38.道具屋は魔境の道を走る
開門前の東門には、多くの探索者がパーティごとに固まっている。
彼らの目的は組合から依頼を受けた「魔境」での調査や素材集めで、見習いからエクスぺリア級の探索者達に至るまで、人数も技能もバラバラである。
高位の探索者は迷宮に潜るか、国家規模の依頼を受けているかで、わざわざ「魔境」に入る者はあまりいないのだ。それでも魔獣氾濫の傾向調査や「魔境」深部まで向かう特定素材の採取依頼などは【指名】という形で依頼されることはある。
素材集めと一言で言っても、その内容は強力な魔獣を倒してようやく得られるモノから、その辺に生えている薬草の採取まで多岐にわたる。
それぞれの階級、能力に見合った依頼を受けてきているのだが、「魔境」の中はどんな場所でも危険であることに変わりはない。迷宮とは違い、魔獣は前から後ろから、頭上からも足元からも襲ってくるからだ。
魔獣に不意を突かれるといったリスクを回避するため、探索者は何人か集まってパーティを編成し、与えられた範囲の警戒を怠らないようにするのである。
そんな中、たった一人で開門を待つ探索者がいた。
杖代わりのように短槍を持ち、装備も動きやすさを重視した籠手、胸当てといった使い込まれた革鎧だけで、古くて少し色が抜けたような赤黒いフード付のローブを羽織っている。
一見すると、ビギナー探索者のような恰好だし、「魔境」へ入るというのに単独行動のようなので眉を顰める者もいたが、男の首元に巻き付いている黒蛇を見て納得顔に変わっていく。
蛇使いの道具屋。
この自由都市国家ラプトロイでは、それなりにこの通り名で知られた男である。
本業は何でも売っている道具屋で、男の作る武器防具は性能も良く丈夫である。魔法武器を作る事が得意だが、気が向かないと注文は受けない頑固者である。戦っている姿は誰も見たことがないが、腕は立つらしい。
なにしろ、あの【雷滅の黒蝶】を口説き落とした男なのだから。
最近何かと噂されているようだが、職人としての腕や戦闘能力を評価されたわけではなく、本人の与り知らぬ誤った情報に付随している話なので、いろいろと台無しである。
黒蛇を首に巻いている渦中の男ロウも、もはや人の口に戸は立てられぬと半ば諦めて好きなように言わせていた。
やがて、街の鐘が三つ鳴り響くと(鐘一つ刻は九時、鐘二つ刻は十三時、鐘三つ刻は五時、鐘四つ刻十七時くらい)東門が開け放たれ、探索者達が一斉に門外へ出て行く。
少しでも良い狩場採取場を確保しようと走り出す者までいる中、ロウはゆったりとした足取りで一路「魔境」の奥に向けて歩いて行った。
巨木が乱立する中を奥に進むにつれて人の気配は消えていき、獣や魔獣の強い気配だけが漂ってくるようになると、彼らの領域「魔境」に入った証である。
いきなり魔獣と鉢合わせしないようディルに気配察知を任せ、苔を生やした巨大な岩や倒木がゴロゴロしている森の中を、ロウは慣れた足取りで進んでいった。
ロウ達が店を休みにして「魔境」に入った理由は、店で何かと使う機会が多い蜘蛛型魔獣デルスパグラーの糸を採取するためであり、片道四日を掛けて魔境の深部まで行く予定である。
デルスパグラーという魔獣は、多くの種がいる蜘蛛型魔獣の中では比較的小さい方であるが、吐き出す糸の粘着力は強力で一度絡んでしまうと二度と抜け出すことは出来ない。必要なのは粘着性の無い部分だが、ロウはそれをどのようにして取り出すのだろうか。
その場所は、以前ロウが行ったことがある「樹魔獣の楽園」より南側に位置する場所で、人族ではとても太刀打ちできない強力な魔獣や、厄災級ともいえる妖魔族が跋扈する領域である。
しかし、ロウとディル、ハクの主従であれば、そんな魔獣すら一蹴してしまうのだろう。ハイメデゥーサとアマダススライムは、そんな厄災級の妖魔や魔獣の頂点に立つといっても良いのだから。
ラプトロイの第四防護壁が見えなくなると、ロウは徐々に歩く速度を上げていく。木の根が盛り上がり倒木が行く手を阻む森を軽快な足取りで奥へ奥へと進んでいった。
魔獣と鉢合わせしないように気配を探りながら進み、途中、食事や休憩を挟んで陽の光が紅色になる頃にようやく【本当の魔境】を見渡す事ができる崖の上へと辿り着いた。
