。ヴェラトラ・フィクトコード。語るに足らず。こいつは魔術が産まれながらに使えなかったのだ。
キャスタム伯爵家の当主は、あくまで慣例ではあるものの、特務大隊の大隊長に任ぜられる。当主でない者も、それなりのポストに就くことはもはや使命であった。それは何故か? キャスタム伯爵家が、水龍の魔人として生まれる血統だからだ。
魔人は、通常の人間と比較して、身体的強度、魔術適正等の、戦う為の才能が秀でていた。そしてこの国では、力のある者は、それを他者の為に使う事を美徳とされる。故に、キャスタム伯爵家が、特務大隊で勲章級の戦果を挙げることは普通の認識で、逆にそれを望めない凡才には辛辣な言葉の刃が降り注いだ。
俺はキャスタム伯爵家の人間だ。しかし、魔術が使えない。それはつまり、一族の恥という事だ。
恥に、一端の生活が望めるだろうか? 答えは否だ。期待の裏には落胆がある。周囲の人間の態度はとても冷たく、幼い頃の俺にとっては耐え難いものだった。いくらか自尊心を欠乏し、ひいては自分自身の持ち得た生来の価値を疑った。幸いだったのは、俺が親父と血の繋がった息子だった事だろう。末席を汚す邪魔者を憎み、手を下そうと画策する者は一度として現れなかった。
いいや、俺が親父の子であろうと、そうでなかろうと、同じだったのかもしれない。これまでの人生を振り返って、俺は今を生きる事に幸福を得た覚えがない。負債のように積み重なるこの胸の蟠りは、当てもなく彷徨っているような鬱屈さを感じさせる。きっといつしか、俺はその場で仰向けになって、星空の美しさを改めて知ることになるのだろうから。そして、そのいつしかは、それほど遠くないような気がする。
親父の執務室のドアは、とても重厚に、それでいて静謐にデザインされている。まるで、あいつの心の中を逆さまにして中身を取り出して、貼り付けたかのようだ。
魔物と戦う時も、面倒な貴族に絡まれた時も、それほど緊張はしない。しかし、この親父と言葉を交わすその一時に関しては、俺は湿った掌の冷たさを感じてしまっていた。
ノック。回数は2回だ。唾を飲み込んで返事を待っていると・・・おい、いないのか? 返事が無いぞ?
「ヴェラトラ」
突如として、荘厳さを纏う呼び声に背中を刺され、俺は思わず背筋をピンと伸ばした。
「お、親父・・・」
全く気配が無かった。あまりの驚きに心音がけたたましく鳴った。
「た、ただいま戻りました・・・」
唖然とする俺を、親父は無表情で一瞥し、気に留めることもなくドアノブを捻った。
「よく戻ってきた。兎も角、入れ。ここで立ち話もなんだろう」
「は、はい・・・」
言われるがまま、俺は親父に着いて行く。
親父の執務室は、1人用と言うには広く思える造りをしていて、ここに会議用の円卓でも放り込めば様になるだろうという様相だ。苺を絞ったような赤い絨毯は艶があり、一歩一歩進むと芝生のような柔い感触が足裏に跳ね返ってくる。部屋の中央には背の低いテーブルと、それを挟む革のソファ。隅には資料やらが丁寧に整理された書棚があって、入り口から見て正面の奥に、親父の仕事机がある。親父はツカツカと小さな足音を鳴らし、片方のソファに腰掛けた。
「・・・」
親父は腕を組んで、軽く俯いていた。それも無言のままで。俺はなんとなく遠慮してその場に立っていたら、親父が目配せをしてきた。座れ、ということだろう。
互いに着席すると、程なくして侍女が茶を持ってきた。ついでに、それに合うスコーンも。
(いい香りがする・・・)
なんの香りかは分からないけど。親父が口を付けたのを見計らって、俺も一口頂いた。凄く美味しいです。
侍女がササっと部屋を出ていくと、ようやく親父は口を開いた。
「デアクア・ケレス街道の任は、滞りなく進んだか?」
「はい。その件はつつがなく。先日の作戦では、地元の駐屯兵と連携を取り、プラット街付近の脅威を取り除きました」
