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婚約破棄は結構ですが、卒論提出まであと三日です  作者: rorenji
第二章_新しい村へ

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公開審査

「六区画すべてが回復した、という記述は成立しません」


 夏の第1月25日、午前。


 ベルン村の麦倉を使った公開審査で、合同研究倫理調査委員長はそう告げた。


 ガスパルの論文が発表されてから、五年。


 削られた区画が、ようやく主表へ戻された。


 * * *


 合同委員会は、王立エルデ学院理事会、王立魔法植物学会、王立農政会議が、それぞれ二人ずつ選んだ六人で構成されていた。


 学院での雇用処分を決める会ではない。


 論文を取り消す権限も、刑罰を科す権限もない。


 認定できるのは、研究記録の改変、除外の非開示、著者名の不当な扱い、資料保全妨害など、研究不正に関する事実である。


 認定結果は学院、学会誌、研究費審査会、農政会議へ別々に送られ、それぞれが権限内の処分を審議する。


 アウレリアは証拠提出者席にいた。


 審査員ではない。


 ガスパルの有罪を決める票も持たない。


 ルカも同じである。兄エミルとの関係は公開され、日誌に関する質問中は、証拠箱へ触れない位置に座った。


「最初に、証拠の範囲を確認します」


 委員長が言った。


 ミューレとラーデの地域記録。


 三地点の再現試験。


 中央穀倉地帯十一村の調査。


 これらは豊穣加速法の長期的な危険を疑う資料だが、単独で五年前の論文不正を証明しない。


 ニーナの証言は、祝福使用条件と体調記録の必要性を示す。ガスパルが過去に何を言ったかの一部は、第三者確認のない本人記憶である。


 エミルの写本とエミル本人の証言も、同じ情報源であり、二つの独立証拠とは数えない。


「では、何が論文記述と両立しないのですか」


 ガスパル側の代理人が尋ねた。


「研究室外に残った同時期の原記録です」


 委員長は、六区画の表を示した。


 農家が保管した収量帳。


 水車管理者の搬入重量簿。


 土地台帳にある作付面積。


 いずれも、論文発表前の日付と受領記録がある。


 六区画のうち、二区画は作付けを縮小。


 一つは途中放棄。


 残る三区画も、総面積当たりの収量は導入直後を下回っていた。


 ガスパル論文は、縮小二区画と放棄一区画を主表から外し、残る畝を「作付け継続畝当たり」へ換算していた。


 方法欄に、その除外はない。


 結論には、「六試験区すべてで収量が導入前の九割以上へ回復」とある。


「管理を放棄した区画を農法評価から除くのは、研究判断だ」


 ガスパルが言った。


「除く判断自体を審査しているのではありません」


 委員長は答えた。


「三区画を除いた表から、六区画すべての回復を結論したこと。総作付面積の減少を示さず、異なる分母へ換えたことを開示しなかった点を審査しています」


 * * *


 二鍵式証拠箱が開かれた。


 エミルの許可した指定頁だけを、委員が閲覧する。


 公開席で読み上げられたのは、本人が選んだ限定事項だった。


 六区画の記号。


 測定日。


 作付け縮小と放棄。


 作付け継続畝当たりへ統一するよう口頭指示を受けた、という当時の記述。


 エミルの氏名は記録する。


 住所は出さない。


 頁画像の再複写と全文公開はしない。


「これは写本だ」


 ガスパルが言った。


「元助手が後から作った可能性がある」


「その可能性は、写本だけなら残ります」


 委員長は認めた。


「そのため、学院で保全された原本と照合しました」


 会場がざわめいた。


 学院が夏の第一月六日に台帳分離封印を受けた後、主任室と付属書庫の全棚を目録化した。


 その日の午後、主任室と書庫は改めて封印された。鍵は調査官と記録官が別々に持ち、開けるまで誰も入っていない。


 見つかった資料が、あとから持ち込まれたものではない。その確認も審査には必要だった。


 十九日、ガスパル側代理人、学院記録官、委員二人の立会いで、目録にない壁内保管庫を開いた。


 保管庫の存在は建物修理図にあり、鍵の貸出票は魔法植物学科主任名義だった。


 開扉前後を撮影し、棚ごとに番号を付け、取り出した資料をその場で封印した。


 中には、エミルが五年前に提出した助手用実験日誌原本があった。


 紙、綴じ糸、頁番号は当時の研究費購入簿と一致。


 エミルの写本指定頁と、数値、語順、訂正跡が一致する。


 原本には、写本になかった二か所の計算訂正もあり、写本が原本全部の複製ではないことも確認された。


「保管庫は主任室の資料庫だ。原本があるのは当然だろう」


「保管そのものが不正なのではありません」


 委員長は言った。


「学会から原資料照会を受けた際、所在不明と回答したこと。夏の第一月六日の保全目録へ保管庫を記載しなかったこと。原本の存在を弁明書でも開示しなかったことを審査しています」