魔獣達の楽園「魔境」とは、測りきれないほど広大な大地が周囲より100mも沈下して出来た閉鎖空間で、いわば巨大な森の海のようなもので、独自の生態系と種の進化を形成した人族の介入を許さない世界であるのだ。
ロウ達の眼下に広がるのは、夕焼けの紅を吸収したかのような紅い靄に覆われた広大な大森林である。
ロウが「この世界で一番美しい景色」と言うように、時間の経過と共に変わっていく紅と緑と群青の絶妙な対照と、その先に顔を出し始めた白い双月の姿は、見る者の心と声を奪い、ただただ息を呑むばかりだ。
「いつみても本当に綺麗ですねぇ。どうです?ハクもそう思うでしょう。」
「・・・」
ハクにロウの言葉が聞こえたのかどうか、一心不乱に紅く燃える森を見詰めている。それは眼下の森が全て群青に染まるまで続いたのであった。
◆
翌朝の人魔の境界で、朝靄が崖下へと滝のように流れ落ちていく。それはまた自然の雄大さが生み出す幻想的な風景である。
ロウ達は今日から本格的に魔境へ分け入るわけだが、まずは崖下へ降りていかなければならない。ロウが魔境へ行くときにいつも使っている崖下へ行く「経路」を、いつも通り飛び跳ねながら一気に下りていく。
降り立った場所には、運か悪いことに体長4m程の一角バイソンが二頭もいて、ロウの姿を見るなり襲ってきたのだが、フードから飛び出したハクが身体の一部を触手のように伸ばして一閃させ、前足を斬り落とすと次いですぐに首元を突き刺して絶命させる。
ハクの迅速な行動に、もはやロウも呆れ顔である。
一角パイソンと言えば凶暴な雑食魔獣で、柔らかい表毛の中に鉄のように堅い内毛がびっしりと生えており、物理抵抗はおろか属性魔法抵抗も非常に高い魔獣である。
この魔獣を探索者が狩るとしたら、巨体の拘束、振り回される角の対策、破壊的な体当りの対策、以外と素早い動きの足止めなど、大人数で役割を決めて望まなければならないというのに、まさかの瞬殺とは。
一角は、表毛は魔法抵抗が高い衣服やマントの裏地に、内毛は防具の素材としてそれなりに高い値が付く。角から削り出して焼き入れ加工した刃物は丈夫で切れ味も良く、肉は美味で内臓は薬にもなるという、いわば「捨て処なし」の魔獣だ。
「何と幸先の良い・・・。しかし一角を瞬殺とは、ハクはすごいですね。」
「・・・」
ハクはロウから褒められていると分ったのか、直ぐに人型になって頭を突き出してくる。ロウは苦笑いしながらハクの頭を撫でてやると、やはりハクの喜びの感情が伝わってきた。
「でも、おかげで良い手土産が出来ました。ここからなら存分に笛を吹いて良いですよ。」
「!」
ロウから許可を貰ったハクは、早速どこからか笛を取出し、いつもの曲を奏で始めた。
「さて、ディルさんも。もう戻っても大丈夫ですよ。」
スルスルとロウの身体を降りで少し離れた場所へ行くと、いきなり圧倒的な魔力と強大な気配が溢れ出し、ディルの身体が膨張し始める。溢れ出る魔力が空間を歪めるかのように広がっていき、ディルは大蛇とも呼べる巨大な黒蛇となった。
一角バイソンの血の臭いに群がってきた魔獣が、いきなり現れた上位妖魔の強大な気配を感じ取って蜘蛛の子を散らすように森の奥へ逃げていく。
ディルの変化を見て、やはりディルは雑多な街中や薄暗い「迷宮」にいるより、生命力溢れる「魔境」にいた方が似合うとロウは思う。
緩やかな風に靡くウェーブのかかった漆黒の長い髪が揺れている。上半身の真白の素肌と、下半身の漆黒の鱗が対照的で、ともに朝の光を反射して輝いているかのようだ。
ディルは変化の間、ずっと閉じていた瞼を開けると、切れ長の細い目でロウを見おろし、妖艶に微笑んだ。
「ロウ様!」
「うおっと!」
早速ディルはロウに抱き付き、鎌首を上げてそのまま持ち上げて抱きしめる。抱き締め付ける。
ロウは締め付けてくる腕の力強さに顔を顰めつつ、ハクの笛の音が止んだと思って下を見ると、ディルに向かってハクが両手を伸ばしている。自分も抱っこしろという事なのだろうか。
「あはは。まってハクちゃん、一番はロウ様なんだから!」
しばらくしてディルの大騒ぎが静まると、ディルはロウに命じられて「深淵の報酬」であった魔衣【冥府鎧】を装着する。迷宮の深淵では厄介なものを押し付けられた感があって、それほど良い印象は無かったモノだが、今地上の光の中にある漆黒の鎧は精悍そのものだ。
