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87. 気持ちの発露

更新期間が空いてしまい大変申し訳ありません。

 すぐにでも時間が欲しいと願ったレオノラの要望通り、二人はベルナールの執務室のソファで向かい合っていた。

 身支度もそこそこに、ジャケットを脱いでシャツとベストだけになったベルナールの姿を、レオノラはじっと観察する。


 上着が無い分、ベルナールのほっそりした線がしっかり見える。だというのに、抱き締められた時のあの力は一体どこから出てくるのか。

 朝もそうだったが、ギチギチに締め付けられてまともに呼吸すらできなかった。これについては、どこかでしっかり抗議しないと、いつか事故が起きる気がする。いくらベルナールが甘えてくるのが嬉しいと言っても、こちらの骨がボキリと折れてからでは遅いのだ。


 とはいえ、それはまた今度にすれば良い。

 それよりも、レオノラには今伝えたい想いがある。


 その決め手となったのは、ニクソンから入手したリストだ。


『旦那様に口止めをされているので、私からお伝えすることはできかねます。こちらに旦那様が指示を出した店名や品物の控えがございますが、奥様にお見せするわけにはいきません。ところで、私は今宵の夕食のことで料理長と相談がありますので、これで失礼いたします』


 そう言って部屋を出て行った老執事紳士の意図を汲み取ったレオノラは、机に置かれたままのリストを手に取った。


 そこから読み取れたことは、嫁いでから時々購入された日用品等が、わざわざレオノラの好みに合わせて用意されたものだったということ。

 サン・ブラムで留学したご令嬢に言われた時にもしやと思ったが。これだけレオノラの好みの品が集まっていたのは、単なる幸運でも、ニクソンの気遣いでもなかった。


 好みに合わせた菓子に調味料、香水や本。その他にも色々ある。

 レオノラには知らせない裏で、ベルナールの金銭と労力がかなりつぎ込まれていた。単純に好みに合う品を買うのではなく、好みに合わせて新しく作らせるものだから、余計な苦労が発生したものばかり。


(しかも、家出するずっと前から)


 自覚があったのかなかったのかはさておき、紛れもないベルナールの好意の表れだった。


「ベルナール様」

「なんだ…」


 話を切り出せば、ベルナールが不快そうに眉を寄せる。とても好いた相手と対面している顔には見えなくてレオノラは笑いそうになるが、頬を懸命に引き締めた。


「ベルナール様は、私のことが好きですか?」

「はっ?」


 前振りなく本題をぶつけたレオノラは、相手の反応を注意深く観察した。

 案の定、予想外の質問だったらしい。ベルナールは低く唸るような声で固まっていたが、意味を理解したのか、思い切り顔を歪めた。


「そ、そんな話なら今しなくて良いだろう」

「必要だから聞いてます」

「なんの為に…」

「答えてください。私のことが好きですか?」


 忌々し気にこちらを睨むベルナールだが、レオノラも負けじと食い下がる。ベルナールの顔は怒りなのか不満なのかで歪んでおり、ギリギリと歯ぎしりすら聞こえてきそうだ。

 少しの間睨み合いが続いたが、先に目を逸らしたのはベルナールだった。フイと顔を横に向け、何か深く思案するように目が細められる。


 そして少ししてから意を決したように口を僅かに開いたのだが、ヒュゥと掠れた音が鳴っただけだった。

 そのまま苦し気に顔を歪めるベルナールを、レオノラはじっと待つ。


 はくはくと陸に打ち上げられた魚の様に口を閉口させたベルナールは、そのまま短く舌打ちを響かせた。


「……チッ」


 胃が捩れる。胸が詰まる。吐き気がするほどの不快感に、ベルナールは再度舌打ちを漏らした。

 急に訳の分からないことを言い出した妻に苛立つのに、今も紅い瞳がジッとこちらを見詰めてきて、逃げ出すことができない。


 求められた言葉は、言うべきものだと頭では分かるのに、それを発する前にどうしても口の端が歪む。

 

「……す、」


 戦慄く口元を引き絞ったベルナールが、何度か呼吸音を繰り返すと、ギリギリと噛み締めた歯の隙間から漸く、掠れた声が出てきた。


「す、………す……」


 まるで初めて言葉を発した赤ん坊のように、口を何度も大きく開いて、小さな声を出すベルナールを、レオノラは静かに見守る。

 妻への好意の言葉一つ、まともに紡げない情けない男の姿の筈なのに、どうしてそれがこんなに可愛く見えてしまうんだろう。


「……き、…………だ」

「もう一回」

「…はっ?」

「もう一回言ってください。私のことが好きですか?」


 途切れ途切れに、文字だけなんとか言い終えたベルナールに、レオノラはすかさずまた要求した。


 当然ベルナールからギョロリと蛇の様な鋭い眼光が飛ばされる。


 折角、身を切られる思いに耐えてやり遂げたのに、再度信じられない要求をされたベルナールはギリッとまた奥歯を噛んだ。ふざけるなと怒鳴りつけたくなるが、レオノラに見詰められまたしても逃げられなくなる。


