再現実験
「九つの比較組のうち、二組は最後まで比較できませんでした」
春の第3月27日、王立魔法植物学会の再現試験報告会。
アウレリアが結果を告げると、ガスパルはすぐに口を開いた。
「ならば、月眠り苔には再現性がないということだ」
「いいえ。二組は否定結果ではなく、事前基準による打切りです。評価できた七組では同じ方向の変化が見られました。打ち切った二組を消して、成功した九組と申し上げるつもりもありません」
長机の中央には、三つの鍵付き記録箱が並んでいる。
王都。
北東領のミューレ。
西部のラーデ村。
一月余り前、同じ試験計画から始めた三地点の記録だった。
* * *
春の第2月15日、農地有害植物の緊急勧告が保留された直後。
中立審査員として指名されたのは、南部農業学院の土壌学者ヘレナ・ファルクだった。
アウレリア、ルカ、ガスパルのいずれとも共同研究歴がなく、豊穣加速法の政策事業にも参加していない。利益関係がないとの申告書を、学会事務官と農政会議監査官が確認した。
計器の照合には、北東領公認計量所のヨナス・ケルが加わる。ルカの携帯魔力計を冬に検査した人物であるため、計器番号と過去の補正表を知っている。その関係も記し、結果の採否を決める審査員ではなく、計量確認者に限った。
「試験地点は三つです」
ヘレナが計画書を読み上げた。
「学院の登録標本。ミューレで管理中の標本。そして、西部ラーデ村に自生し、今回の報告を受けて所在が確認された別集団。新規の持ち出しは禁止し、各標本は元の場所で試験します」
各地点で、三つの比較組を作る。
一つの比較組には、低魔力土を分けた三鉢を置く。
一鉢には月眠り苔を置く。
一鉢には同じ被覆率の非魔法保湿材を置き、残る一鉢は何も置かない。
土は地点内でよく混ぜ、同じ重さに分ける。同じ種子を同数播き、容器位置は中立担当者がくじで決める。
「九鉢ではありません」
ルカが確認した。
「三地点に、三条件を三反復ずつ。二十七鉢です。ただし、同じ地点の土と標本を分けた三鉢は、完全に独立した三標本とは数えません」
「地点を単位に見る。よろしいですね」
「はい」
祝福使用区は、別の試験とした。
学院の同一土壌を十二鉢へ分け、祝福あり六鉢、なし六鉢。種子数、給水、光、容器をそろえる。
祝福を使う者はニーナだけである。同じ術者による一度の実施なので、六鉢を独立した六回の祝福とは数えない。
「フローレス嬢の参加は、本人が断れば中止します」
アウレリアは言った。
「健康記録の欠落調査、学籍、今後の実習評価とは切り離してください」
「当然です」
ヘレナは、参加説明を安全担当者からニーナへ渡すと決めた。アウレリアもガスパルも、返答の場には同席しない。
後日、ニーナは安全担当者だけが同席する場で、参加同意書へ署名した。拒否や途中撤回は、健康記録の欠落調査、学籍、実習評価へ影響しない。拘束時間への固定補償は分類調査費から払い、結果や完遂の有無で増減しない。
予定使用時間は三秒。
使用前の睡眠、食事、体温、脈、手の震えを測り、使用中は二人が時間を測る。三秒を超えた場合、範囲が二歩を越えた場合、体調変化が出た場合は中止する。
使用直後、二時間後、当日夜、翌朝を医務担当者が記録する。
ニーナ自身の観察帳とは別記録である。どちらを外部利用するかは、結果を見た後に本人が選ぶ。
「祝福と月眠り苔を、同じ鉢へ使わないのですか」
ガスパルが尋ねた。
「相互作用が未確認です。今回は併用しません」
「それでは、どちらが優れた農法か比較できない」
「優れた農法を決める試験ではありません」
ヘレナが答えた。
「確認するのは、祝福後の短期生育と土壌魔力の変化、月眠り苔管理区の土壌魔力と被覆の変化です。収穫量、長期安全、王国全土への適用は、この一試験では決めません」
測定時刻と停止基準は、最初の種を播く前に封印した。
境界接触、病害、水漏れ、急な魔力変動、強い乾燥。
結果を見てから、都合よく基準を変えないためだった。
* * *
アウレリアとルカは翌十六日、予定どおり王都を発った。
三泊四日で、十九日夕方にミューレへ帰る。
イルザとテオの短期契約は、当初の帰村予定日までで終了した。二人は最終記録と鍵を、マルタ立会いでアウレリアたちへ戻した。
閉鎖事故はない。
停止値へ近づいていた一鉢は、境界内で被覆が止まり、推論用観察停止後の給水と安全記録も欠けていなかった。
「お帰りなさい。で、今度は何鉢です?」
テオの第一声に、アウレリアは二十七鉢とは答えなかった。
「ミューレでは九鉢です」
「十分多いですよ」
翌二十日、学会から封印済み計画書の認証写しが届いた。
試験費用は、有害植物分類の調査費から三地点へ同額上限で支給される。村の共同箱は使わない。場所の使用料、記録担当者の賃金、破損時の補償を先に分けた。
ミューレの記録担当を選んだのは、アウレリアではない。
共同会が募集し、イルザとリナが手を挙げた。
成人であるイルザが施錠と安全判断を担当する。リナは被覆枠を読み、数字を書く。未成年者の賃金と作業時間はマルタが確認し、夜学や家の仕事を削らない条件にした。
「先生がいなくても測れるようにするんですよね」
リナは、木枠を鉢へ重ねた。
「ええ。わたくしが答えを教えないよう、配置記号の対応表は中立監査箱へ入っています」
「じゃあ、どれが苔なのか見ればわかるのは?」