そしてロウも自分の正面に魔法陣を顕現させ、魔法陣と空間の境界が扉であるかのように通り過ぎると本来の九尾の姿に戻った。強大な魔力を持つものが二人、いや二体もいれば大概の魔獣は寄ってこないであろう。ロウの揺れる尻尾にじゃれついて遊んでいるハクは別として。
妖人、妖魔、魔獣と、全くカテゴリーが異なる三体は魔境の奥を目指して移動を開始した。
ディルがいつもの様にロウを抱えようとしたのだが、流石にハクの前でお姫様抱っこはないとロウが拒否し、ディルと共に並走している。
倒木や転石など障害をものともせず、魔境の中を滑るように移動できるディルの速さは目を見張るものがあるが、そのディルの移動速度に難なく付いていくロウの身体能力も相当のものだ。
ロウもディルも、自分が内包する魔力に何の制限も掛けていないため、周りにいる魔獣達は上位種に道を開けるように左右に避けていく。
一日中魔境を走り続け、陽が暮れる頃になって野営の準備を始める。ロウとディルはほとんど休みなく走っていたのも拘らず、特に疲れた様子はない。魔境に漂う濃度の濃い魔素が、二人の体力をある程度回復させてくれるのだ。
適当な大樹の根元を借りて露避けを張り、毛皮を敷いただけの簡単な野営所である。
夕食を作るのはロウである。朝ハクが仕留めた一角バイソンの肉も美味いのだが、持ってきた食材も傷んでしまうので先にそちらの方を調理する事にした。
ディルの希望であるおにぎりは作るとして、後は野菜とブロック肉を入れて香辛料を加えた煮込みスープでも作ろうと下ごしらえをしていった。
三人で火を囲む様子は、食べる場所こそ違うがいつもと同じ食事の風景である。ただ、ディルは自分の手を使って食べる事ができるので、ハクはちょっぴり寂しそうであった。
◆
翌日も夜明けから移動したのだが、昨日と違うのは頻繁に魔獣と戦いになる事である。流石に「魔境」の奥深くまで入り込んでいくと、主従の移動する方向で鉢合わせしてしまう魔獣もいて、それなりに強い個体との戦闘が増えているのだ。
この辺りでは、大猿魔獣フォレスエイプのように、集団なら何とかなると踏んで襲ってくる魔獣や、巨人トロルのように移送速度が遅く、逃げられないと勝手に思い込んで襲ってくるような魔獣が多くなってきている。
もちろんそんな魔獣などもディルやハクの敵ではない。ディルが【六魔眼】を使って状態異常に陥らせてから尾で吹き飛ばし、ハクが止めを刺していくという流れ作業でしかない。ロウに至っては出番すらない。
だが、倒した魔獣の素材を剥ぎ取るのはロウの仕事である。今は先を急ぐ旅なので、とりあえず死体を魔法拡張鞄に放り込み、用事を済ませた後で解体する予定である。
トロルのような巨人は、採れる素材も特になく肉も筋張って不味いので、体内の魔核だけを取り出してから土魔法で埋めてしまうしかない。因みに魔核さえ抜いてしまえば、死んだ魔獣がアンデット化することは無い。
ロウ達の目的地にはだいぶ近付いたのだが、何故か鉢合わせしてしまう魔獣が多く、死体の処理などをしているとどうしても時間が掛かってしまう。
結構な頻度で足止めされてしまった一行は、この日も早々に移動を諦めて野営する事にした。
森の中は、静かである。
ここまで進むと、もうすでに妖魔族の領域に入っているのだ。獣達も魔獣達も妖魔がいる領域に近付こうとしないので、この場所で野営しても夜中に襲われることは無いだろう。
妖魔族とは、魔獣の中でも特に強い個体が長く生きて進化した種と云われている。知能が非常に高く人族同様に道具を使い、種によってはディルのように魔法を使う個体もいるという。
そう、彼らこそがこの森「魔境」の頂点に君臨する王者であり、この地上で最も進化を遂げた上位種と言っても過言ではないだろう。
そして、ここには彼ら妖魔族の国がある。
半人半魔、そんな人非ざる者達が集団となり、互いに意思疎通をとりながら文化的生活を送っているのである。
敵対する魔獣もいない訳ではないが、ここまで大きな集団になると、たとえ森の王者オーガが組織立てて襲ってきても、容易く撃退できるだろう。
そう、ロウ達の目的地はこの妖魔達の王国なのである。