「……す、…きだ」


 言葉の間を置きすぎたのが良くなかったのか。そう思ってベルナールは、少しだけ口に馴染んだ言葉を、今度は少しだけ滑らかに紡いだ。

 これなら文句はあるまい、と思ったのに…


「もう一回」


 またしても飛んできた要求に、今度こそベルナールは苛立ちを抑えられなかった。


「だから!お前が好きだと言ってるだろうが!いい加減にしろ」


 思わずソファから立ち上がって睨みつけてやれば、当のレオノラは小さく笑っていた。


「フフフ」

「何が可笑しい!」

「違います。嬉しいんです」

「はっ?」


 怒りに任せて立ち上がったベルナールに合わせてレオノラもソファから立ち上がる。そして虚を突かれた様に固まるベルナールの緑眼を正面からしっかり見つめ返した。


「好きな人に好きって言って貰えるのは、嬉しいです」

「……はっ?」

「私も、ベルナール様が好きです」


 静かな、しかししっかりと熱を込めた言葉が部屋に響く。その音が耳の鼓膜を揺らし、そのまま空気に溶けた。

 言葉を脳が理解するまでのほんの僅かな静寂。そして、その意味をちゃんと受け取ったベルナールが、カァッと顔を赤くした。


 その姿にまた笑いを漏らしながら、レオノラは止まらずに思いの丈を全て言葉にすべく口を開く。


「ちゃんと、恋愛としての意味ですよ。ベルナール様のことを、夫として、男性として、恋の対象として。貴方が好きです」

「………」

「ベルナール様に好いて貰えるのが凄く嬉しいし、両想いになれて幸せだって思えます。これから、ずっと妻として、ベルナール様と一緒に居たいです」

「…………」

「……えっと、ベルナール様、聞いてますか?」


 これまでを取り戻すような情熱的な告白に、反応が返ってこなくてレオノラは不安になる。照れるか怒鳴るか狼狽えるか、どうなるかと少し待ってみたが、ベルナールは無言でソファに座って俯いてしまった。その顔は真っ赤なのだが、いつもの様な悪態一つ吐いてこない。


 無反応は流石に予想外だが、急な告白でベルナールも戸惑ったかもしれない、と納得し大人しくレオノラも座り直す。


 そして少しの間静かに待っていたのだが。


「………………」


 重い沈黙がひたすら続いた。コチコチと時計の秒針が妙に響く。

 息を吐き出すのも躊躇われるような緊張感が、五分、十分、と過ぎ。ニ十分経ってもひたすら黙って俯くベルナールに、レオノラもついに耐えきれずに口を開いた。


「ベルナール様。私は部屋に戻りましょうか?」

「お前はそこにいろ」

「あ、はい……それなら、ちょっとお茶を頼んでも…」

「この部屋に誰も近づけさせるな」

「えぇぇ…」


 緑眼がギョロギョロ動いているのは、何かを思考しているのか。顔の赤みが引いて、普段の不機嫌そうな思案顔になっている。

 しかし、何を考えているのかは分からない。

 折角気持ちが通じ合ったのだから、ここはお互いに喜びを表すところではないのだろうか。


「……あの、ベルナール様」

「考え中だ。少し待ってろ」

「……少し…ですか?」


 そう言われたが、その後も暫く待ってもベルナールは動かず。手持無沙汰に飲む紅茶もなく。僅かな動きも躊躇われるような、緊張した空気に肩が張る。

 微妙な沈黙に必死に耐えるが、動けない窮屈さにジワジワと手足が痺れてきた。


 流石にそろそろ限界だとレオノラが抗議のために顔をあげたところで、それまで沈黙を貫いていたベルナールが急にボソリと声を発した。


「し、きを…あげない、か…?」

「え?なんですか?」

「……(しき)を、あげないかと言ってるんだ」


 はて、「しき」とは何のことか。レオノラは首を傾げた。

 言われた意味が分からず、もしかしてなにか聞き逃したのかと考える。なにせ今のベルナールは片手で口を覆い、顔も横を向いていて、言葉が非常に聞き取りにくい。


「士気…?なにか戦うんですか?」

「……」


 ベルナールの眉がグッと寄ったので、どうやら違うらしくレオノラは混乱する。


「えっと、なんのことか分からなくて…」

「だから、式をあげないかと言っている」

「“しき”ってなんのことですか?」

「結婚式だ!」

「はい?」


 あまりにも予想外の言葉だったものだから、思わず間抜けな声が出てしまった。それが否定的に聞こえたのか、ベルナールが物凄く不愉快そうに眉を歪めたのでレオノラは慌てる。


