王都からの招待状
「王都へ、お戻りください」
王国暦六三三年、春の第1月19日。
追加報告を受け渡した翌朝、麦穂亭へ届いた封書には、そう書かれていた。
差出人は、王立魔法植物学会幹事会。
ガスパル・ヴァルモン個人からではない。封蝋には学会印があり、発行日は第1月15日。文書番号と幹事三名の署名もそろっている。
「命令ではありませんね」
ルカが、向かい側から文面を読んだ。
「招待です。断る権利があります」
「最初にそこを確認するんですね」
「戻れ、と書かれています」
「お戻りください、です」
「敬語で移動時間は短くなりません」
王都までは馬車で四日である。
学会の臨時研究会は、春の第2月15日。北東領のほか、西部と南部の七つの農村から、作物の生育遅延と地脈魔力低下を疑う報告が届いたため、各地の記録を照合するという。
アウレリアに求められた題目は、ミューレ村における長期記録と豊穣加速法導入後の変化。
発表者一名と共同研究者一名の往復旅費、王都での宿泊費は学会が負担する。発表資料は十日前までに目録を提出し、原本所有者と利用許可の範囲を明記すること。
追加報告の内容審査とは別であり、招待は合格を意味しないとも書かれていた。
「慎重な文書です」
「ローゼンベルク嬢が好きそうですね」
「好みで学会へ行くわけではありません」
そう答えてから、アウレリアは封書を机へ置いた。
王都へ戻れば、ガスパルの論文について、こちらから問いかけることになる。
婚約破棄を宣言された夜から残る悪評にも、再び向き合うことになる。
だが、今朝まず確かめるべき問題は、王都ではなかった。
「フェルナー。あなたの契約は、春の第1月22日で終了します」
「はい」
「返事が軽すぎます」
「一年間、毎月確認しましたから」
最初の雇用契約は、三日後までだった。
学院を離れたルカを、研究助手として一年間雇う。使用人ではなく、研究上の貢献に応じて成果へ名を載せる。勤務時間、休息、危険作業と改竄指示を拒む権利も書いた。
追加報告は提出した。
だからといって、研究が終わったわけではない。
内容審査は残っている。追加十八鉢の安全管理も続く。ガスパル論文との不一致を調べるなら、測定と記録を最もよく知るルカが必要だった。
必要だから、残ってほしい。
その言葉が、なぜか契約書より言いにくかった。
「共同研究契約を提案します」
ルカは目を見開いた。いつも測定器を支える長い指が、今は契約書へ触れず、返事を急かされないことを確かめるように机の縁で止まっている。
アウレリアは、昨夜作った草案を差し出した。
期間は第1月23日から夏の第3月22日までの6か月。
役職は助手ではなく、共同研究者。資料所有者の許可を前提に、研究計画と公表内容は二人の合意で決める。成果の名義、各所有者が許可した範囲での原資料閲覧、異議を記録へ残す権利を対等にする。
報酬六か月分と、病気や作業中の怪我に備える互助積立は、祖母の信託に残る研究継続枠から先に分け、信託管理人の別勘定へ確保してある。村の市場箱、水車箱、夜学箱からは出さない。
六か月後の更新は、学会発表料、器具設計の相談料、外部研究契約の有無を確認して決める。見込み収入を、確定した賃金として約束しない。
通常勤務と休息の上限は、これまでと同じである。
「契約解除の条件が一つ増えています」
ルカが指した。
「原資料の改竄、無断公表、資料所有者の許可違反です。わたくしにも適用します」
「雇う側にも?」
「共同研究者ですから」
ルカは草案を最後まで読み、すぐには署名しなかった。
報酬額、旅費、病気の際の扱い、途中終了時の資料返却。二人で一項ずつ確認し、曖昧な主語を直す。
午後、同文二通へ署名した。
ルカが一通を自分の鞄へ収める。
「これで、六か月は追い出されません」
「違反がなければ」
「もう少し情緒のある言い方はありませんか」
アウレリアは考えた。
「必要です」
「何がですか」
「あなたが」
ルカの手が、鞄の留め具の上で止まった。
感応花がここになくてよかったと、アウレリアは思った。
理由は検討しなかった。
* * *
翌日、父オスカーからも公文書が届いた。
アウレリアが冬の終わりに送った、農場管理継続願への回答である。
住民意見、収支、設備資産、第一観察室の安全管理記録を確認し、一年間とした当初命令を改める。農場と屋敷の貸与、管理権限を第一月二十三日から翌年春の第一月二十二日まで延長する。