デアクア・ケレス街道とは、デアクア王国と同盟国ケレス共和国とを繋ぐデアクアの主要街道で、両国の貿易の動脈として重宝される貿易路だ。しかし先日、この貿易路の路線上で、商人が魔物の被害に遭った。なんとか逃げ延びた商人は、すかさず駐屯兵に通報。通報を受けたプラット街駐屯兵が討伐に向かった。ところが、彼らは想定以上の魔物を前にし敗走してしまい、陸軍本部に応援要請をしたのだ。そして、そこで白羽の矢が立ったのが、俺が小隊長を務める本部第二小隊だった。
「報告書は読ませてもらった。だが、お前の口から改めて聞きたい。不遜にも、両雄の血脈を我が者顔でのさばった輩は、いかなる者だった?」
「待ち受けていたのは、小さい体躯の地竜でした。小さいと言っても、馬が二足で立ち上がったくらいの高さに肩がありましたが。とはいえ、特筆した能力は無く、難なく討伐することが出来ましたよ」
「そうか・・・ところで、お前の指揮に関して、いくらか不満を募らせる兵がいると聞き及んだ」
「・・・あぁ」
俺が思わず視線を横に流すと、親父の声が少し棘を含んだ。
「心当たりは?」
どうしよう。心当たりしかない。まさか、末端の兵士の言葉が親父に届くとは思わなんだ。もう誤魔化せないなと俺は観念した。
「それは・・・はい、あります。今回の任務に際して、地竜との直接的な戦闘は、俺1人で行いました」
「他の隊員は何をしていた?」
「俺の指示で、地竜の捜索のみをさせていました」
「何故だ?」
親父の声は、壁際に追い詰めた盗人を問い詰める切先の如く、俺の鼻先で静かに構えられていた。俺は動揺して吃りそうになる声を出来るだけ平坦に保ち、つらつらと答えた。
「それは・・・必要が無いからです。地竜との戦いは、俺1人で事足ります」
「その采配は、どのような思惑で執ったのだ? お前の傲慢さがそうさせたのか? あるいは、打算的思考か? それとも温情か?」
「・・・合理的に考えたまでです」
「その合理とは、お前の身勝手な決断を正当化する論理に他ならないのではないか?」
親父に鋭く問い詰められると、その勢いに気圧されて頷いてしまいそうになる。しかしそれでも、親父のその解釈は心外だった。
「僭上の沙汰に走る愚蒙は、いつだって避けるように心掛けています。俺はただ、余計な損失を負うべきではないと、そう考えたまでです」
「余計な損失・・・か。兵士が何の為に戦っているのか、考えたことはあるか?」
「いいえありません。ただ、想像は出来ます。例えば四傑教などは、戦うことを推奨していますし、そもそも魔物の脅威が蔓延るこの世界で、魔物から家族を守りたいと考える者は少なくないでしょう」
「ああ、その通りだ。故に疑問だ。何故それを理解した上で、合理的な采配を執った?」
重ねて質問をされて、俺は内心で困惑していた。先ほどの答えが全てだ。これ以上言う事は無い。それ故俺は、油を注して尚ごたつく歯車でも見るような面持ちで、親父に言った。
「・・・怪我をしなくていいのなら、それ以上の事はないのではないかと」
すると親父は、目を瞬かせたのち、見るからに呆れた様子でため息を溢す。
(あーあ・・・やっちゃった・・・)
怒りを通り越して、呆れられてしまったこの不安というか、罪悪感というか、喪失感というか・・・言い様の無いイカ墨のような黒いモヤモヤが、俺の胸中で埋め尽くされる。何か弁明とかをした方がいいのではないか、謝罪した方がいいのではないか。思考が巡るが、いずれの案も試行するより先に、親父は別の話題へと切り替えていた。
「もう良い。そろそろ、お前を呼びつけた本題に入ろう」
親父は、つい数秒前の事など眼中に無いとでも言いたげな、いつも通りの表情に戻っていた。俺はしばし迷った挙句、その本題とやらに耳を傾けることを選んだ。
「人事異動の件だ。お前にも通達が来ていると思うが、今回は特例となるから、俺の口から直接言うことにした」
「特例・・・ですか?」