「あ、いえ。えっと…ちょっと予想外だったので驚いたというか。その…」

「嫌なのか?」

「いえいえ!嫌じゃないです…でも、あの…なんで急に?」

「……」


 首を傾げるレオノラの前で、ベルナールは「間違えたか」と不安にギリッと拳を握った。何故、と聞かれて浮かぶ答えを、どう言葉にして良いのか分からない。


 「好きだ」と言った後に、同じ想いを返されて、脳が一瞬で沸騰した。これは夢か、それとも何か自分が勘違いしているのか、と疑うも、レオノラが続けて色々と言葉を尽くすものだから、ベルナールもその意味を受け取らざるを得ない。


 しかし、それに何か返したくても、適切な言葉が見つからなかった。

 “気持ちが通じ合う”“想いが重なる”“両想いになる”そんな場面であることは理解できる。だが、だからどうすれば良いのだ。


 何十冊と読んだ恋愛小説(参考資料)では、こういう時に出る台詞は大体同じ様なものだった。気障ったらしい男が、気障ったらしい仕草で、気障ったらしい台詞を吐くのだ。

 思い起こされるそれらの薄ら寒い台詞を自分が口にすれば、確実に舌がねじ切れる。

 実際に思っている筈の「嬉しい」の一言すら、胃が捩れて言葉にできないのに。 

 

 言葉が無理なら、なにか行動で示すべきだろうか。

 しかしそれも、参考になりそうな展開がすぐには思いつかなかった。

 こういう時は抱き締めるか口付けるかが定番だったが、その後でどうすれば良いのか分からない上に、そもそも正気の沙汰ではないので却下だ。

 

 けれど、ならばこの気持ちをどうすれば良いのか。何かないのか。


 グルグルと必死に思考を回し、ああでもないこうでもないと散々思い悩んだ末にふと思いついたのが、結婚式(・・・)だった。

 恋愛小説(参考資料)でも見た展開なのだから、想いが通じ合った者同士の気持ちの表現としても、間違っていない筈。


 それに加えて…

 

「お前が…一生、私の妻であると…知らしめたくなった」


 誰にかは分からないが。むしろ貴族でも、国民でも、神でも、誰でも良い。レオノラが自分の妻である誇らしさを見せつけたい。

 そんな想いが沸いてきたのだ。


 ベルナールの唸るような言葉が意外過ぎて、レオノラは口を開けて放心してしまった。


「へっ?」


 間抜けな声が漏れるのも気にせず、呆気に取られる。しかし、すぐにジワジワとその意味を理解すると同時にボッと頬が熱を持った。


「えっ!え、えぇ…あ、えっと、えぇっと…」


 言い方があまりにも遠まわしな気はするが、言わんとしていることは分かった。

 それはつまり、結婚式を挙げたくなるほど嬉しいということなのでは。ただの手続きや形式としてではなく、気持ちの発露として。


 そんなことを、ベルナールはずっと考えていたのだろうか。それも、結婚式に行き着くなんて、どれほどに喜んでくれていることになるのか。

 そう思うと、先ほどまで気まずかったあの沈黙の時間が、途端に愛おしいものに感じられる。


「やはり嫌なのか?」

「い、いえいえ!素敵です!やりましょう。結婚式」

「そうか」

「はい!ベルナール様が、私に永遠の愛を誓うってことですね」

「うぐっ!」


 自分がどんなに照れ臭い時でも、相手の方が更に顔を赤くしたら冷静になるというもの。

 途端に息を詰まらせて固まったベルナールの姿に、レオノラはニヤリと笑みが漏れた。その勢いのまま、素早く立ち上がりベルナールの隣に移動する。


「いいですかベルナール様。ちゃんと誓いの言葉の時に“愛しています”って言ってくださいね」

「なっ!?ち、誓いの言葉は“はい”か”いいえ”だろうが」


 なぜ“いいえ”があるんだ、と突っ込みたくなったが、火が着いた様に赤いベルナールの顔に免じて、そこは目を瞑る。

 その代わりに、ぐっと距離を近づけてやれば、ビクリと飛び上がる勢いで仰け反っていた。


「定番はありますけど決まってませんし、いいじゃないですか。私もちゃんと言いますから」

「うっ…い、いや…」

「お願いします、ベルナール様」

 

 レオノラが期待した顔で見詰めれば、ベルナールの表情はどんどん険しくなっていく。眉間に皺を寄せ、青筋を浮かべ、低い唸り声まで聞こえてきた。


 しかしこれは、レオノラの願いを叶える為に葛藤している顔なのだと、なんとなく分かってしまう。


「………善処する」

「ありがとうございます!嬉しいです」


 パッと顔を輝かせたレオノラの横で、ベルナールはますます顔を憎らし気に歪めていく。とても、愛の誓いの言葉の話をしているとは思えない。


 そんな国中が震えあがる悪役顔の筈なのに、レオノラには何よりも可愛らしく見えてしまい、こらえきれずに笑いを漏らしたのだった。

ちゃんと言えたね、蛇宰相


ここまで読んでいただきありがとうございます。

ブックマークやリアクションや評価くださった方々も誠にありがとうございます。


次回エピローグとなります。

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