危険植物指定
「月眠り苔は、管理を誤れば危険です」
春の第2月15日、午前。
予定されていたミューレの長期記録の発表を終え、臨時研究会は追加議題へ移っていた。
王立魔法植物学会の臨時研究会で、アウレリアは最初にそう認めた。
傍聴席がざわめく。
追加議題の提案者であるガスパルは、長机の向こうで満足そうに指を組んだ。
「では、ローゼンベルク君も農地有害植物への指定へ賛成すると?」
「いいえ。危険性があることと、王国全土から排除すべきことは同じではありません」
議長が木槌を一度鳴らした。
今日、学会が決められるのは科学的な勧告と、学会登録研究標本の暫定的な取扱いまでである。栽培や運搬を原則禁ずる農地有害植物への指定は、勧告を受けた王立農政会議が審議する。
だが、播種の季節を理由に緊急勧告が出れば、各地の役所は正式決定前でも除去を始める可能性があった。
ミューレの洗い場にある自然群落も、観察室の培養株も、失われるかもしれない。
焦りはあった。
焦りがあるからこそ、都合の悪い結果を隠すわけにはいかなかった。
「危険性を、確認済みの事実と推測に分けて説明します」
アウレリアは、事前に提出した資料目録の一頁目を掲げた。
「確認できた第一の性質は、乾燥への弱さです。土壌水分が下がると、月眠り苔は蓄えた魔力を十分に放出する前に傷みます。枯れた苔を置けば土地が回復する、という植物ではありません」
第二に、条件が合えば被覆が広がる。
ミューレの鉢試験十八鉢では、一鉢が定めた被覆停止値の直前まで達した。推論のための観察はそこで止めたが、給水と安全確認は続けている。
境界を越えた事実はない。
しかし、越えないと証明したわけでもない。
「第三に、地脈魔力の移動先を完全には追跡できていません。苔の周辺で数値が安定しても、隣接地や水路から奪っている可能性を、現在の六群十八鉢の試験だけで否定することはできません」
「自ら、危険植物だと証明しているではないか」
ガスパルが言った。
「彼女の報告では、被覆停止値へ近づいた鉢がある。乾燥すれば枯れ、繁殖すれば農作物を覆い、魔力の流れまで変える。辺境の小村で管理できたからといって、王国の農地へ広げてよい理由にはならない」
反論しにくい、正しい懸念だった。
傍聴席から、今度は同意の声が漏れる。
アウレリアは、その声が収まるのを待った。
「はい。ですから、広げてよいとは申し上げていません」
資料の二頁目を開く。
「ミューレでは、自然群落を採取して農地へ撒いていません。生活用水路、共同洗い場、食用作物の畝、洪水時に流出する土地では使わない。所有者の同意なく持ち込まない。祝福と併用しない。販売しない。現在の利用は、境界を設けた小区画と鉢に限っています」
水分量、周辺魔力量、被覆率を決まった時刻に測る。
境界への接触、予期しない魔力量の急変、病害、水浸し、強い乾燥があれば、推論用の観察を止める。
境界外への流出や建物の異常が安全基準へ達した場合は、通常の給水や立ち入りも止めて区画を閉鎖する。
回収方法と処分場所を、使う前に決めておく。
「それらは、君が作った私的な規則にすぎない」
「そのとおりです。王国全土で通用する規則だとは証明していません」
ガスパルの眉がわずかに動いた。
「だからこそ、全面禁止の前にも検証が必要です。危険を管理できない植物なのか、条件を限定すれば扱える植物なのか。今ある資料では、どちらも断定できません」
* * *
議長の指示で、学会事務官が二つの分類を読み上げた。
農地有害植物。
所持、運搬、栽培を原則として避け、発見時の除去を勧告する分類。
管理指定植物。
持ち出し先、栽培範囲、監視責任者、停止条件を届け出た場合に限り、研究または限定利用を認める分類。
後者は病害研究や毒性植物の薬用研究に使われている。農地回復を目的とする植物へ適用された例は、まだなかった。
「ローゼンベルク嬢は、管理指定を求めるのですか」
中立席の老研究者が尋ねた。
「恒久指定を求めるには資料が足りません。比較試験が終わるまでの暫定管理を提案します」
「農家が、回復するという噂だけを聞いて使った場合は」
「わたくしたちの研究からは提供せず、持ち出しも認めません。試験への参加と、収穫回復の保証を混同しない説明が必要です。収穫増を約束する販売も行いません」
