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婚約破棄は結構ですが、卒論提出まであと三日です  作者: rorenji
第二章_新しい村へ

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八十三人分の土

「村の土を、平均だけで見てはいけません」


 春の第2月12日。


 アウレリアは麦穂亭の壁へ、ミューレ村の地図を貼った。


 畑、空き家、水路、井戸、東の共同湧水、旧温室、リンゴ園。ルカが歩いて測った距離を基に、テオが板へ写したものである。板地図の製作は短い追加契約とし、材料費と作業料を支払った。


 地図の横には、調査参加の説明文があった。


 土を採るのは、土地の持ち主と使用者が同意した区画だけ。両者が異なる場合は、双方の同意を得る。


 一つの畑につき、中央と両端の三地点。表面だけでなく、同じ深さまで採る。採取量は作物へ影響しない範囲に留め、穴は埋め戻す。


 測るのは地脈魔力、土の水分、粒の細かさ、酸性の強さ。傾斜、日当たり、現在と過去の作物、施肥、魔法使用の有無も聞き取る。


 結果は土地ごとに所有者へ返し、全体公開では番号だけを使う。


「土なんて、どこも痩せてるよ」


 地図を見た男が言った。


「程度が同じかは、まだわかりません」


「違ったところで、何になる」


「違いに栽培履歴や地形との関係があれば、悪化を遅らせる方法を探せます。ただし、関係が見つかっても原因と断定はしません」


 笑う者はいなかった。畑をもう一度豊かにすると約束したわけでもない。それでも、後ろにいた農婦が腕組みを解き、壁の地図へ一歩近づいた。


「また、断定しないのか」


 食堂の隅で、ゲルトが短い灰色の顎髭を親指で撫でた。疑っているときの癖らしい。


「調べる前ですから」


 アウレリアは答えた。


 井戸の正式検査結果は、二日前に届いていた。送付した標本からは、検査所で調べられる既知の有害菌と毒性物質は検出されなかった。


 それでも、未知のすべてが安全だと証明されたわけではない。


 第二月十日に井戸を洗浄し、水受けの修理を終えた。同日午後、ルカが時刻と地点を記録して水を二本へ再採取し、アウレリア立ち会いで封をした。


 一方を検査所へ送り、一方を控えとして施錠保管する。十二日に届いた結果書で、再採取分も検査対象の既知項目が陰性だと確認し、飲用を再開した。


 未知のすべてを調べたわけではないため、水の変化とキノコの再発生は観察を続ける。観察用のキノコは井戸から離れた箱へ移し、透明覆いの中で保持時間を測っていた。


 その朝、第一週の支払済み分と照合し、リナの未払いだった二週目分を精算した。本人、母のマルタ、アウレリアが改めて三通へ署名し、第二月十二日から二十五日まで、同じ勤務時間、安全条件、退職条件で見習い契約を更新した。活動場所は麦穂亭と第一観察室の安全区域に限り、村内調査へは同行させない。


「前より、調べたものと調べてないものを分けて話すようになったな」


 ゲルトの言葉は、褒めているようには聞こえなかった。


 だが、彼は地図のリンゴ園へ、自分の名前を書いた。


 署名は、アウレリアを信じたという意味ではない。勝手に土を持ち去った以前の学者よりは、何を調べるのか先に話す――その一点を、確かめるための許可だった。


 * * *


 調査には十二日かかった。


 村の八十三人全員が畑を持っているわけではない。家族で一つの畑を使う者もいれば、畑を手放して薪仕事だけで暮らす者もいる。


 耕作中の畑、休ませている畑、放棄された畑。所有者と使用者を確かめ、同意を得られた三十二区画を調べた。


 毎朝、携帯魔力計を三種類の校正石で確認する。採取袋には日付、時刻、区画番号、地点、深さを書き、採取者と同意者が封へ印を付けた。採取具は区画ごとに洗浄する。


 測定は採取当日、同じ重量、容器、順番で行う。表示値と、それを1.021で割った補正値を残し、三地点の平均だけでなく、ばらつきも保存した。九十六の採取点を独立標本とは数えず、土地の管理と履歴が異なる三十二区画を独立単位として扱う。