「隠せません」
「そこは隠せないって書く」
リナが記録欄へ追記する。
その一行を、アウレリアは消さなかった。
測定者が処置を目で区別できる。期待が記録へ影響する可能性がある。
だから、魔力量はルカの計器だけで測らない。公認計量所が同じ三基準で校正した別番号の標準計器三台を、一地点へ一台ずつ封印貸与する。各地点の通常計器と交互に使い、表示者と記録者を分ける。
開始前の貸与、三地点への発送、終了後の封印返送と再校正は、分類調査費で行う。ヨナスは三台それぞれの計器番号、零点ずれ、許容差を地点別に記録し、途中の封印破損は各地点の担当者が記録した。
* * *
失敗は、六日目に起きた。
学院の月眠り苔区一組で、土の表面に白い菌糸が出た。
病害停止基準により、その組は給水と推論用測定を止め、隔離箱へ移す。原因は苔か、土か、育成室か、まだわからない。
十二日目には、ラーデ村の一組で被覆が境界へ触れた。
除去して試験を続ければ、よい数字だけ残せる。
担当者は計画どおり、その組の推論用観察を止めた。生命維持と境界外への逸出確認だけを続ける。
ミューレでは、雨の少ない日が四日続いた。
苔区の一組が乾き、魔力放出量は下がった。イルザが給水量を増やしたいと提案したが、試験中の変更は認められなかった。
「枯らすための実験みたいで、嫌ですね」
「ええ」
アウレリアも、乾いた苔を見た。
「ですが、乾いた土地で働かないなら、その事実を知らずに配る方が残酷です」
イルザはうなずき、給水を増やしたいという提案と、不採用理由の両方を記録した。
ニーナの祝福試験は、学院で予定どおり三秒で止まった。
使用直後に指先の冷えがあったため、その日の実習は中止。二時間後には消え、発熱と頭痛はなかった。
安全だった、と一般化はしない。
三秒の一実施で、今回記録した症状がそこまでだった、という結果である。
翌朝、ニーナは試験記録を自分で読み、二か所の時刻を直した。報告会で使ってよいのは、今回の試験条件と体調の変化だけだ。個人の観察帳まで自由に見せるわけではない。
祝福区の芽は、二日目から対照区より高く伸びた。
八日目、土壌魔力は対照区より大きく下がった。
二十日目、草丈の差は縮んだが、土壌魔力の差は残った。
三地点の二十日目記録がそろった後、担当者は配置対応表を開かず、記録箱を学会へ発送した。
アウレリアとルカは春の第三月二十三日にミューレを発ち、二十六日夕方に王都へ着いた。再報告を命じた学会が往復旅費と宿泊費を分類調査費から負担した。
第一観察室は、今回もイルザとテオが二人で管理する。期間と賃金を先に決め、延びるなら改めて二人の同意を取る。前回の留守番を、そのまま当然の仕事にはしなかった。
* * *
報告会の長机へ、三地点の結果が戻る。
三地点すべてで、評価できた比較組には、無処置より月眠り苔区の土壌魔力低下が緩やかになる同じ方向が見られた。
全九比較組のうち二組を打ち切り、残る七組で数値を比べた。ただし、同じ地点内の反復を含むため、独立した七例とは数えない。
その七組のうち三組は、非魔法保湿材との差が測定のばらつきを超えなかった。
四組では、保湿だけでは説明しにくい差が残った。
学院の病害組と、ラーデの被覆停止組は、処置鉢だけでなく比較組三鉢すべてを予定どおり最終比較から外した。ただし、危険記録からは外さない。
乾いたミューレの一組は効果が弱く、給水が保たれた組より回復が遅かった。
「成功率を示す数字ではありません」
アウレリアは言った。
「三地点で同じ方向が出たことと、病害、過繁殖、乾燥時の弱さが同時に再現された。管理条件なしに使えないことも、再現結果です」
三地点の通常計器と、各地へ貸与した標準計器三台は、終了後の再校正でも事前に決めた許容差内だった。
ミューレの長期記録では、豊穣加速法の導入直後に生育が上がり、その後に地脈魔力と作付面積が下がっていた。
ラーデ村から提出された記録にも、同じ順序があった。
村の記録は無作為試験ではない。祝福の量、作物、天候、管理者が違う。今回の二十日間の試験と、同じ証拠として足し算はできない。
それでも、別の土地、別の記録者、別の計器が、短期成長の後に残る低下を示していた。
「偶然だ」
ガスパルが言った。
「その可能性はあります」
アウレリアは答えた。
「ですから、偶然ではないと証明したとは申し上げません。無視してよい偶然だとも、もう申し上げられません」
ヘレナは三つの記録箱へ、受領時刻と封印番号を記した。
月眠り苔の有害植物指定は、さらに保留。
暫定管理は継続。
豊穣加速法については、長期記録を持つ導入地域へ共通様式で追加照会するよう、学会から農政会議へ勧告する。
そして、報告書の最後には、測定者と記録者の名が並んだ。
ヘレナ・ファルク。
ヨナス・ケル。
ルカ・フェルナー。
イルザ。
リナ。
ラーデ村の二人の記録者。
ニーナ・フローレス。
アウレリアは、自分の名がその列の先頭にないことを確かめた。
一人の研究者が望んだ答えではない。
多くの手で、失敗ごと残した結果だった。
同じ手順を別々の土地と人が試すからこそ、ミューレだけの偶然や、ガスパル一人の権威から結論を切り離せる。それが再現する意味だった。
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