「ミューレの住民は、それへ同意したのですか」
「村会から委任されたのは、村の状態と共同規則を説明する範囲です。個人記録は、各所有者が許可した範囲だけを使っています。今日お示しするのは、匿名集計と、利用を許可された指定頁です」
アウレリアは、使わなかった資料についても説明した。
泥の地図は所有者が学会利用へ同意しなかったため、目録にも載せていない。
六農地のうち、直接比較できる指定頁は三区画分だけである。他の三区画は、作付け縮小と放棄の匿名集計に限った。
「都合のよい記録だけを選んだのでは?」
「いいえ。所有者が選んだのです。利用許可と、結果の良し悪しは別に記録しました」
老研究者は、事務官へ資料目録の確認を求めた。
提出日、受領日、頁番号、許可範囲。
一つずつ読み上げられる。
ルカは共同研究者席にいたが、エミルの日誌には触れなかった。近親者資料は独立した倫理担当の確認前であり、そもそも今日の植物分類を決める証拠ではない。
ニーナの健康記録の欠落も同じだった。
調査は必要である。
だが、誰が、いつ、なぜ失わせたかは確定していない。ガスパルの提案動機を推測する材料にはしなかった。
* * *
「危険が確定してからでは遅いのだよ」
ガスパルが席を立った。
「豊穣加速法は、王国の収穫を支えてきた。未熟な代替法が広まれば、農民は確立された方法を捨てる。食料を賭けた実験を、辺境の八十三人へ任せるべきではない」
八十三人。
アウレリアの胸の奥が熱くなった。
けれど、彼らを無知な被験者として扱うな、と怒鳴るだけでは足りない。
「八十三人は、わたくしへ判断を預けてはいません」
静かに言った。
「水車の数値を記す人、鉢の被覆を測る人、苗を育てる人、使わないと決めた人がいます。わたくしたち研究者が持っていない長期の観察を、彼らは持っています」
「観察と学問は違う」
「違います。だから、測定条件をそろえ、誤差を書き、再現を試みます」
アウレリアは、ガスパルを正面から見た。
「学問は、肩書のない人の観察を消すための言葉ではありません。確かめられる形へ整えるための方法です」
議長が、再び木槌を鳴らした。
午前の審議はそこで止まり、非公開の採決へ移った。
待合室では、誰も結果を予想しなかった。
ルカは資料箱の錠を確かめ、アウレリアは、危険性一覧の一行目から読み直した。
「怖くありませんか」
傍聴を終えたニーナが、小声で尋ねた。
「怖いです」
「そうは見えませんでした」
「見せない訓練だけは、令嬢教育で十分に受けましたから」
ニーナが、ほんの少し笑った。
やがて事務官が扉を開く。
農地有害植物としての緊急勧告は、保留。
月眠り苔を、結論が出るまで暫定的な管理指定とするよう、農政会議へ勧告する。
学会登録研究標本は、学院外への新規移送、譲渡、販売を止め、既存標本の所在、責任者、境界、停止条件を学会へ届け出る。自然群落は、緊急の安全問題がない限り除去せず、位置を非公開で保全するよう農政会議へ勧告する。
そして、祝福使用後の土、低魔力土、通常土での挙動を、中立審査員の立会いで再現する。
試験計画は、ガスパル側とアウレリア側の双方から意見を受ける。ただし、どちらにも標本の単独管理と結果の採否を決める権限は与えない。
「再現できなければ、指定は有害側へ進みます」
事務官は言った。
「再現できても、安全とは限りません。管理できる条件を、別に審査します」
「承知しました」
勝ったのではない。
月眠り苔は、まだ疑われている。
ただ、燃やされる前に、もう一度だけ観察する時間を得た。
扉の向こうで、ガスパルがこちらを見ていた。
「再現というものが、君の望む結果になるとは限らないよ」
「望む結果を選ばないために、再現するのです」
アウレリアは答えた。
有用だと急いで広めれば農地を傷つけるかもしれず、危険だと一律に焼けば回復の可能性まで失う。再現実験は、月眠り苔を勝たせるためではなく、その境界を確かめるためにあった。
次に向き合うのは、教授の言葉ではない。
同じ条件で育てた植物が示す、選べない結果だった。
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