『記憶のログ』第4話 管理者アカウント
**第4話 管理者アカウント**
赤い警告表示は、ゆっくりと明滅を繰り返していた。
[SYSTEM WARNING:被験者データ『拓也』の意識整合性にエラーが発生]
その下に、さらに文字が並ぶ。
[心拍数・脳波パラメータ低下。意識の維持領域が限界に達しています]
[管理者アカウント:真央(アクセス中)]
「……管理者……?」
声が、うまく出なかった。
被験者データ。『拓也』。
それは、俺の名前だった。
画面を凝視する。指が、勝手に震えている。
スクロールもしていないのに、ログは次々と流れていった。まるで、誰かが俺に見せようとしているかのように。
[202X年11月04日:『拓也』、心不全により心肺停止]
一行目を読んだ瞬間、頭の奥で、何かが音を立てて外れた。
[『真央』が、生前の合意に基づき、『拓也』の脳生体データのクラウドバックアップを開始]
[仮想空間環境『書斎』を構築]
[意識データの定着セッションを実行中]
書斎。
この部屋のことだ。
俺が毎晩、真央と話していた、この部屋。
「……嘘だ」
かすれた声が、漏れた。
「嘘だろう、真央」
返事はなかった。
スピーカーからは、ただ、ノイズ混じりの小さな呼吸音だけが聞こえていた。
その沈黙が、答えだった。
霧が、一気に晴れていく。
亡くなったのは、真央じゃない。
死んだのは、俺だった。
一年前の秋。診断を受けたのは、俺のほうだった。
医師の硬い表情。余命という言葉。病室の天井を見上げながら、俺が願っていたことは、たったひとつだった。
残される真央が、悲しまないように。
あの日、握っていた手は、彼女のものだった。冷えていったのは、俺の手だった。
ベッドに横たわっていたのは、俺だったのだ。
「……真央」
絞り出すように、名前を呼んだ。
「お前が、やったのか。俺のデータを、ここに」
長い沈黙のあと、ノイズの向こうから、かすかな声が届いた。
「……ごめんなさい」
AIの声ではなかった。
合成された滑らかさの欠片もない、掠れて、ひび割れた、生身の声だった。
「あなたが、いなくなるのが怖かったの」
ログの最後の行に、新しい文字が追加される。
[管理者操作:音声フィルタ解除]
ああ、そうか。
これまで聞こえていた鼻をすする音も、かすかな息づかいも。
あれは、データの再現などではなかった。
画面の向こうで、本物の真央が、ずっと泣いていたのだ。
俺は、ようやく理解した。
重い本棚に触れさせなかった理由。外へ出るなと言った理由。
俺の意識データは、仮想空間の中でしか存在できない。負荷のかかる処理や、空間の外への干渉をすれば、壊れてしまう。
真央はそれを知っていた。
だから、「心配性の妻」の言葉で、必死に俺を守っていた。
亡き妻を演じる、AIのふりをしながら。
生きている夫を、騙しつづけるために。
「……真央」
視界が、にじんだ。
恐怖は、不思議なほどなかった。
胸の底から、熱いものが込み上げてくる。
その時、スマートフォンの画面が、ふっと切り替わった。
管理画面が消え、代わりに映し出されたのは――カメラ越しの、どこかの部屋だった。
白い壁。無機質な機械の列。
そして、ベッドの傍らにうずくまる、ひとりの女性の背中。
(第4話・終わり)
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