 残余土は地点別の袋へ戻して封をし、第一観察室の保管棚へ置いた。結果返却後に土地へ戻すか、一定期間保管するかは、同意者へ選んでもらう。


 最初の三日で、単純な予想は外れた。


 水路に近い畑が、必ずしも高い値ではない。旧温室から遠い畑にも、著しく低い区画がある。隣り合う二つの畑で、補正後の値が大きく違う場所さえあった。


「測定器がまたずれたんじゃないか」


 土地使用者に言われ、ルカはその場で三つの校正石を測った。


「朝と同じずれです。念のため、別の時刻にも再測定します」


 再測定でも、畑同士の差は残った。


「なら、こっちの土だけ呪われてるのか」


「その結論には情報が足りません」


 アウレリアは聞き取り票を見る。


 低い方の畑は、四年間、同じ魔法薬草を続けて育てていた。高い方は、一年ごとに豆、麦、根菜を替え、二年前には何も植えず休ませている。


 違いはある。


 だが、所有者も施肥も傾斜も違う。この二つだけで輪作の効果を証明することはできない。


「同じような履歴の畑を、ほかにも探します」


「いつ答えが出るんだ」


「わかりません」


 男が落胆した顔になる。


 アウレリアは言葉を足した。


「ただし、あなたの畑が村で最も低いわけではありません。今すぐ作物を抜く根拠もありません。結果がまとまるまで、地脈魔力を多く使う魔法の追加だけは避けてください」


 以前なら、「わかりません」で会話を終えていた。


 今は、わからない中でも、何をしない方がよいかを分けて伝えられる。


 * * *


 調査七日目、リナが一冊の帳面を持ってきた。


 表紙には、泥の地図と書いてある。


「これは何ですか」


「靴を汚して、お母さんに叱られた場所」


 見開きごとに、日付と天気、泥になった道や畑の端が、簡単な絵で記されていた。


 記録は前年の秋から始まっている。


 雨の翌日にも泥が残った場所には二重丸。三日残った場所には星。霜が解けてぬかるんだ日は、青い線。


「何のために書いたのです?」


「同じ道で何回も叱られたくなかったから」


 立派な研究目的ではない。


 だが、目的が立派であることと、観察が役立つことは別だった。


 ルカが帳面と村の地図を並べる。


「採取日の水分だけではわからない、長く湿る場所が見えますね」


 水路から遠いのに土の水分が高かった区画は、泥の地図でも星が付いていた。反対に、水路の近くでも、傾斜が強く翌日には乾く場所がある。


 アウレリアはリナを見る。


「この帳面を、調査資料として写させてください」


「落書きだよ」


「日付、天気、場所、観察結果があります。記号の意味も一貫しています」


「役に立つ?」


「役に立つ可能性があります。ただし、書かれていない日の状態はわかりません。あなたの行動範囲に偏っていることも、資料へ明記します」


「難しい」


「とてもよい記録ですが、万能ではないという意味です」


 リナは少し考えてから、うなずいた。


 原本は本人が持ち、写しを作る。記号の説明をリナ自身から聞き取り、末尾に署名してもらった。資料使用の同意欄には、母のマルタも署名した。本人たちの希望どおり、「提供者リナ、保護者マルタ同意」と明記する。


 対価は帳面を買う金ではない。記号を説明し、地図と照合する一時間の勤務へ、見習い契約どおり支払った。


 * * *


 十二日目、第二月二十三日の夕方、三十二区画の仮地図が完成した。


 赤は地脈魔力が特に低い区画。


 黄は低い区画。


 青は、村の中では比較的高い区画。


 色は優劣ではなく、今回の補正値を区画ごとに要約し、三段階に分けただけだと地図の上部へ大きく書いた。区切りは栽培履歴を重ねる前に決めた。過去の栽培履歴は聞き取りに基づくことも、凡例へ明記した。


 赤い区画は、村の一方向だけに集まってはいなかった。


 一方、同じ魔法薬草を長く続けた十区画では、赤が七、黄が二、青が一だった。


 その十区画のうち六区画では、過去の増収指導で魔法を多く使ったとの証言があり、六つとも赤だった。ただし、長期連作と増収指導が重なっているため、どちらの影響かは分けられない。使用量も記録ではなく記憶に基づく。


 休ませた年があるか、作物を替えてきた九区画では、赤が一、黄が三、青が五。残る十三区画は履歴が混在するか、聞き取りが不足しているため分けて扱った。


 似た地形の区画と、泥の地図で照合できた水分帯の範囲に限って見ても、同じ方向の違いが複数見られた。ただし、区画数は少なく、施肥や所有者の違いも残る。探索的な傾向にすぎない。


「魔法を使ったから、土が痩せたんですか」


 マルタが尋ねる。


「その可能性はあります。ですが、聞き取りには記憶違いがあり得ます。過去の魔法使用量も測れていません。今は、追加調査の優先順位を決める材料です」


「それでも、全部同じ土じゃなかったんですね」


「はい」


 アウレリアは壁の地図を見る。


 数字だけなら、三十二区画だった。


 だが、一つの区画に家族がいて、植えてきた作物があり、休ませた年と、休ませられなかった事情がある。


 八十三人分の暮らしを、一つの平均値へ押し込めることはできない。


 村の土を知る調査は、まだ始まったばかりだった。


 食堂の入口で、配達人が一通の手紙を差し出した。


 差出人は、ニーナ・フローレス。


 手紙の日付は、第2月19日。王都から四日かけて届いたものだった。


 便箋には、丁寧すぎる字でこう書かれていた。


 『訪問の許可をいただけるなら、返事を受け取ってから出発します。祝福を使わずに土を調べる方法を、わたしにも教えてください。』


お読みいただき、ありがとうございます。


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