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婚約破棄は結構ですが、卒論提出まであと三日です  作者: rorenji
第二章_新しい村へ

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回復には時間がかかります

「謝れば、許されるとは考えていません」


 夏の第1月26日、朝。


 昨日まで公開審査が行われていたベルン村の麦倉で、エリオットは十一村の住民と記録官の前へ立っていた。


 王太子の礼装ではない。


 農政会議視察参与の簡素な上着でもない。


 一年前、卒業記念祝賀会で誤った言葉を公にした当人として、名前と身分を記録するための正装だった。


「私は、ニーナ・フローレス本人の説明を最後まで聞かず、確認していない噂と、ガスパル・ヴァルモン教授の権威を根拠に、アウレリア・ローゼンベルクが彼女を虐めたと断定しました」


 エリオットは、用意した謝罪文を読んだ。


「両家と国王の承認前に、婚約破棄を祝賀会で宣言しました。公的立場を使い、反論しにくい場で私的な判断を事実のように述べたことを謝罪します」


 アウレリアは、証言者席で聞いていた。


「その後、豊穣加速法についても、権威ある研究者の結論を、現地記録より先に信じました。視察参与となってから利益関係を申告し、関連判断から外れましたが、それ以前の判断が消えるわけではありません」


 言い訳はなかった。


 ニーナが誤解させたとも、ガスパルに騙されたとも言わない。


「ローゼンベルク嬢。フローレス嬢。そして、政策判断の影響を受けた皆に謝罪します。復縁も、私個人への許しも求めません。この文書を王家の公的記録へ残し、訂正が私の将来に不利となる場合も削除を求めません」


 頭を下げる。


 アウレリアは、すぐに許すとは答えなかった。


「公に訂正してくださったことを確認しました」


 それだけを記録へ残した。


 エリオットは顔を上げ、うなずいた。


 ニーナも、謝罪を受け取ったとは言ったが、守られる関係へ戻るとは言わなかった。


 三人とも、一年前の位置へは戻らない。


 戻らないまま、自分の責任を持って先へ進む。


 * * *


 同じ朝、王立農政会議と王家備蓄輸送局の連署による緊急支援の承認書が届いた。備蓄放出と王家輸送隊は備蓄輸送局、商会契約、現地作業賃金、使用料、破損補償は農政会議の緊急支援費が負担する。


 王家備蓄の麦。


 帰り荷が空になる商会荷車との期間契約。


 王家輸送隊の追加便。


 配給委員、倉庫番、荷車修理、食事提供、採土、測定補助、読み上げ作業への賃金。


 種麦保管室の使用料と、道具の破損補償。


 最初の六十日分だけである。


 六十一日目から先は、輸送量、残存備蓄、今期収穫の再計算が必要だった。


 十一村の代表は、その条件を読んでから受領した。


 イングリットが種麦保管の二本目の鍵を持つ。


 ヨハンは、荷車一台ごとの到着量と配給量を別の欄へ書く。


 誰へ何袋渡すかは、十一村の配給委員が公開基準で決める。


 アウレリアの役目は、その数字を代わりに決めることではなかった。


「小区画試験は、まだ一日目です」


 出発前、ヨハンが報告した。


「差はありません」


「そのまま記録してください」


「二日目も違わなければ?」


「二日目も、差を確認できず、と」


「一月違わなければ?」


「一月分の、差を確認できなかった記録になります」


 ヨハンは笑った。


「派手ではない」


「学問は、たいていそうです」


 公開審査翌日の二十六日、委員会は一時寄託されたエミルの日誌写しを、本人指定の保管者であるルカへ返した。二鍵式証拠箱の封印番号、頁数、傷を照合し、委員二人とルカが受領記録へ署名する。


 エマの八頁の認証写しも、同じ日にゲルトへ返された。ゲルトは頁数を確かめ、返却受領欄へ太い字で名を書いた。


 ベルンから王都へ一日。


 二十六日の昼前にベルンを発ち、その日の夕方に王都へ着いた。


 夏の第1月27日朝、王都を発ち、三泊四日。


 30日夕方、アウレリアとルカはミューレへ戻った。


 * * *


「最終勤務日の夕方です。遅刻ではありません」


 第一観察室の前で、イルザが言った。


 テオと二人で、延長契約中の記録、鍵、残った消耗品を返す。


 安全閉鎖なし。


 標本移動なし。


 ベルンへ送った六片の切分け後も、元の管理株に病害と境界逸出はない。


 十日分の追加賃金と、マルタの支払記録も一致した。


「ありがとうございました」


 アウレリアが頭を下げる。


「次は、せめて一月くらい村にいます?」


「予定では」


「予定では、ですか」


「確約できないことは、確約しません」


「帰ってきたなあ」


 テオがしみじみ言った。


 市場はアウレリアたちの不在中も開かれていた。


 水車は回り、夜学の壁にはベルンまでの道程図が増えている。


 荷車を出した家。


 村に残って畑を見た家。


 資料を出さなかった家。


 それぞれの選択が、同じ村会記録へ並んでいた。


 町は、英雄の帰りを待って止まる場所ではなくなっていた。


 * * *


 処分と再審査の通知がそろったのは、夏の第2月12日だった。


 公開審査後、学院、学会誌編集委員会、研究費審査会は、それぞれ別に証拠一覧を送付し、弁明期限と審議日を設けた。ガスパルの弁明と異議を記録したうえで、各機関が自らの権限について決定した。


