88. エピローグ 〜蛇宰相の妻〜
可能な限り準備を急ぎ、慌ただしい三ヶ月を経てレオノラは結婚式場の控室にいた。
花嫁の為の純白のドレスを纏った自分を鏡で確認しながら、この三ヶ月間の事を思い出す。
ベルナールと思いが通じ合った後の生活はそれなりに甘く、楽しかったが、そこそこ苦労もあった。特に結婚式の準備において、何かと無茶を押し通そうとするから、何度それを慌てて止めたことか。
このドレスにしても、もはやベルナールの癖なのか、先回りでレオノラの好みのものを用意しようとあらゆる職人に圧を掛けようとしていたらしい。
ニクソンの密告により、レオノラはそれを事前に察知しなんとか回避していた。
忙しいベルナールに無理を言うことにはなったが、仕立屋との打合せに毎度同席してもらい、一緒にドレスを選ぶということを徹底したのだ。
ベルナールの暴走も止められるし、一緒に選ぶ行為を悪くないと思ってくれれば、今後も何かプレゼントされる時も裏で暴走させることなく、その方向に持っていけるかもしれない。
「……でも、真向から否定しないのは、やっぱり嬉しいからよね」
あり得ない金額と労力を掛けるのはきちんと止めるが、それでもベルナールの気持ちが嬉しくて、レオノラは面と向かって贈り物をやめろとは言えないでいた。
「これって、悪女ってやつにならない?」
今日の結婚式も、レオノラが抑えたとはいえ、各方面にベルナールが権力を掲げてそこそこの無茶を通していた。
これは妻の立場で悪役蛇宰相を利用し、恩恵を享受していることにはならないだろうか。
「……いや、まぁそんな大したことしてないし。大丈夫でしょ」
ほんのり浮かんだ疑問を忘れようとうんうん頷いていれば、部屋の扉が軽くノックされた。
「奥様、そろそろお出でください。旦那様がお待ちです」
「すぐ行くわ」
支度を手伝ってくれたケイティに呼ばれ、レオノラはドレスの裾を少し摘まんで振り返った。
花嫁の控室を出て、真っ白な教会の廊下を進む。案内されるまま入場口が見えたところで、扉の前に立つベルナールの後ろ姿が見えた。
「ベルナール様!」
レオノラが思わず呼びかければ、新郎新婦入場の為に控えていたベルナールがゆっくりと振り返る。
その姿に、レオノラは息が止まった。
スラリと長い手足が、今日は白い花婿の衣装に包まれている。撫で付けられた黒い髪が良く映えている。白い服がベルナールの骨張った輪郭の顔を、神々しく輝かせている。
こちらを振り向いた途端に少し見開かれた緑眼も、いつもよりぎらついている様に見える。
二人で衣装を選んだ時も散々見たが、今日は結婚式当日の所為か、また格別に思えた。
「素敵!ベルナール様、やっぱり素敵です。かっこいい」
「………」
「これからベルナール様が私の旦那様だって、式場の皆に見て貰えるなんて…」
楽しみだし、嬉しくて仕方がない。
ベルナールが断固拒否したので一度は諦めたが、やはりなんとかこの恰好の絵を残せないだろうか。あわよくば、悪巧みをしている様なゲス顔で。
レオノラがどうベルナールを説き伏せようか、本気で考えていると、ベルナールがフッと笑った様な声が聞こえた。
「お前も……綺麗だ。レオノラ…」
「へっ?」
何かあり得ないような言葉が振ってきた。ハッとレオノラが顔を上げる、そこで目にしたものに驚愕して固まってしまう。
あのベルナールが、蛇宰相と恐れられるベルナールが。いつでも不機嫌で、レオノラに好きだと言った時すら眉を寄せていたベルナールが。
とろりと柔らかく瞳を細め、うっすらとだが確かに微笑んでいるのだ。その表情に剣呑さは少しも無い。レオノラに向けられた声すら、まるで慈愛が満ちたように穏やかな声色だった。
ポカンと口を開けて固まってしまったレオノラを、誰が責められるだろうか。レオノラを案内したケイティも、ベルナールの付き添いだったニクソンも、少し離れた位置で息を呑んで放心している。
しかしその沈黙の間に、ベルナールの微笑みは失せ、羞恥と怒りに顔を歪ませてしまったのだった。
「な、なんだその顔は!」
「へっ?え、あ、いやいや!だってベルナール様、いま笑っ…」
「見間違いだ!それに、こんな時くらい称賛してやって何が悪い!」
「わ、悪いなんて言ってません。えぇ、待って。ベルナール様怒らないで!もう一回笑って!」
「笑ってない!!」
羞恥なのか怒りなのか、顔を真っ赤にしながらこれまで見たことないほど忌々し気に顔を歪めたベルナールは、チッと派手な舌打ちと共にレオノラから顔を逸らしてしまった。
レオノラが一生懸命宥めようと言葉を探していたのだが、間の悪いことに、式場への扉が開いてしまう。
『新郎新婦のご入場です』
荘厳な教会内に響くその言葉に、ベルナールはまたしても派手な舌打ちと共に、レオノラを引き摺るようにして歩き出してしまう。しかもその舌打ちは、教会の高い天井に良く響いたので、列席者にもきっと聞こえたことだろう。
不満に歪んだ表情で舌打ちし、さっさと終わらせたいとばかりに花嫁を引き摺る蛇宰相。二人が仲睦まじい夫婦だと見せつける算段が、これでは台無しどころか、蛇宰相の悪評を更に加速させる予感しかない。
そのことはうっすらと気になったレオノラだが、それよりも先ほど見たベルナールの微笑みの方がよほど重要だ。
(…心臓痛い)
思い出すだけでも胸が苦しくなる。ベルナールの微笑みなどという、初めてみた光景に、今も心臓がうるさく高鳴っている。
苦し気に胸をそっと抑えるレオノラの姿が、果たして列席者にどう見えるのか、構っている暇はない。
これだけ心臓が痛くなる危険なことは分かっているが、あの顔をもう一回見たい。もう一回微笑んで欲しい。笑って欲しい。
しかし現在、ベルナールは怒り心頭だ。一体どうすれば良いというのか。
そこまで考えたレオノラだが、そこでハタと気付く。
別に何もする必要はないのだと。
(だって…私、結婚してるんだもんね)
別に、いますぐベルナールの微笑みを見る必要はないのだ。
蛇宰相の破滅は回避され、ベルナールが崖下に落下することはない。王女との婚姻はなく、レオノラと離婚することもない。レオノラのことをベルナールは好きで、レオノラもベルナールが好きだ。
つまり、これから一生分、ベルナールの色々な顔を見る機会があるのだから。
そう考えると、これからの未来がなんとも楽しみで、レオノラは思わず笑いが漏れてしまった。それをベルナールがギロリと睨んでくるが、レオノラはニッコリと笑顔を返しておく。
怒り顔も、不機嫌顔も。微笑みも、ゲス顔も。それ以上に、レオノラが見たことが無いような表情を、これからずっと。蛇宰相の妻は、真横で鑑賞できるのだから。
これにて完結となります。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
皆様の応援に支えられてここまで辿り着けました。
たくさんの感想や評価やブックマーク、リアクションをいただくたびに本当に励まされました。
数ある作品の中から見つけてくださり、ありがとうございました。
この後、どうしても本編に入りきらなかった番外編を少しだけ更新していけたらと思っております。