追加資金は出さない。
村の共同財産と住民組合の権限を侵さない。
王都滞在中の管理代行者を、村の共同会と協議して届け出ること。
最後に、私信として一行だけあった。
成果ではなく、帰還後も継続できる仕組みを示せ。
「お父上らしいですね」
「褒めてはいません」
「追い出してもいません」
アウレリアは、返書用の紙を出した。
自分が王都へ行く間も、市場は市場組合が運営する。水車は共同管理者、夜学は参加者の持ち回り、工房はテオの仕事である。
農場管理の代行が必要な範囲は、貸与屋敷、共同畑との境界確認、第一観察室の緊急連絡に限られる。誰を届け出るかは、アウレリアが指名する前に共同会で話し合う。
王都へ行くことと、村の仕事を持ち去ることは同じではない。
* * *
第1月22日の夕方、麦穂亭で共同会が開かれた。
アウレリアは学会の招待状を読み上げ、確認済みの事実と未確認の疑問を分けた。
他地域からも魔力低下を疑う報告がある。
原因はまだわからない。
ガスパル論文の匿名試験地がミューレと一致する可能性はあるが、原データも収量定義も未確認である。
「村の記録を、学会へ持っていきたいのですか」
イルザが尋ねた。
「許可された写しだけです。宿帳、市場帳、畑記録、水車帳、エマとゲルトの帳面は、それぞれ所有者が違います。一括して許可を求めません。必要な頁、発表目的、閲覧者、複写の可否と部数、返却か廃棄を、資料ごとに示します」
「原本は?」
「村に残します」
リナが胸の前で泥の地図を抱え直した。
「私のも?」
「使わせてほしい範囲を、あなたとマルタさんへ説明します。断っても、今後の見習い仕事や夜学には影響しません」
「行く人は、先生だけ?」
「共同研究者一名を同行できます。フェルナーに依頼します」
「今度は助手じゃないんですね」
「本日まで助手で、明日から共同研究者です」
「日付は大事ですもんね」
食堂に笑いが広がった。
共同会はまず採決し、王都で村の現状を説明する役目を、アウレリアとルカへ委任した。個別資料を使う権限は含まず、資料所有者の同意とは分ける。
そのうえで、王都滞在中の管理連絡役を一人へ集中させなかった。
留守のあいだ、第一観察室はイルザとテオが二人一組で管理する。二人には、鉢を生かすための世話と、危険が起きたときに部屋を閉じる判断だけを任せた。
異常があれば鉢を動かさず、まずマルタへ知らせる。研究の続きを任せるのではない。その違いを、出発前に何度も確認した。
貸与屋敷の鍵はマルタとテオが一本ずつ封印保管し、二人立会いでのみ使う。共同畑との境界問題は、共同会の三人が確認する。
管理代行届には、役割ごとの名と権限上限を書く。
資料利用の判断も、その場で全件を決めなかった。
翌日から七日間、必要頁と発表草案を麦穂亭で閲覧できるようにする。所有者は個別に同意、条件追加、不同意を選ぶ。
ゲルトが腕を組んだ。
「エマの名を消さないなら、俺は読んでから決める」
「それでお願いします」
「不正だと騒ぐのか」
「騒ぎません。両立しない記録があるので、原データを確認したいと述べます」
「悪女らしくないな」
「わたくしは、悪女として招待されたわけではありません」
マルタが招待状の宛名を指した。
「王都の人が、どう呼ぶかは別でしょうね」
その可能性は高かった。
婚約破棄の祝賀会にいた人々は、学会にもいるだろう。
温室の悪女。
辺境へ追いやられた令嬢。
一年前なら、その呼び名を訂正する価値はないと思った。
今は違う。
誤った呼び名が、村の記録まで誤って見せるなら、伝え方を選んで訂正しなければならない。
アウレリアは、学会への出席欄に署名した。
身分欄には、公爵令嬢とも、王太子婚約者とも書かなかった。
ミューレ村農場管理者。
ミューレ月眠り苔研究・共同研究者。
そして、発表者欄の下へ付記した。
資料提供者を含む、ミューレ村代表。
王都へ戻る。
今度は、自分の評判を守るためではない。
八十三人の村で守られてきた、合わない数字を届けるためだった。
一つの村だけの異変なら偶然として捨てられる数字も、七つの農村の記録と並べれば、政策が見落とした危険を見つける手がかりになる。
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