 鍵を主任以外が使った可能性はある。


 委員会は、五年前からの全接触者を確定できなかった。


 その限界も記録した。


 ただし、ガスパルは今年、学会照会への回答書と保全目録へ自筆署名している。


 * * *


 壁内保管庫には、ほかにも二つの未記載資料があった。


 一つは、ニーナの体調記録五頁。


 ミューレ事故の三頁と、学院監視使用の二頁。健康記録室の受付番号、頁番号、受領印が一致した。


 五頁は「祝福普及時の想定問答」と書かれた封筒へ入っていた。


 余白には、症状を公表資料へ含めない場合の説明案が、ガスパルの署名済み安全意見書と同じ筆跡で書かれている。筆跡は独立鑑定者二人が、既知の署名二十点と比較した。


 誰が健康記録室の綴じから頁を抜いたかは、なお確定できない。


 だが、受領後に欠落した原頁を、ガスパルが使う主任資料庫で未申告のまま保管し、本人筆跡と認定された注記を加えた事実は残った。


 ニーナは、公開に追加同意した受付番号と欠落確認の経緯だけを証言した。


 頁に書かれた症状の全文は読み上げない。


「国民を不必要に怖がらせないためだ」


 ガスパルが言った。


「祝福が危険だという未熟な解釈が広がれば、必要な政策が止まる」


「だから、体調頁を公表資料から外す説明案を作ったのですか」


「価値ある成果を、誤解から守った」


 もう一つは、低魔力土壌区の鉢札五枚と、乾いた土を入れた五鉢だった。


 L1、L2、L3、L5、L6。


 鉢の傷、札の筆跡、底面番号は、安全管理官が標本消失時に撮影した記録と一致した。


 生体の月眠り苔は残っていない。


 土も一年以上、主任資料庫にあり、移動前の状態を再現する証拠には使えない。


 同じ棚から、卒論提出前夜の日付がある移送指示書が見つかった。


 安全隔離を理由に六鉢を主任資料庫へ移す指示。


 指示者、ガスパル・ヴァルモン。


 受取欄は主任室事務員。


 一鉢が学院庭で見つかった経緯と、L4が移送途中で置き去りにされたかは未確定だった。


「安全上の判断だ」


「安全隔離なら、なぜ安全管理室へ届けず、移送台帳へ記載せず、卒論審査で所在不明と扱わせたのですか」


 ガスパルは答えなかった。


 * * *


 元助手三人の資料も、順に確認された。


 マーラの先行草稿と、後発単著論文の同じ二十九値、同じ転記誤り。


 ソレンの処置後根腐れ二鉢と、論文の「事前除外」。


 エレナ名義で先に受領された研究計画と、点位置まで同じ二十日目までの図。消えた二十一日目以後の低下。


 助手の証言だけではない。


 学院提出簿。


 南部試験場正本。


 計器貸出台帳と賃金簿。


 論文投稿日より前に、研究室外または別部署へ残った記録が支えていた。


 作業分担表と毎日の署名をたどると、マーラもエレナも、試験の設計から測定、集計まで深く関わっていた。それなのに、発表された論文から二人の名は消えていた。


 成果をガスパル一人のものにすると同意した記録もない。


 ソレンの件は著者名の認定から分けた。委員会が審査したのは、処置後六日目に根腐れした二鉢を、公表論文で「病害による事前除外」と記した結果取扱いだった。


「助手の仕事は、指導者の研究の一部だ」


 ガスパルは立ち上がった。


「彼らには、断片を国家に役立つ形へまとめる力がなかった。私は結果を選び、意味を与え、政策へ届かせた」


「著者名を外すことも、結果を変えることも、意味を与える行為ですか」


 委員の一人が尋ねる。


「誰にも読まれない記録に、何の価値がある」


 ガスパルの声が、麦倉の梁へ響いた。


「真実とは、権威ある者が世に通用させて初めて真実になる。農民の日記も、助手の失敗も、私が選ばなければ雑音だ」


 アウレリアは、会場の後ろにいるゲルトを見た。


 彼は怒鳴らなかった。


 エマの八頁を入れた箱へ、手を置いていた。


 リナは、自分の記録帳を閉じない。


 ヨハンは、発言時刻を書いた。


 雑音と呼ばれた人々が、ガスパルの言葉を正確に残していた。


 * * *


 審査は日暮れ前に終わった。


 合同委員会は、全員一致で四点を認定した。


 豊穣加速法論文における、除外区画と分母変更の非開示、および六区画すべてが回復したとの虚偽記述。


 マーラとエレナの実質的寄与を、名義譲渡も単著同意もないまま著者表示せず取り込み、不利な後期結果を除いた研究成果の不当流用。


 ソレンの処置後根腐れ二鉢を「事前除外」と記した虚偽の方法記載、および原資料照会と保全命令に対する原本日誌・標本鉢の所在不申告。


 保有を確認できた健康頁を祝福普及時の公表・安全資料から、後期低下記録を公表論文から意図的に非開示とし、健康頁の所在を保全目録へ記さなかった行為。


 健康頁を物理的に抜いた人物と、L4が庭へ残った経緯は、認定不能とした。


 同日付で、学院理事会は委員会の認定とは別の暫定措置として、最終処分決定までのガスパルの教授職務停止と、研究室・書庫への立入り停止を決定した。学院代表がその通知を読み上げた。


 学会誌は論文へ審査中表示を付ける。


 研究費審査会は、新規支出を凍結する。


 最終的な解職、論文取消し、返還額、学院立入資格は、各機関の審議へ送られた。


 会場の外へ出ると、夕日に照らされた麦畑が見えた。


 黄色い葉は、朝と変わらない。


「勝ったのに、戻りませんね」


 ニーナが言った。


「不正を認めても、土の魔力は戻りません」


 アウレリアは答えた。


「では、明日も測るんですね」


「はい」


 アウレリアは短く答えた。認定書が一枚増えても、黄ばんだ麦も、奪われた五年も、その場では戻らない。だから審査の翌日にも測る必要があった。


 真実は、権威が選んだ瞬間に生まれるものではない。


 けれど、真実が明らかになった瞬間に、失われたものが戻るわけでもない。


 回復には、記録より長い時間が必要だった。


お読みいただき、ありがとうございます。


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