デアクア王国陸軍では、3年周期で人事異動が実施される。丁度来月がその実施日だ。大抵は士官が異動の対象となるため、俺にもその通達が来ていた。しかし、特例とは一体何だ? 俺は訝しく思いつつも、親父の言葉を待った。
「そうだ。通常は小隊間での異動となるが、ヴェラトラには遠出をしてもらう」
「と、遠出?」
思わぬ方向に話が進んでいた。俺は面食らうも、何とか気を持ち直し、親父に確認した。
「え〜っと・・・遠征ではなくてですか?」
「ああ。お前は、北のセトリオ子爵領の特務隊に加入し、以降地域防衛の任務に就く」
「また竜でも現れたんですか?」
「いいや。もう一度言うが、これは遠征ではない。セトリオ子爵領より受理した依頼文によって、特務大隊は防衛の増強に手を貸すことを約束した。また此度の異動は、総司令官殿の承認及び、キャスタム伯爵家とセトリオ子爵家両家の合意の下で既に決定している」
「えぇ・・・」
セトリオ子爵領と言うと、確か北方の辺境にある田舎街だ。別に陸軍本部から近いという訳でもなく、かといって緊急の案件も無い為、わざわざ本部の者を送る意味が分からなかった。そもそも、デアクア王国の各地には駐屯兵が滞在していて、普通は先にそちらを頼るものだろう。
(いや、まさか・・・)
思考を巡らせると、俺は一つの仮説に辿り着く。
「親父は、先日の件をそれほど重く受け止めているのですか? でしたら、ここで弁明をさせてください。確かにあれは、小隊の規律と士気を乱しかねない出過ぎた真似でした。ですが、俺の小隊には経験の浅い隊員が多く、地竜と戦うにはいささか不十分でした。彼らに任せれば、こちらの人員に被害が出ていたでしょう。そもそも、現場の指揮権は俺にあります。不満を言われようと、処罰を受ける謂れは無い筈です」
人事の意図が俺の予想の通りであれば、結構まずいことだ。無駄とは分かっているが、それでも抗弁を垂れずにはいられなかった。しかし親父は、眉一つとして顔色を変えずにそれを聞き流す。そして、俺の言葉が途切れたその時に、ようやく口を開いた。
「お前は何を勘違いしている? 此度の決定は2ヶ月前にされている。お前の失態や言い訳が、人事異動会議に影響を及ぼしたという事はない」
親父が告げたその事実に、俺は唖然とした。
「は・・・? ならなんで・・・?」
絞り出すように問うと、親父は紅茶を一口飲み、それから答えた。
「より適任がいる・・・ただそれだけの事だ」
親父は無情に、俺が拒絶したくて堪らない言葉を突き付けてきた。
キャスタム伯爵家の俺より適任がいる。それはつまり、英雄の息子である俺が、そいつよりも劣っているという事になる。特務大隊の大隊長を務める親父と、その後を継ぐ兄貴の顔がふと思い浮かんだ。そして、冷め切った紅茶の中で揺れる俺の姿。その情けない俯き顔は、とてもキャスタム伯爵家に相応しい人相ではない。
親父の部下として。ひいては兄貴の片腕として。俺は俺の姓に恥じない生涯を送るべきだ。しかし現実は、小隊の指揮すら引き摺り下ろされる愚鈍な龍人に過ぎず、その理想はもはや務める事叶わない。
「俺が、魔術を使えないからですか・・・?」
キャスタム伯爵家だから、力があるのではない。力があるからこそ、この家は栄華を極めたのだ。それ故、その当然に綻びを生み出す存在悪は、切り捨てなければならない。それは理解しているのだ。だが俺は、生まれ持った不遇に嘆息ばかりの横着者であったつもりは無い。責務、使命を理解し、それを全うしているはずだ。
「どう解釈しようと、それはお前の自由だ。だが、キャスタム伯爵家の者として、唾棄せねばならん檻に囚われているとすれば・・・お前は、しばらく己を見つめ直すべきだ」
「で、ですが・・・」
「下がれ」
「・・・!」
食い下がると物凄い剣幕で睨まれ、俺はその場を立ち去るしかなかった。
こうして、俺は国王様のお膝元というエリート配属から一転、田舎の辺境配属へと変わってしまった。所謂、左遷というやつである。
ありがとうございました