 王立エルデ学院理事会は、ガスパルを教授職から解任。


 研究室と書庫への立入資格を取消し、助手処分記録を独立再審査へ回した。


 王立魔法植物学会誌の編集委員会は、豊穣加速法を含む三論文を取消し、マーラ、エレナ、ソレン、エミルの貢献と異議を訂正文へ記載する。訂正文の氏名掲載は、各本人が選んだ範囲に限られた。


 研究費審査会は、ガスパルを公的研究費の申請資格から外した。不正使用と認定された支出の返還額は、学院と審査会が資金記録に基づいて確定する。


 刑事責任と個人賠償は、合同研究倫理調査委員会の認定だけで決めず、別手続きへ送られた。


 そして、アウレリアの追加報告。


 合同研究倫理調査委員会の認定を受け、学院はガスパルを審査から外して新たな副査を選任した。主査一名、副査二名が、停止期間、安全記録、六群十八鉢、旧新校正系列、限界記載を再確認した。


 内容審査の結論は、合格。


 条件付き合格に付された一年以内の追加実験要件は、正式に完了した。


 追加十八鉢は安全審査の後、六つの採取元ごとに権利者が選んだ原地点返還または立会い管理処分を行い、受領記録を返した。


 学院から搬出した既存二十四鉢は、学院所有のまま、ミューレ第一観察室での長期保管貸与へ切り替えられた。学会へ年一回、鉢番号、状態、責任者を報告し、移送、譲渡、処分には改めて許可を得る。


「卒業した実感はありますか」


 ルカが、認証書を見て尋ねた。


「卒論を出したのは一年以上前です」


「ありませんね」


「ありません」


 認証書だけでは、ベルンの土は戻らない。


 だが、提出できなかったことにも、不合格だったことにもされなかった。


 失敗と欠測を書いた研究が、失敗と欠測を残したまま認められた。


 * * *


 ベルンから届く週報では、食料輸送が始まり、種麦保管室の封印も維持されていた。


 六比較ブロックのうち、一ブロックは乾燥停止基準により初日で容器を回収した。残る五ブロックのうち、二週目まで評価できた四ブロックで、月眠り苔容器区は無処置より地脈魔力の低下が緩やかな方向を示した。


 五地点は別でも、苔六片は二採取元由来である。独立した五標本による再現とは数えない。


 うち二ブロックは、非魔法保湿材との差が測定のばらつき内。


 一ブロックは病害基準で打切り。


 豆苗は十二株中九株が生存したが、対照を置かない探索観察であり、低魔力耐性の証明には使えない。


 麦の葉は、すぐには緑へ戻らなかった。


 回復計画の最初の成果は、豊作ではない。


 種を食べずに残せたこと。


 誰か一人へ奇跡を強いなかったこと。


 来年も測る区画が決まったことだった。


「回復には時間がかかります」


 アウレリアが週報を閉じる。


「知っています」


 ルカが答えた。


 夕方の旧温室には、二人しかいなかった。


「だから、長い契約を申し込みたい」


「現在の共同研究契約は、夏の第三月二十二日までです」


「その後です」


 ルカは、一枚の計画書を差し出した。


 魔法植物研究院設立準備案。


 研究者、農家、職人、記録者が、身分に関係なく学び、異議を残せる場所。


 原記録を一人の部屋へ集めない。


 成果名義と公表前確認を契約へ書く。


 研究を止める権利を、双方と参加者へ認める。


 運営代表は、アウレリアとルカの共同。


 年度ごとに、外部監査と契約見直しを行う。


「期限が書かれていません」


「研究院を続ける限りです。僕は、生涯の共同研究を申し込んでいます」


 アウレリアは、計画書から顔を上げた。


「研究の申し込みですか」


「まずは」


「まずは?」


 ルカの耳が赤くなった。


「個人的な申し込みを同じ紙へ混ぜると、断りにくくなるので、別にします」


 王都で兄との関係を明かしたとき、彼は、信頼を失うことを恐れて開示を先延ばしにしたと認めた。


 今、その失敗をなかったことにせず、断る権利を先に置いている。


「では、研究計画を審査します」


 アウレリアは、彼の隣へ立った。


「修正条件がございます」


「何項目でしょう」


「今のところ、十二項目です」


「思ったより少ない」


「増やしましょうか」


「共同で減らします」


 ルカが笑う。


 アウレリアも、少し笑った。


「条件付きで採択します。生涯の共同研究を」


 差し出された手を取る。


 琥珀色の目が細まり、その指が測定器を扱うときより慎重に重なった。冗談めいた言葉の奥に、成功した結果だけでなく、失敗も沈黙も二人で引き受ける約束があった。


 土も、信頼も、一日では戻らない。


 だから二人は、戻るまでではなく、戻らない結果も記録する先まで、一緒に研究することにした。


お読みいただき、ありがとうございます。


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